1944年10月-1945年2月 第十二海防隊とは? わかりやすく解説

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1944年10月-1945年2月 第十二海防隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/14 13:45 UTC 版)

第十四号海防艦」の記事における「1944年10月-1945年2月 第十二海防隊」の解説

1944年10月8日ミ23船団護衛するため佐世保発。9日三池着。船団はここで編成を行う。14日船団佐世保回航18日ミ23船団護衛して佐世保発。ミリへ向け航行中20日本艦第十海防隊に編入24日船団潜水艦攻撃により損害出し26日厦門仮泊同日厦門出て27日馬公着。船団マニラ-ミリ直進せず、西へ大きく迂回する航路を採ることとなった29日第十海防隊はミ23船団護衛してサンジャックへ向け馬公出港11月4日サンジャック着。 11月9日シンガポールへ向けサンジャック発。12日シンガポール着。ミ23船団ミリ向かわずシンガポール解散となった本艦13日から15日まで、シンガポールの第百一海軍工作部発電機探信儀修理を行う。16日第十海防隊はサンジャック回航18日サンジャック着。20日第十海防隊はサマ14A船団特務艦間宮)を護衛してマニラへ向けサンジャック発。マニラヘ向け航行中25日コレヒドール島西方僚艦の第38号海防艦被雷沈没対潜掃蕩救難僚艦任せ本艦サマ14A船団護衛してマニラへ向かう。26日マニラ到着したがすぐに出港し第十海防隊諸艦と合同対潜掃蕩と第38号海防艦救難従事27日マニラ帰投同日第十海防隊司令海防艦指定され海防隊司令角町與平海軍中佐本艦乗艦28日高雄編成中のタマ33船団合同のため、第十海防隊はマニラ出港30日高雄入港し即日タマ33船団(2隻)を護衛して高雄発。12月2日サンフェルナンド12月4日第十海防隊は高雄回航のためサンフェルナンド発。7日高雄着。9日第十海防隊はタサ18船団(5隻)を護衛してサイゴンへ向け高雄発。18日サイゴン着。20日サタ04船団(6隻)を護衛してサイゴン発。30日目的地高雄対す空襲予想されたため、船団高雄入港取りやめて基隆へ向かう。31日基隆着。 1945年1月3日第十海防隊はタモ34船団(元サタ04船団)を護衛して内地へ向け基隆発。9日門司着。同日第十海防隊は全艦呉へ回航し、本艦1月10日から18日まで、呉海軍工廠第三船渠入渠修理を行う。19日門司回航し、モタ33船団の編成を待つ。20日第十海防隊に第132海防艦編入22日第十海防隊はモタ33船団(8隻)を護衛して門司発。29日陸軍傭船くらいど丸が被雷沈没したため、本艦第16号海防艦現場残り乗員救助対潜掃蕩にあたる。30日基隆着。31日第十海防隊はタモ39船団(5隻)を護衛して内地へ向け基隆発。2月8日六連着。 2月13日第十海防隊はモタ36船団第一分団2隻)を護衛して六連発。18日基隆着。22日タモ44船団(3隻)を護衛して基隆発。28日六連着。

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1944年10月-1945年2月 第十二海防隊

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第十六号海防艦」の記事における「1944年10月-1945年2月 第十二海防隊」の解説

1944年10月5日マニラ着。6日タマ29船団合同のためサンフェルナンドへ向かう。8日サンフェルナンド着。10日船団とともにサンフェルナンド発。11日タマ29船団から分離してタマ28船団護衛に向かう。12日マニラ着。17日マシ03船団護衛してシンガポールへ向けマニラ発。その後船団楡林退避することとなり、21日楡林入港楡林へ向け航行中20日第十海防隊に編入22日本艦はヒ76船団合同のため楡林発。25日日本近海達したところで第十海防隊の僚艦合同するためにヒ76船団から離れて馬公回航27日馬公着。本艦馬公入港により、第十海防隊の所属艦が揃った29日第十海防隊はミ23船団護衛してサンジャックへ向け馬公出港11月4日サンジャック着。 11月9日シンガポールへ向けサンジャック発。12日シンガポール着。ミ23船団ミリ向かわずシンガポール解散となった本艦13日から15日まで、シンガポールの第百一海軍工作部主砲探信儀修理を行う。16日第十海防隊はサンジャック回航18日サンジャック着。20日第十海防隊はサマ14船団特務艦間宮)を護衛してマニラへ向けサンジャック発。マニラヘ向け航行中25日コレヒドール島西方僚艦の第38号海防艦被雷沈没本艦は第46号海防艦とともに対潜掃蕩と第38号海防艦救難にあたる。27日マニラ着。28日高雄編成中のタマ33船団合同のため、第十海防隊はマニラ出港30日高雄入港し即日タマ33船団(2隻)を護衛して高雄発。12月2日サンフェルナンド着。 12月4日第十海防隊は高雄回航のためサンフェルナンド発。6日本艦春風雑役船長島救難のため分離7日春風救難干珠引継ぎ高雄回航9日高雄着。同日第十海防隊はタサ18船団(5隻)を護衛してサイゴンへ向け高雄発。18日サイゴン着。20日サタ04船団(6隻)を護衛してサイゴン発。30日目的地高雄対す空襲予想されたため、船団高雄入港取りやめて基隆へ向かう。31日基隆着。 1945年1月3日第十海防隊はタモ34船団(元サタ04船団)を護衛して内地へ向け基隆発。9日門司着。同日第十海防隊は全艦呉へ回航し、本艦1月10日から18日まで、呉海軍工廠第三船渠入渠修理を行う。その際水中探信儀仮称三式換装19日門司回航し、モタ33船団の編成を待つ。20日第十海防隊に第132海防艦編入21日皆元海防艦長肺浸潤のため入院22日第十海防隊はモタ33船団(8隻)を護衛して門司発。29日陸軍傭船くらいど丸が被雷沈没したため、本艦第14号海防艦現場残り乗員救助対潜掃蕩にあたる。30日基隆着。31日第十海防隊はタモ39船団(5隻)を護衛して内地へ向け基隆発。2月8日六連着。 2月8日から11日まで、門司探信儀整備を行う。13日第十海防隊はモタ36船団第一分団2隻)を護衛して六連発。18日基隆着。22日タモ44船団(3隻)を護衛して基隆発。28日六連着。

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