主要船歴
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1933年4月8日 - 播磨造船所にて起工 1934年2月8日 - 神州丸と命名3月14日 - 進水 11月30日 - 引渡 12月15日 - 竣工 1935年2月26日 - 完全完成(呉海軍工廠にてカタパルト設置後) 1937年5月 - 舞鶴海軍工廠にて改装着手(舷側の水中防御を改善)7月 - 日中戦争勃発にともない改装工事を未成のまま帰港 8月 - 太沽上陸作戦参加。揚陸成功 11月 - 杭州湾上陸作戦参加。揚陸成功。 1938年10月 - バイアス湾上陸作戦参加。揚陸成功 1939年2月 - 海南島上陸作戦参加。揚陸成功 1941年12月 - 防空基幹船に指定。マレー作戦・シンゴラ上陸作戦参加。揚陸成功 1942年3月1日 - 蘭印作戦・ジャワ上陸作戦参加。揚陸成功第1次上陸部隊揚陸直後、バタビア沖海戦に巻き込まれ友軍の重巡最上の発射した魚雷が命中し大破、大傾斜着底。座乗していた第16軍司令官今村均陸軍中将以下、将兵が海に投げ出される 3月4日 - サルベージ作業開始 12月25日 - 応急修理のためシンガポールに移送 1943年7月 - 播磨造船所へ入渠10月 - 修理を完了。以降、数々の輸送・揚陸任務に従事 1944年6月 - ヒ65船団に加入し航行中、敵潜の雷撃を回避しようとした輸送船有馬山丸が船尾に衝突。爆雷が誘爆し大破・操舵不能になり約200人が死亡、台湾にて修理を行う11月 - ヒ81船団にあきつ丸・摩耶山丸・吉備津丸の特種船3隻等と共に加入。あきつ丸・摩耶山丸および護衛の神鷹を敵潜の雷撃によって喪失するも、神州丸・吉備津丸は生還 11月/12月 - 吉備津丸ともにタマ33船団を編成。揚陸成功 12月 - 吉備津丸・日向丸とともにタマ38船団を編成。揚陸成功 1945年1月3日 - 帰路、吉備津丸・日向丸とともにマタ40船団を編成し航行中、高雄沖にてアメリカ海軍第38任務部隊の空襲を受け炎上、放棄。吉備津丸・日向丸は生還漂流中に米海軍潜水艦アスプロの雷撃で沈没
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