神風と元軍撤退理由とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 神風と元軍撤退理由の意味・解説 

神風と元軍撤退理由

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:00 UTC 版)

元寇」の記事における「神風と元軍撤退理由」の解説

元軍は戦況優位に進めた後、陸を捨てて船に引き揚げ一夜明かそうとしたその夜暴風雨受けて日本側が勝利したという言説教科書等に記載されているが、通常上陸作戦決行した場合、まず橋頭堡確保しなければならず、戦況優位に進めながら陸地放棄して、再び上陸作戦決行するなどは戦術的に有り得ないとされるまた、元側の史料高麗史』の記載によると、元軍は日本軍との戦闘苦戦強いられたため軍議により撤退決定し日本からの撤退途上暴風雨遭遇したとなっている。ただ、この撤退途上に元軍が遭遇した暴風雨については、気象学的には11月下旬には台風渡来はなく、あったとしても単なる強風であった可能性が高いとされる。 元軍が苦戦し撤退した様子は『高麗史』の記載の他、日本側の史料でも同様の記載確認できる文永の役当時鎮西からもたらされ飛脚報告載っている日本側の史料帝王編年記』によれば去月十月二十日蒙古武士合戦し、賊船一艘を取り、この賊船留める志賀島において、この賊船押し留めて、その他の蒙古軍追い返した」 と報じたとあり、同じく飛脚の報が載っている『五日記』においても「去月十月十九日二十日合戦があり、二十日蒙古軍兵船退散した」 とあり、交戦した武士らが中央政権に対して軍事的に元軍を撃退したことを報告している。また、他の史料日にち差異はあるが『関東評定衆伝』でも「(文永十一年)十月五日蒙古異賊が対馬攻め寄せ来着少弐資能代官馬允(宗資国)を討つ。同24日大宰府攻め寄せ来たり官軍日本軍)と合戦し、異賊(元軍)は敗北した」 と明確に日本軍勝利と元軍の敗北確認できる

※この「神風と元軍撤退理由」の解説は、「元寇」の解説の一部です。
「神風と元軍撤退理由」を含む「元寇」の記事については、「元寇」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「神風と元軍撤退理由」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「神風と元軍撤退理由」の関連用語

1
0% |||||

神風と元軍撤退理由のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



神風と元軍撤退理由のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの元寇 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS