神風と台風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 06:20 UTC 版)
「ジョン・S・マケイン・シニア」の記事における「神風と台風」の解説
海戦終了後の10月30日、マケインはミッチャーに代わって第38任務部隊の総指揮を執ることになった。その10月30日、サマール島東方洋上を行動していた第38.4任務群(ラルフ・E・デヴィソン少将)は神風特別攻撃隊葉桜隊の攻撃を受け、フランクリン (USS Franklin, CV-13) とベロー・ウッド (USS Belleau Wood, CVL-24) にそれぞれ1機命中して撃破し、フランクリンとベロー・ウッドは戦線離脱。ハルゼーは神風対策も兼ね、第38任務部隊の編成をこれまで4個任務群だったのを臨時に3個任務群に編成し直し、11月11日に予定されていた東京空襲を中止した。マケインは、任務部隊を陸岸から出来るだけ離すよう指示を出した。11月5日、今度はマケインの旗艦レキシントン (USS Lexington, CV-16) が神風特別攻撃隊葉桜隊の攻撃を受け、艦橋に1機命中し中破した。レキシントンはウルシーに後送され、マケインは旗艦をワスプに変更した。神風攻撃がますます脅威になるに及んで、マケインは新しい戦法を打ち出した。一つは、SB2C ヘルダイバーと TBF アヴェンジャーの数を減らし搭載戦闘機の数を倍増した上で、F6F ヘルキャットとF4U コルセアを戦闘爆撃機化して航空打撃力を底上げを図ることであり、もう一つは臨時編成だった3個任務群を正式に導入して、対空砲火と直衛戦闘機を濃密にしたことであった。 12月17日、マケインは折から艦隊に接近した台風に対し、「避けずに突破する」というハルゼーの決定を、自身の予想を述べた上で追認した。しかし、判断ミスにより艦隊は台風の真っ只中に突入する形となり、駆逐艦3隻が沈没して他の多くの艦艇にも損害が出た。また、146機の航空機と800名の乗組員が行方不明となった。ウルシー帰投後に開かれた査問委員会で、ハルゼーやマケインの判断ミスが災厄を招いたと結論付けられた。ハルゼーの更迭も考えられたが、国民的人気などを考慮して見送られた。1945年1月の南シナ海攻撃の後、ハルゼーは1月27日に、休養をとって戻ってきたスプルーアンスと交代して休養と次期作戦研究に入り、マケインもまたミッチャーと交代した。 1945年2月からの硫黄島の戦いを経て4月から沖縄戦が始まり、その最中の5月27日深夜、ハルゼーはスプルーアンスから交代して指揮を執り、翌28日にはマケインもミッチャーから交代した。マケインは空母シャングリラ (USS Shangri-La, CV-38) に自身の将旗を掲げた。直後の6月2日から3日にかけて、折りからの暴風雨の間隙を突いて九州を攻撃した第38任務部隊は、補給のため南に下がった。そこに、艦載機から台風の報告がもたらされた。ハルゼーは幕僚とともに台風の予想針路を検討した上で台風の南側に廻りこむよう指示し、全艦隊を南東方向に向かわせた。しかし、ハルゼーやマケインらの予測はまたもや外れ、コブラ台風の二の舞を演じることとなった。ハルゼーは戦術指揮を一時的にマケインに委譲し、マケインは全艦隊の針路を北に向けた。やがて第38任務部隊は台風から抜け出したが、コブラ台風の時とは違って沈没艦はなかったものの、重巡洋艦ピッツバーグ (USS Pittsburgh, CA-72) の艦首は大きくもぎ取られて漂流し、空母ホーネットおよびベニントン (USS Bennington, CV-20) の前部飛行甲板は折損してしまうなど、多大な被害が出てしまった。6月19日に第38任務部隊がレイテ湾に帰投するや否や、マケインはハルゼーらとともに戦艦ニューメキシコ (USS New Mexico, BB-40) で開かれた査問委員会に召喚された。今次の被害の原因はコブラ台風のときと同様、ハルゼーの判断ミスにあると結論付けられ、ハルゼーとマケインを今度こそ更迭すべきとの意見が出された。ハルゼーは国民的人気を理由にまたもや首が繋がったが、マケインは後ろ盾だったキングからも事実上見捨てられることとなり、近い将来に更迭されることが内定した。
※この「神風と台風」の解説は、「ジョン・S・マケイン・シニア」の解説の一部です。
「神風と台風」を含む「ジョン・S・マケイン・シニア」の記事については、「ジョン・S・マケイン・シニア」の概要を参照ください。
- 神風と台風のページへのリンク