沈没艦(完全損失艦)
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戦艦アリゾナ 被弾:800kg爆弾4・航空魚雷0 - 2 人的損失:戦死者1,177名・負傷者39名 被害詳細 - 命中した800kg徹甲爆弾の内の1発が第2主砲塔横の甲板を貫通し、前部主砲弾火薬庫で爆発。誘爆により艦首が破断、破断部分より大量の浸水があり沈没着底。艦体から漏れ出した重油に引火し大火災が発生、海面上にあった檣楼も炎に包まれ、第1戦艦部隊の司令官および戦艦戦闘部隊司令官である幕僚長のアイザック・C・キッド少将と艦長のフランクリン・ヴァン・ヴァルケンバーグ(英語版)大佐が戦死。大爆発により沈没したため、戦死者は1,177名にも上ったが、これはアメリカ海軍における単一艦艇での戦死者としては最多である。艦体損傷がひどかったため、遺族の要望にも関わらず引き揚げは行わず、第3、第5砲塔や対空機関砲、探照灯、カタパルトなどが取り外され、戦艦ペンシルベニアの修理やハワイの要塞砲として転用された。その後、沈没した艦体の真上にアリゾナ記念館が建設された。 戦艦オクラホマ 被弾:航空魚雷5 - 9(内1は特殊潜航艇から発射された魚雷の可能性あり) 人的損失:戦死者456名・負傷者30名 被害詳細 - 最初の魚雷が命中してから8分後に転覆した。1999年からの検証で、本艦を転覆させた最後の魚雷は、特殊潜航艇が発射した魚雷の可能性があるという研究結果が公表されている。あまりにも転覆するのが早かったため、400名が艦内に閉じ込められた。翌日に艦底をアセチレントーチで焼き切り救助を試みたが、生存していたのは32名であった。1943年3月に艦体をワイヤーケーブルで引き起こしたが、艦体の損傷が激しく修理は断念され、終戦後にアメリカ本土への移送中に沈没した。 標的艦ユタ 被弾:航空魚雷2 人的損失:戦死者64名 被害詳細:本艦は戦艦を改造した大型艦であったため、第一次攻撃隊・蒼龍雷撃隊により空母もしくはコロラド型戦艦と誤認され、魚雷2発が相次いで命中し10分で転覆。艦内に約70名が閉じ込められたが、救出されたのはわずか1名であった。ユタはコストの面より引き揚げは行われず、海底に沈んだままとなっている。
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沈没艦(復旧艦)
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戦艦ウエストバージニア 被弾:800kg爆弾2(1不発)・航空魚雷7 人的損失:戦死者157名・負傷者52名 被害詳細:魚雷の命中により左舷が大きく傾いたため、転覆防止のためと、弾薬誘爆防止のための大量注水で、主甲板まで沈下したが、その後に水平爆撃の800kg徹甲爆弾が2発着弾、内1発が艦橋を貫通した後に第2甲板まで達して炸裂、燃料火災が発生し、浸水もさらに進んだために総員退艦命令が出され、後に着底した。徹甲爆弾の炸裂により艦長のマーヴィン・シャープ・ベニオン(英語版)大佐が重傷を負い後に戦死している。1942年5月に引き上げられ修理と近代化改装を受けたが、修理中に艦内から20名の遺体が発見された。その遺体が発見された付近の隔壁にはその水兵らが残した文字が刻まれていたが、艦が沈没後、明かりも水も食料もない中で、水兵らが12月23日まで16日間も生存していたことが判明している。修理と近代化改装は1944年7月に完了した。 戦艦カリフォルニア 被弾:800kg爆弾1・250kg爆弾1・航空魚雷2 - 3 人的損失:戦死者106名・負傷者100名 被害詳細:水平爆撃で高度4,000mから投下された800kg爆弾が露天甲板を貫通後主甲板で炸裂、副砲の弾薬庫が誘爆し深刻な火災が発生。その後に、魚雷2 - 3発が左舷に命中、燃料タンクが破裂し大量の重油が流出。また燃料漏れの検査のため5区画でマンホールを開放していたため、命中した魚雷は2 - 3発であったが浸水は急激で、たちまち左舷に7.5°傾斜した。弾薬火災と流出した重油火災で復旧活動は困難となったため、総員退艦が命じられた。しかし艦はすぐには沈まず、日本軍の攻撃完了後に消火活動と救出活動を再開したが、その活動中の12月20日に着底している。 機雷敷設艦オグララ 被弾:なし(魚雷至近爆発) 人的損失:なし 被害詳細:蒼龍雷撃隊より大型艦と誤認されて雷撃されるが、喫水線が浅かったため、魚雷は艦底を通過し隣接して停泊していた軽巡洋艦ヘレナに命中した。しかしヘレナに命中して爆発した魚雷の爆圧で、水面下の船体が破壊されて浸水が始まり大きく傾斜した。横転してヘレナと接触する危険が高まったため、タグボートでヘレナから離れた位置に曳航(えいこう)していく途中で転覆した。引き揚げられた後、ドック艦に改修され1944年2月に再就役。
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