1944年10月-1945年2月 第十二海防隊
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「第十四号海防艦」の記事における「1944年10月-1945年2月 第十二海防隊」の解説
1944年10月8日、ミ23船団を護衛するため佐世保発。9日、三池着。船団はここで編成を行う。14日、船団は佐世保に回航。18日、ミ23船団を護衛して佐世保発。ミリへ向け航行中の20日、本艦は第十二海防隊に編入。24日、船団は潜水艦の攻撃により損害を出し、26日に厦門で仮泊。同日厦門を出て、27日馬公着。船団はマニラ-ミリへ直進せず、西へ大きく迂回する航路を採ることとなった。29日、第十二海防隊はミ23船団を護衛してサンジャックへ向け馬公を出港。11月4日、サンジャック着。 11月9日、シンガポールへ向けサンジャック発。12日、シンガポール着。ミ23船団はミリへ向かわずシンガポールで解散となった。本艦は13日から15日まで、シンガポールの第百一海軍工作部で発電機と探信儀の修理を行う。16日、第十二海防隊はサンジャックへ回航。18日、サンジャック着。20日、第十二海防隊はサマ14A船団(特務艦間宮)を護衛してマニラへ向けサンジャック発。マニラヘ向け航行中の25日、コレヒドール島西方で僚艦の第38号海防艦が被雷沈没。対潜掃蕩と救難を僚艦に任せ、本艦はサマ14A船団を護衛してマニラへ向かう。26日、マニラに到着したがすぐに出港し、第十二海防隊諸艦と合同で対潜掃蕩と第38号海防艦の救難に従事。27日、マニラに帰投。同日第十二海防隊司令海防艦に指定され、海防隊司令角町與平海軍中佐が本艦に乗艦。28日、高雄で編成中のタマ33船団と合同のため、第十二海防隊はマニラを出港。30日、高雄に入港し即日タマ33船団(2隻)を護衛して高雄発。12月2日、サンフェルナンド着 12月4日、第十二海防隊は高雄へ回航のためサンフェルナンド発。7日、高雄着。9日、第十二海防隊はタサ18船団(5隻)を護衛してサイゴンへ向け高雄発。18日、サイゴン着。20日サタ04船団(6隻)を護衛してサイゴン発。30日、目的地の高雄に対する空襲が予想されたため、船団は高雄入港を取りやめて基隆へ向かう。31日、基隆着。 1945年1月3日、第十二海防隊はタモ34船団(元サタ04船団)を護衛して内地へ向け基隆発。9日、門司着。同日第十二海防隊は全艦呉へ回航し、本艦は1月10日から18日まで、呉海軍工廠第三船渠に入渠し修理を行う。19日、門司へ回航し、モタ33船団の編成を待つ。20日、第十二海防隊に第132号海防艦が編入。22日、第十二海防隊はモタ33船団(8隻)を護衛して門司発。29日、陸軍徴傭船くらいど丸が被雷沈没したため、本艦と第16号海防艦は現場に残り乗員の救助と対潜掃蕩にあたる。30日、基隆着。31日、第十二海防隊はタモ39船団(5隻)を護衛して内地へ向け基隆発。2月8日六連着。 2月13日、第十二海防隊はモタ36船団(第一分団2隻)を護衛して六連発。18日、基隆着。22日、タモ44船団(3隻)を護衛して基隆発。28日、六連着。
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1944年10月-1945年2月 第十二海防隊
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「第十六号海防艦」の記事における「1944年10月-1945年2月 第十二海防隊」の解説
1944年10月5日、マニラ着。6日、タマ29船団と合同のためサンフェルナンドへ向かう。8日、サンフェルナンド着。10日、船団とともにサンフェルナンド発。11日、タマ29船団から分離してタマ28船団の護衛に向かう。12日、マニラ着。17日、マシ03船団を護衛してシンガポールへ向けマニラ発。その後船団は楡林へ退避することとなり、21日に楡林に入港。楡林へ向け航行中の20日、第十二海防隊に編入。22日、本艦はヒ76船団と合同のため楡林発。25日、日本近海に達したところで第十二海防隊の僚艦と合同するためにヒ76船団から離れて馬公へ回航。27日、馬公着。本艦の馬公入港により、第十二海防隊の所属艦が揃った。29日、第十二海防隊はミ23船団を護衛してサンジャックへ向け馬公を出港。11月4日、サンジャック着。 11月9日、シンガポールへ向けサンジャック発。12日、シンガポール着。ミ23船団はミリへ向かわずシンガポールで解散となった。本艦は13日から15日まで、シンガポールの第百一海軍工作部で主砲と探信儀の修理を行う。16日、第十二海防隊はサンジャックへ回航。18日、サンジャック着。20日、第十二海防隊はサマ14船団(特務艦間宮)を護衛してマニラへ向けサンジャック発。マニラヘ向け航行中の25日、コレヒドール島西方で僚艦の第38号海防艦が被雷沈没。本艦は第46号海防艦とともに対潜掃蕩と第38号海防艦の救難にあたる。27日、マニラ着。28日、高雄で編成中のタマ33船団と合同のため、第十二海防隊はマニラを出港。30日、高雄に入港し即日タマ33船団(2隻)を護衛して高雄発。12月2日、サンフェルナンド着。 12月4日、第十二海防隊は高雄へ回航のためサンフェルナンド発。6日、本艦は春風と雑役船長島の救難のため分離。7日、春風の救難を干珠に引継ぎ、高雄へ回航。9日、高雄着。同日、第十二海防隊はタサ18船団(5隻)を護衛してサイゴンへ向け高雄発。18日、サイゴン着。20日サタ04船団(6隻)を護衛してサイゴン発。30日、目的地の高雄に対する空襲が予想されたため、船団は高雄入港を取りやめて基隆へ向かう。31日、基隆着。 1945年1月3日、第十二海防隊はタモ34船団(元サタ04船団)を護衛して内地へ向け基隆発。9日、門司着。同日第十二海防隊は全艦呉へ回航し、本艦は1月10日から18日まで、呉海軍工廠第三船渠に入渠し修理を行う。その際、水中探信儀を仮称三式に換装。19日、門司へ回航し、モタ33船団の編成を待つ。20日、第十二海防隊に第132号海防艦が編入。21日、皆元海防艦長が肺浸潤のため入院。22日、第十二海防隊はモタ33船団(8隻)を護衛して門司発。29日、陸軍徴傭船くらいど丸が被雷沈没したため、本艦と第14号海防艦は現場に残り乗員の救助と対潜掃蕩にあたる。30日、基隆着。31日、第十二海防隊はタモ39船団(5隻)を護衛して内地へ向け基隆発。2月8日六連着。 2月8日から11日まで、門司で探信儀の整備を行う。13日、第十二海防隊はモタ36船団(第一分団2隻)を護衛して六連発。18日、基隆着。22日、タモ44船団(3隻)を護衛して基隆発。28日、六連着。
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