特務艦とは? わかりやすく解説

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とくむ‐かん【特務艦】

読み方:とくむかん

戦闘には加わらず、他の艦艇活動支援することを任務とする海軍艦艇総称工作艦砕氷艦標的艦測量艦給油艦など。


特務艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 09:30 UTC 版)

宗谷 (船)」の記事における「特務艦」の解説

1939-1941年 1939年昭和14年11月海軍による買い上げが決まる。12月海軍2275000円購入費として計上した12月20日地領丸東京石川島造船所深川第一工場ドック回航し、乗組員下船した1940年昭和15年2月20日、「宗谷」と命名され同日付で特務艦に編入雑用運送艦砕氷型)に類別された。雑用運送艦とは石炭兵器等、積荷限定せず、その時に応じて兵員包装した食糧ドラム缶入り燃料等、何でも運び測量砕氷等の業務をおこなう艦のことである。なお、この日を正式購入日とする説がある。海軍民間から購入した特務艦として唯一の事例となる。 石川島造船所にて、8cm単装高角砲1門、25mm連装機銃、測探儀室、測量作業増設などの改装を行う。6月4日、特務艦としての改装工事完了し横須賀鎮守府籍となる。類別では運送艦だったが、海軍老朽化した砕氷艦大泊」の不足を補う役目本艦期待し新鋭砕氷艦ができるまでの繋ぎとして千島樺太など北洋水域後方補給・物資輸送および同海域での強行測量艦として運用するつもりであった初代特務艦長山田雄二中佐当時の艦体色灰色だった。 12月20日ソ連通商部は東京民事裁判所に提訴し前払い建造費の返還違約金支払い求めた本船購入問題は、ソ連政府モスクワ駐在大使東郷茂徳解決をせまるほどの大問題に発展する裁判中ノモンハン事件発生している。結局裁判1941年1月ソ連政府建川美次大使との交渉政治決着した。 6月4日宗谷長浦港ドック出て横須賀向かった所属横須賀鎮守府部隊付属となる。最初の任務北樺太調査だった。10月11日紀元二千六百年特別観艦式拝観艦の一隻として参加した番外13隻のうち9番目)。10月22日松本太郎中佐艦長着任する11月12日測量気象海象観測任務のためサイパン島赴く12月16日測量終え横須賀向けて出航した1941年昭和16年2月8日、再びサイパンに赴き、3月末まで調査続けて横須賀帰還した5月7日ポナペ向けて出港した5月24日コロニア基地を置き、ポナペトラック島の間を測量おこない7月30日トラック島戻ったトラック泊地第四艦隊司令長官井上成美中将旗艦鹿島)の根拠地であり、宗谷測量傍ら輸送任務従事した当時宗谷海洋測量艦として機能発揮するため、水路部より測量技師、技生と測量艇が常時二隻配置付いており、遠洋漁船徴用した測量隊の陣容大所帯だった。多数測量技術者最新測量機材器具搭載しフル回転させた技術は、艦の型の悪さ反して随一といわれていた。空にはラジオゾンデを何千個も揚げ昼夜問わず高層気象観測取り組み九〇式測探儀、九一探信儀英式音響測探儀等、また電動手動あらゆる機器駆使して当時軍機海図作り上げた8月26日サイパンにて久保田智中佐艦長着任するその後、東カロリン諸島トラック諸島ポナペ島測量おこない11月1日サイパン出港11月13日横須賀帰港し入渠した。 1941年12月8日横須賀日米開戦の報を受ける。 1942年 1942年昭和17年1月7日宗谷横須賀出発南洋にむかう。1月20日付で第四艦隊司令長官井上成美中将)に編入された。その後幾度かトラック泊地横須賀往復したこの頃南洋部隊第四艦隊)は南雲機動部隊支援得てビスマルク諸島ニューブリテン島ニューアイルランド島)を占領したラバウルの戦い)。宗谷ビスマルク諸島ソロモン諸島測量命じられ3月8日ラバウル到着した宗谷ラバウル拠点に、ニューイアルランド島やブーゲンビル島測量をおこなう。 3月22日ラバウル周辺のマッサバ掃蕩作戦参加する。この時、第八特別根拠地隊司令官金沢正夫中将乗艦したため宗谷初め将旗掲げられた。3月23日宗谷浅瀬を通る水船のための泊地水路調査を、測量艇による調査音響測探を実施して出入り水船の安全を確保した。これによりラバウル港に出入りする艦船に、真水安心して供給できるようになった3月下旬北部ソロモン諸島攻略をおこなう。八特根陸上警備隊乗せた宗谷は、睦月型駆逐艦3隻(睦月弥生卯月とともにショートランド島向かった3月30日午前4時ショートランド泊地到着陸戦隊上陸させ通信機器揚陸して通信所仮設した後、水路測量取り掛かる。この直後米軍双発飛行艇襲撃される随伴駆逐艦隊が応戦し撃退成功する同日午後4時キエタ向かった3月31日午前1時、ブーゲンビル島東側キエタ港に進入艦内からも陸戦部隊編制し部隊キエタ街に突入した、街はもぬけの殻だったので無血上陸成功する作戦完了した宗谷ラバウル戻った4月6日13ミリ機銃2基増設4月7日陸戦隊大発搭載しラバウル出港する翌日早朝、タラシー湾に進入し陸戦隊揚陸させ無血上陸成功した同日ダンピール海峡水路調査向かった4月15日デュークオブヨーク島(英語版)に向けてラバウル出港する4月23日測量中に双発機襲撃される被害なし。4月下旬第八根拠地隊MO作戦の準備に入る(珊瑚海海戦)。宗谷任務ニューギニア島東部水路調査であった5月6日13ミリ機銃1基増設5月17日13ミリ機銃1基を陸揚した。同17日ミッドウェー作戦参加のため、第四艦隊指揮下を離れラバウル出発する5月25日までに、ミッドウェー島占領隊と護衛部隊(第二水雷戦隊第七戦隊)はサイパン島もしくはグアム島集結した5月26日連合艦隊下令により宗谷南洋部隊第四艦隊)から除かれ第二期第三期作戦中は攻略部隊指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官旗艦愛宕)に編入されることになった占領地における測量が、宗谷任務であった。同26日護衛隊指揮官田中頼三少将第二水雷戦隊司令官旗艦神通)は、低速輸送船2隻(明陽丸、山福丸)を第21駆潜隊護衛下で先発させる。また宗谷も9ノットかでないので、船団本隊航路を単艦で先行させた。宗谷は単艦でミッドウェー島向かった6月3日第八戦隊利根型重巡洋艦2隻(利根筑摩)に信号を送る。ただし第八戦隊南雲機動部隊直衛のため、宗谷下船部隊より遙か北方航行中だった。攻略船団宗谷付近行動していた巡洋艦部隊は、第七戦隊司令官栗田健男中将指揮する最上型重巡洋艦4隻と朝潮型駆逐艦2隻である。6月4日ミッドウェー島北西500海里B-17九機と交戦被害なし。同日12時15分、宗谷ミッドウェー島600地点で、敵味方不明中型陸上機一機発見報告した6月5日0900頃、南雲機動部隊空母3隻炎上速報が入る。1000攻略部隊指揮官近藤信竹中将は、船団部隊避退下令した。これを受けて船団撤退開始した同時刻、護衛部指揮官田中頼三少将は、低速宗谷などにに対し直ちウェーク島への転針を命じた船団部隊は特に被害なく退避成功する6月8日2030、近藤中将は『 二水司令官九日補給終了後特令ニ依リ 第十六駆逐隊ヲ率ヒ護衛隊占領隊ニ会合シ 二聨特、一木支隊大宮島及「サイパン方面第十一、第十設営隊、慶洋丸、五洲丸ヲ「トラック」ヘ護衛第一号、第二号、第三十四号哨戒艇原隊復帰セシメタル上 内海西部ニ回航スベシ 第十掃海隊、宗谷(第四測量隊)ハ右護衛任務終了後第四艦隊司令長官指揮下ニ復帰ノコトトス 』と指示したウェーク島からポナペ撤収し宗谷MI作戦終了した第四艦隊復帰命令受けたあと、ふたたびラバウル方面防備部隊所属するポナペからトラック島経由してラバウル進出ビスマルク諸島戻ってきた。7月になると、ニューアイルランド島カビエン周辺行動するカビエンニューハノーバー島の間に散在する小島ステファンバイロン海峡測量航路浮標設置任務就いた8月4日ラバウル帰投した。第八艦隊司令長官三川軍一中将参謀長大西新蔵少将先任参謀神重徳大佐)の指揮下に入る。8月7日海兵隊第1海兵師団ガダルカナル島上陸しガダルカナル島攻防戦始まった第八艦隊は、佐世保第五特別陸戦隊と第81警備隊兵士519名を敷設艦津軽宗谷、明陽丸(5,628 t)に分乗させ、第二十一号掃海艇護衛をつける。3隻(津軽宗谷、明陽丸)は海軍陸戦隊乗せフロリダ諸島の戦いアメリカ海兵隊占領されツラギ島奪還向かった8月8日セント・ジョージ岬沖合において、アメリカ潜水艦S-38 (SS-143) の雷撃で明陽丸が大破沈没する奪回作戦中止命令により、宗谷ラバウル戻った同日外南洋部隊指揮官三川軍一第八艦隊司令長官旗艦鳥海率いる“三川艦隊”がガ島鉄底海峡突入して第一次ソロモン海戦発生した。だが宗谷津軽撤退していたので、第八艦隊早期ツラギヘンダーソン飛行場奪回失敗した8月9日ラバウルB-17爆撃機少数襲い宗谷至近となった横須賀帰還命令を受け、トラック泊地経由し8月28日横須賀到着した9月14日横須賀からラバウルへむけて出港9月下旬到着した10月5日ラバウルからブイン移動するソロモン諸島北部港湾測量掃海、錘量浮標設置行ったブカ島向けて航行中10月16日B-17重爆2機から爆撃されたが、すべて至近弾となり難を逃れた11月20日ラバウル帰投した。ラバウル頻繁に空襲を受けるようになり、宗谷も危うい場面幾度かあったという。 ふたたびブーゲンビル島出動しブイン周辺測量をおこなう。12月27日ブインを出る。翌12月28日ブカ島クイーンカロライン港に到着翌年1月1-31日にかけて港付近測量掃海、錘量浮標設置海図設計ブカ島滑走路航空隊導入のための下地作りおこなった1943年 1943年昭和18年1月28日ブカ島クイーンカロライン沖で測量海図仕上げ最中午前6時55分、敵潜水艦から発射され魚雷4本のうち1本が右舷後方命中するも、不発であったため難を逃れた護衛第二十八駆潜艇爆雷投下し、この潜水艦撃破した。ただし、米軍記録では該当する潜水艦喪失記録はない。アメリカ潜水艦グリーンリング (USS Greenling, SS-213) の記録では1月18日、.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯0204東経15037分 / 南緯2.067度 東経150.617度 / -2.067; 150.617の地点宗谷撃破となっているが、この時期宗谷ブカ島クイーンカロライン近辺測量などをおこなっていた。 4月26日艦長天谷嘉重大佐交代した4月28日ラバウル出発し水路測量のためサンタイサベル島赴く4月30日イサベル泊地到着測量任務開始した直後、翼を休めていた敵飛行艇と遭遇撃ち合った後、敵飛行艇は飛び去った5月5日、B-24と交戦12分間戦闘の間に、高角砲19発、20ミリ機銃120発、13ミリ機銃480発、7.7ミリ機銃138発の弾丸撃った撃墜には至らなかった。機銃掃射至近弾により測距儀故障し、2名の負傷者がでた。同日カビエン向けてイサベル泊地をあとにした。 5月23日午前2時24カビエンの港にて敵機襲撃をうけた。至近弾の爆発震動によって「九〇式一型一転羅針儀ジャイロコンパス)」と「音響測探儀」が故障し横須賀修理に戻ることになった6月3日カビエン出港しトラック島に6泊したあとサイパン寄港し6月24日横須賀帰港した7月19日横須賀出港7月29日トラック泊地到着8月6日駆逐艦夕月第二十八駆潜艇護衛艦に、朝風丸、山霧丸北開丸を率いてラバウル出発した9月27日輸送船団率いてラバウル出港10月2日トラック島到着10月8日、数隻の大発搭載し上陸部隊乗せマーシャル諸島クェゼリン向かった10月13日早朝クェゼリン目前アメリカ潜水艦シードラゴン (USS Seadragon, SS-194) から雷撃をうけるも被害なし。午前9時クェゼリン到着した宗谷陸軍部隊移乗し大発を見送ると、夕方ルオット移動した1944年 1月初旬ブラウン島から燃料食料補給のためクェゼリン向けて出港用意をしていると前艦長久保田智大佐(第24駆逐隊司令)が来訪クェゼリン食料不足してる」と忠告されトラック島針路をかえた。 1月14日久保田司令率い駆逐艦海風などの護衛受けてブラウン島を出航する1月18日海風涼風および潮(第7駆逐隊)などがトラック島到着した2月1日第八艦隊から連合艦隊付属編入された。 2月17日第58任務部隊 (Task Force 58) によるトラック島空襲遭遇しトラック泊地夏島周辺対空戦闘をおこなう。同17日午後回避行動中に座礁したアメリカ軍は、空母エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) の艦上攻撃機TBFアヴェンジャーにより、レーダーのみを用いた夜間航空攻撃実施しようとしていた。翌2月18日午前1時すぎ、夜間空襲によりに宗谷損傷する米軍機1機を撃墜するも、測探儀と20mm機銃大破副艦長を含む9名が戦死し天谷艦長重傷負った弾薬使い果たす福島大尉指揮官代行し機密書類焼却した後、総員退艦命令出した2月19日満潮により宗谷は自然離礁して漂流する夏島避難していた乗組員は、再び宗谷乗り込んで応急修理実施した至近弾の衝撃機関部若干損傷受けていたが、他に大きな被害はなかったという。こうして宗谷脱出成功したが、天谷嘉重大佐は艦放棄責任エニウェトクの戦い巻き込まれ第四測量全滅責任をとわれ、2月28日付で更迭された。 3月17日トラック泊地出港サイパン移動した3月24日宗谷第十一水戦隊司令官高間少将指揮下、東松第二船団陽炎型駆逐艦野分神風型駆逐艦朝風海防艦満珠敷設艇巨済駆潜艇4隻、宗谷含め加入船舶14隻)に所属してサイパン出発横須賀へ向かう。3月26日ボイラー故障により護衛艦2隻と共に船団部隊からの離脱余儀なくされる3月28日小笠原諸島父島二見港到着応急修理実施する4月4日二見港出港4月7日横須賀帰港する4月9日日本鋼管浅野ドック入り測量艦から輸送艦改装される。測探儀や観測機器撤去し25mm機銃を4機増設、円管から海軍制式水管缶の交換をおこなう。4月22日に出渠する。 5月7日戦車第十一連第四梯団乗せた天領丸と大湊合流し駆逐艦とともに護衛する5月15日幌筵島到着25日横須賀帰着、これ以降ボイラー不調になやまされ修理試運転翌年2月まで繰りかえす。なお、姉妹船である天領丸とは最初で最後行動となった5月30日志和大佐艦長就任8月20日志和大佐横須賀にて退艦。8月28日三式一号電波探信儀三型搭載する1945年 1945年昭和20年1月20日横須賀鎮守府付属雑用艦に配置換えがあり、宗谷2月輸送任務復帰する2月27日、「特攻輸送艦」として軍事物資積み横須賀出港3月2日室蘭到着3月4日山内正大佐艦長就任するこのあと物資荷揚げし石炭などを搭載青森県八戸石炭運んで室蘭に戻る。3月23日横須賀帰港するこれをもって第一次輸送任務完了する3月25日第二次輸送についた5月29日姉妹船天領丸」がアメリカ潜水艦スターレット (USS Sterlet, SS-392) に撃沈された。天領丸が海に消えた日、宗谷第四次輸送任務終えて横須賀軍港にいた。6月19日第五次輸送任務完了する6月24日物資積載し満州にむけて神津丸永観丸を連れて横須賀出港同日午後海防艦四坂、第五十一号駆潜艇横須賀沖で合流し護衛についた6月25日第三十三号掃海艇護衛に加わる、6月26日宗谷第一六二四船団(神津丸永観丸、海防艦四坂、第五十一号駆潜艇第三十三号掃海艇)と大湊警備府第九〇三海軍航空隊の九〇三空水上機隊の航空支援受けて船越湾大釜崎沖を航行中アメリカ潜水艦からの雷撃をうける。この攻撃で神津丸轟沈永観丸が被雷擱座魚雷1発が宗谷の下を通過した宗谷護衛艦爆雷反撃し潜水艦撃退した7月27日横須賀帰港し第六輸送任務完了する同日ドック入りする。8月2日横須賀ドック入りしている時、戦艦長門病院船氷川丸と共に空襲を受ける。被弾し敵機補助燃料タンク増槽)を投下して逃避したが、このタンク宗谷機関室真上天窓命中ガラス破損しガソリン機関室内で蒸発する室内気化しガソリン充満してしまったが、幸い入渠中のため火気がなく爆発免れる空襲終わった後、宗谷乗組員長門派遣された。翌8月3日横須賀鎮守府避退指令受けた宗谷は、標的艦大浜伴い女川向かった8月4日女川到着し大浜同地に残る。8月6日夕方宗谷第七輸送任務のため室蘭向けて単独出港した8月7日早朝、第37任務部隊 (Task Force 37) に接近されるが濃くなり、その包まれ宗谷八戸港逃げきることに成功する。この乗組員に神の衣と呼ばれた8月8日早朝八戸出港同日午後室蘭到着する8月15日室蘭港防空訓練中に終戦むかえた8月17日石炭積んで室蘭出港する八戸港経由して8月21日横浜湾に到着する台風影響により横須賀港入ったのは8月24日午後4時だった。同日第七輸送任務終了する8月29日軍艦旗降ろす。8月30日引き渡し終了山内艦長以下全員退艦。9月5日海軍籍から除籍された。

※この「特務艦」の解説は、「宗谷 (船)」の解説の一部です。
「特務艦」を含む「宗谷 (船)」の記事については、「宗谷 (船)」の概要を参照ください。

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特務艦

出典:『Wiktionary』 (2021/08/16 01:35 UTC 版)

名詞

   (とくむかん)

  1. 直接戦闘には参加せず特別な任務や他の艦艇活動支援する大型軍艦総称

「特務艦」の例文・使い方・用例・文例

  • 特務艦
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