第十六駆逐隊とは? わかりやすく解説

第十六駆逐隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 09:26 UTC 版)

雪風 (駆逐艦)」の記事における「第十六駆逐隊」の解説

1943年昭和18年2月1日より3回におよぶガダルカナル島撤収作戦ケ号作戦)に参加大成功収めた第一次作戦では巻雲沈没巻波大破した第二次作戦では舞風大破し江風黒潮損傷した第三次作戦では磯風大破した駆逐艦次々と損傷する激し任務雪風無傷完遂した。 最終第三次作戦前に、この作戦直接指揮した第八艦隊司令部駆逐艦出撃渋っている。二回の撤収で既にアメリカ軍作戦見破られたとの懸念加え連合艦隊駆逐艦喪失激減悩んでおり、第八艦隊司令部は、第三次作戦方式変更し駆逐艦ではなく大発などの舟艇により島伝い脱出させようとの意見出した。これに対し陸軍側は、田沼参謀次長第十七軍の宮崎参謀長らが海軍の作戦会議出席し舟艇による脱出成功可能性が下がるとして駆逐艦出撃要請議論平行線辿った時、雪風菅間艦長浜風の上艦長から「予定通り駆逐艦でやるべき」との発言があり、臨席していた駆逐艦長全員もこれに賛同し第三次作戦駆逐艦隊で行う事が決定した南東方面艦隊司令部参加する駆逐艦四分の一(五隻)沈没四分の一損傷合計十隻の損害予想したが、はるかに少な損害ガダルカナル島撤収作戦予想上の戦果をあげた。 2月末、雪風は第16駆逐隊僚艦時津風と共に第三水雷戦隊司令官木村昌福少将旗艦白雪乗艦)の指揮下に入り、第11駆逐隊白雪第8駆逐隊朝潮荒潮、第9駆逐隊朝雲、第19駆逐隊浦波敷波と共に輸送船団8隻を護衛してラエ向かった3月2-3日アメリカ軍オーストラリア連合軍機の空襲反跳爆撃)によって輸送船団全滅し3000人が戦死するビスマルク海海戦発生した3月2日空襲の際、旭盛丸が沈没すると、雪風朝雲は旭盛丸に乗っていた陸軍58師団918名を救助し、一旦船団離れ目的地ラエ急行する雪風乗せていた第51師団師団長下司令部30と共に無事揚陸させた。雪風朝雲は翌3日早朝輸送船団復帰するが、この日も連合軍爆撃隊の空襲を受け輸送船団全滅護衛駆逐艦半数(8隻中4隻)が撃沈された。雪風時津風乗員収容した後(時津風3月4日日本軍航空隊およびアメリカ軍航空隊爆撃沈没)、朝雲敷波浦波と共に戦場一度離脱浦波救援駆け付けた初雪救助した兵を移乗させた後、深夜朝雲敷波と共に再び戦闘海域に戻ると、漂流中の荒潮発見し生存者100名を救助した3月4日雪風カビエン寄港の後5日ラバウル到着する救助した兵を病院船まで送ると、6日朝に工作艦山彦丸に横付けして艦の整備始めた3月5日ビラ・スタンモーア夜戦沈没した2隻の駆逐艦村雨峯雲)に代わりコロンバンカラ方面への輸送任務出撃するよう命令受けたため同日午後整備中止3月7日早朝雪風ラバウル出発し3月8日朝雲長月浦波敷波と共にコロンバンガラ島輸送作戦実施する13日今度朝雲長月と3隻でコロンバンガラ島輸送従事する。この時、3月5日ビラ・スタンモーア夜戦撃沈された村雨峯雲生存者(第2駆逐隊司令種子島洋二村雨艦長含む)を収容しショートランド泊地送り届けたその後、約2か月ソロモン海域で輸送任務従事したこの頃、第16駆逐隊無事に行動していたのは雪風だけで、天津風修理の後に南東方面部隊編入初風7月まで修理行っていた。4月2日から3日にかけて雪風天霧望月と共にサンタイサベル島レカタ基地への輸送任務従事3月29日天霧らの輸送分と併せて兵員300名、弾薬糧食など250トンを同基地運んだ。同3日、レカタを出発するブイン第38号哨戒艇合流後、亜豊丸宝運丸、厚丸を護衛してラバウル向かった5日ラバウル着。10日には雪風五月雨夕雲秋雲によるニューギニア島フィンシュハーフェン輸送任務実行される雪風五月雨ニューブリテン島南側航路フィンシュハーフェン目指したが、途中で偵察隊発見されたためラバウル帰投。同島北側航路フィンシュハーフェン向かった夕雲秋雲ニューブリテン島ツルブ目的地変更した12日雪風五月雨ニューブリテン島北側通って再びフィンシュハーフェン向かったツルブ目的地変更し13日兵員物資揚陸した。18日水上機母艦神川丸トラックまで護衛21日トラック到着4月27日、第16駆逐隊司令荘司大佐から島居大佐交代となり、雪風着任した1943年昭和18年5月アリューシャン列島アッツ島アメリカ軍上陸してアリューシャン方面の戦い不利になったため、トラック泊地連合艦隊主力艦艇は順次内地帰投する。5月3日雪風第十戦隊阿賀野夕雲秋雲と共に第一航空戦隊瑞鶴瑞鳳護衛してトラック泊地出発5月8日に呉に到着した5月11日大和榛名雲鷹沖鷹らの護衛のため大分沖に移動の後、12日大和榛名護衛して呉に入港雲鷹沖鷹長波らに護衛され横須賀向かった)。ここで乗員休暇与えられる予定だったが、アリューシャン方面戦局予想以上に悪化したため、雪風にも第一航空戦隊護衛として出撃命令が下る。5月23日までに木更津沖に向かい北方作戦出撃準備進めるが、29日アッツ島陥落の報を受け出撃中止横須賀回航の後、6月1日改装のため呉に入港した。呉での改装では25mm機銃増設とともに当時最新兵器であった逆探装備されている。

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