タマ33船団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:18 UTC 版)
眼前で僚船を撃沈された神州丸・吉備津丸に被害は無く、11月21日に上海沖合で沈没艦生存者をおろした。25日、無傷のタンカー船団(ヒ81船団)と分離したのち、26日と28日に高雄港(台湾)到着。タマ33船団に改編した。当時のフィリピン戦線では輸送船や機帆船はもちろん、駆逐艦や輸送艦(第一号型輸送艦、SB艇)すら次々に撃沈され、陸兵の輸送用船舶確保すら困難になっていた。このため、吉備津丸・神州丸(途中から青葉山丸を追加)による第二十三師団、第十師団、第十九師団の高雄~ルソン折り返し輸送の計画がたてられた。しかしフィリピン戦線の状況は日々悪化し、大本営の憂慮は深まるばかりだった。 吉備津丸と神州丸は第二十三師団残余のみを搭載し、30日に高雄を出発。12月2日、ルソン島北サンフェルナンド(当初のマニラより変更)へ到着、輸送部隊を揚陸し任務を達成した。12月4日、北サンフェルナンドを出発した。
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