かみ‐かぜ【神風】
読み方:かみかぜ
1 神が吹き起こすという風。特に、元寇(げんこう)の際に吹いた激しい風。
2 第二次大戦末期、日本軍の特別攻撃隊に冠した名称。神風(しんぷう)特別攻撃隊。→特攻隊
かむ‐かぜ【▽神風】
しん‐ぷう【神風】
神風
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神風(かみかぜ、しんぷう、かむかぜ)は神道用語。神の威力によって吹く強い風を意味する。
- ^ 松村明他「古語辞典」(第十版)旺文社 2008年
- ^ 『高麗史』巻一百四 列伝十七 金方慶「諸軍與戰、及暮乃解、方慶謂忽敦茶丘曰、『兵法千里縣軍、其鋒不可當、我師雖少、已入敵境、人自爲戰、即孟明焚船淮陰背水也、請復戰』、忽敦曰、『兵法小敵之堅、大敵之擒、策疲乏之兵、敵日滋之衆、非完計也、不若回軍』復亨中流矢、先登舟、遂引兵還、會夜大風雨、戰艦觸岩多敗、侁堕水死、到合浦、」
- ^ 『高麗史』巻二十八 世家二十八 忠烈王一 元宗十五年(十一月)己亥(二十七日)の条「己亥、東征師還合浦、遣同知樞密院事張鎰勞之、軍不還者無慮萬三千五百餘人。」
- ^ 『元史』 巻二百八 列傳第九十五 外夷一 日本國「七日日本人来戦、盡死。余二三萬為其虜去」
- ^ 立花譲『帝国海軍士官になった日系二世』(築地書館、1994)232頁
- ^ ドラクエやモンハンの世界をどう訳す? 「教会の十字架の形まで変える」ゲーム翻訳の奥深き世界 (2/4) - ねとらぼ
神・風
神風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/04 13:27 UTC 版)
元神風型駆逐艦「神風」。1924年(大正13年)12月1日、掃海艇に類別。横須賀防備隊第二掃海隊に編入。1926年(大正15年)11月29日、潮型掃海艇に分類。1927年(昭和2年)1月10日、横須賀鎮守府第二掃海隊に編入。1928年(昭和3年)4月1日除籍。
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神風
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「GALZOOアイランド」の記事における「神風」の解説
2周目以降の隠しキャラ。袴を穿き弓を携えた、古風な喋り方をする女の子モンスター。
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神風
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「スワニー (護衛空母)」の記事における「神風」の解説
ところが、攻撃隊発進の真っ最中であった7時40分、1時間前の6時30分にダバオを発進して北上していた、最初の神風特別攻撃隊である菊水隊、朝日隊および山桜隊が第77.4.1任務群に襲い掛かった。6機の零戦はただちに急降下で突入してきたため、対空砲火を打ち上げる暇も無かった。1機は攻撃隊を発進させたばかりのサンティーに命中。別の1機はスワニーの上空で旋回を始めた。スワニーの対空砲火はただちに応戦し、被弾したこの日本機は、スワニーの方向に45度の角度で突っ込んでいったものの、これは命中しなかった。このスワニーの対空砲火は、一時は他の護衛空母も救った。サンガモン上空で攻撃の機会を待っていた神風には、ただ1基の5インチ砲の射撃が当たってこれを撃墜し、ペトロフ・ベイへの突入を試みた神風に対しても砲火を浴びせて、ペトロフ・ベイは間一髪で命中から免れた。 神風2機を撃墜したスワニーは8時4分頃、後方約2,500メートル上空で旋回中の新たな神風を発見した。やがて、急降下で突進してきたのでスワニーは対空砲火を浴びせかけた。神風は被弾して火を噴き、これを見たスワニーの乗員は落ちてゆく3機目の獲物に喝采を浴びせた。しかし、喝采を浴びせかけられたこの神風は次の瞬間、スワニーの後部エレベーター前方の飛行甲板に命中して直径3メートルほどの穴を空け。格納庫で爆発しておよそ7.6メートル四方の大きな穴を空けた。スワニーは火災こそすぐ消し止めたものの後部エレベーターが使用不能となり、71名の戦死者と82名の負傷者を出した。衛生班の将校であったウォルター・B・バーウェル中尉は、死傷者の状況について、次のように報告した。 「衛生兵の一人は、操舵室で負傷しながらも『火災で隔離されている前部にこそ、医療チームが必要だ』と報告してきた。私は彼とともに、救急バッグにモルヒネ、サルファ薬、止血帯、ワセリンおよび包帯を入れ、消火器を抱えて火災をかわしつつ前方に進んでいった。やがて、火災は海水を汲み上げて消火ホースで消し止められつつあった。私たちは、いまだくすぶる士官用区画と戦闘情報センターおよび暗号解読室を通過して、前部の舷外通路にたどり着いた。前部にいた乗員のうち、外に出ていた者は爆発で海中に吹き飛ばされていた。しかし、その他の艦内にいた乗員は、その下の格納庫で航空機から流出したガソリンによる火災に半ば晒されていた。彼らの助かる唯一の方法は海中に飛び込む事であったが、脱出する前に脱出経路にも火の手が回っていた。流出したガソリンは、我々が到着する時までには燃え尽きており、火は小さなものになっていた。しかし、デッキと隔壁は火災によってひどく焼けただれ、下部にあった小火器用の弾薬庫からは、弾薬があちこちに散らばっていた。2,3名の乗員はパニック状態に陥っており、艦から飛び出しかねない状態だった。我々は、彼らを直ちに拘束して沈静させた。やがて火は消し止められ、これ以上の犠牲者は出ないとの保証の見通しが立った。前部での負傷者の多くはひどい火傷を負っており、迅速な治療が望まれる」 スワニーは2時間以内に応急修理を終え、航空活動を再開させることができた。第77.4.1任務群は、13時までにもう2回の航空攻撃を受けたが、いずれも撃退した。この時までに、栗田艦隊は謎の退却で北西に向かっていた。第77.4.1任務群は第77.4.3任務群との会合のため、北東に進んだ。 翌10月26日午後、第77.4.1任務群は神風特攻大和隊の波状攻撃を受けた。このうち、第三波が空中警戒網を突破して第77.4.1任務群上空に到達した。この時、スワニーには対潜哨戒を終えて着艦し、格納庫に収容されつつあったアヴェンジャーがエレベーター上にいた。12時40分ごろ、1機の神風はこのアヴェンジャーに体当たりして大爆発を起こした。スワニーは操舵装置の大部分が破壊され、艦内には再び火災が発生。格納庫内にあった9機の航空機も破壊された。直後、ペトロフ・ベイに向かっていた別の神風は対空砲火に被弾しつつ針路をスワニーの方に変え、間もなく飛行甲板に命中した。火災はしばらく続いたが、最終的には鎮火した。2日間でのスワニーの戦死者は107名を数え、160名が負傷した。なお、この大和隊の攻撃に使われた零戦の一部は、10月25日に第77.4.3任務群に突入した神風特攻敷島隊(関行男大尉)の直掩機(西沢広義飛曹長ほか2名)が転用されたものだった。スワニーは10月28日にコッソル水道に立ち寄った後、11月1日にマヌス島に帰投した。その後、本格的修理を受けるために11月6日にぜーアドラー湾を出港し、西海岸に向かった。11月19日から20日にかけて真珠湾で停泊し、11月26日にピュージェット・サウンド海軍造船所に到着。スワニーの修理は1945年1月31日まで行われた。
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神風
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「サンガモン (護衛空母)」の記事における「神風」の解説
5月4日、サンガモンは補給のため慶良間諸島に到着。補給は神風などの接近でしばしば中断されたものの、18時30分には終了して再び外洋に向かって動き出した。しかし、間もなくサンガモンは47キロ先から神風が接近しつつある事を知った。陸上戦闘機が迎撃して9機を撃墜。残る1機は19時ごろにサンガモンの左舷艦尾部めがけて突入してきた。サンガモンは取舵で急旋回しつつ対空砲火を撃ち、護衛艦艇の助けも得て神風を撃墜。サンガモンの右舷からわずか7.6メートル離れた海面に墜落した。 別の特攻機(日本陸軍飛行第105戦隊の三式戦「飛燕」もしくは日本海軍第17大義隊の零戦)は19時25分、迎撃戦闘機の哨戒網を突破して対空砲火を避けるため一旦雲中に入り、19時33分に雲から出てきたかと思えばサンガモンに真一文字に突っ込んで、操舵室中央部に命中。爆弾は艦内部で爆発し、サンガモンに多大な損害を与えた。わずか15分の間に、格納庫や操舵室を初めとして艦のあちこちから制御不能なほどの火災が発生し、艦橋との音信が途絶えることとなった。悪い事に、火災は風に煽られてますます大きくなりつつあった。それでも、20時15分までには消火手順が整理され、乗員は大火災に立ち向かう事となった。爆弾の炸裂で消防装置にダメージがあって水圧が低かったものの、消火ガスボンベによって消火が始まった。また、近在の艦船もサンガモンの消火作業を手伝うため集合してきた。その甲斐あって、22時30分までには鎮火する事ができた。通信も、近接した駆逐艦フラム (USS Fullam, DD-474) を介した通信および、艦内で唯一使用可能だった航空機用超短波無線を利用して、23時20分頃までには回復した。サンガモンは11名の戦死者、25名の行方不明者および21名の重傷者を出した。生き残った乗員は、修羅場を潜り抜けて生き残れた事を祝ってアイスクリームを食べた。また、乗員の一人は「わが艦の飛行甲板を突き抜けたあの男は、私より立派だ。私には、あんなことはやれなかっただろう」と、サンガモンに命中した神風のパイロットを称えた。サンガモンは仮修理のため慶良間諸島に引き返した。
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神風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/23 01:38 UTC 版)
そうした神風特攻隊への思い、何故〈神風は吹かなかつた〉のかの問いの主題は、『海と夕焼』(1955年)で意識化され、金閣の美を燃やしてしまう『金閣寺』(1956年)を経て、〈などてすめろぎは人間となりたまひし〉と呪詛される「神の死」を主題とした『英霊の聲』(1966年)で顕現化されることになり、遺作『豊饒の海』の第2巻『奔馬』での神風連の乱の挫折の題材にまで繋がっていく。 われらはもはや神秘を信じない。自ら神風となること、自ら神秘となることとは、さういふことだ。人をしてわれらの中に、何ものかを祈念させ、何ものかを信じさせることだ。その具現がわれらの死なのだ。 — 三島由紀夫「英霊の聲」 三島にとって、〈人間の至純の魂が、およそ人間として考えられるかぎりの至上の行動の精華を示したにもかかはらず、神風は吹かなかつた〉ことは、〈行動と言葉〉の同義性、つまり特攻隊の〈行動の理念〉と、紀貫之の〈詩の理念〉の同義性を発見する契機でもあった。 力をつくして天地を動かせなかつたのなら、天地を動かすといふ比喩的表現の究極的形式としては、「力をも入れずして天地を動かし」といふ詩の宣言のはうが、むしろその源泉をなしてゐるのではないか。このときから私の心の中で、特攻隊は一篇の詩と化した。それはもつとも清冽な詩ではあるが、行動ではなくて言葉になつたのだ。(中略)「みやび」の裡に、文学固有のもつとも無力なものを要素とした力があり、私が言葉を信じるとは、ふたたび古今集を信じることであり、「力をも入れずして天地を動かし」、以て詩的な神風の到来を信じることなのであらう。 — 三島由紀夫「古今集と新古今集 一 私的序説」 これは、特攻隊が〈行動〉という形でありながらも、純粋な〈言葉〉(表現)であったということであり、〈言葉の有効性には何ら関はらない別次元の志〉を述べる『古今集』の序と相通じる〈一篇の詩〉だということを意味し、その〈究極の無力の力〉〈究極の脆い優雅〉の中心的な文化、それを体現しているものが三島にとっての〈天皇〉だった。
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神風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 14:09 UTC 版)
「SD戦国伝 武神降臨編」の記事における「神風」の解説
神風号とも。上杉謙信頑駄無の愛馬。謙信と合体し、超人馬合身と呼ばれる形態となる。
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神風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 05:46 UTC 版)
「セントルイス (軽巡洋艦)」の記事における「神風」の解説
次の10日間、セントルイスはスリガオ海峡を中心に対空哨戒を行った。11月27日の正午前、セントルイスらの部隊は神風特別攻撃隊春日隊および陸軍特別攻撃隊八紘隊の攻撃を受けた。セントルイスは最初の攻撃を簡単な反撃のみでかわしつつ、味方飛行機の空中援護を求めた。11時30分、新手の神風が3手に別れて攻撃を行い、11時38分に九九式艦爆と認識された神風がセントルイスの左舷側から突入し、艦尾に命中。格納庫で爆発して火災が発生し、この攻撃で7名から10名の20ミリ機銃員が戦死するか負傷した。11時39分には2機目の神風がセントルイスの左舷真横に向かって突入してきたが、セントルイスは全速力でこれを避け、この神風は4番砲塔の上を通り抜け、セントルイスから91メートル離れた海中に墜落した。 11時46分の時点では味方の援護は未だ来ず、11時51分にはさらに2機の神風が燃えながらセントルイスに向かってきた。1機目はセントルイスをかすめて海中に突っ込んだが、2機目は突入に成功してセントルイスの船腹の装甲を6.1メートルにわたって引き裂き、セントルイスの船体に無数の穴を開けた。12時10分にも別の神風の攻撃を受けたが、セントルイスの後方370メートルの地点に撃墜された。10分後、セントルイスはPTボートから雷撃機の接近を警告され、攻撃を回避して1機を撃墜した。12時36分までにはセントルイスへの攻撃は途絶え、30分後には全ての火災は消し止められ、後片付けが始まった。セントルイスは一連の攻撃で15名が戦死し、21名の重傷者と22名の軽傷者を出し、重傷者のうちの1名は後に死亡した。翌28日、セントルイスから負傷者が運び出され、セントルイスはサンペドロ湾で仮修理の後11月30日に出港してカリフォルニアに向かい、12月の終わりごろに到着した。
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