太平洋戦争前半とは? わかりやすく解説

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太平洋戦争前半

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 00:31 UTC 版)

秋風 (駆逐艦)」の記事における「太平洋戦争前半」の解説

1941年昭和16年12月8日太平洋戦争大東亜戦争開戦時、「秋風」は台湾高雄市所在で、不時着機の救難任務従事した秋風駆逐艦長は、卓次少佐海兵56期であった緒戦における第34駆逐隊羽風秋風太刀風)は第十一航空艦隊所属し南方作戦マレー作戦比島作戦蘭印作戦)における輸送海上護衛作戦など、おもに後方での支援作戦従事するこの頃になると峯風型は老朽化進み、各艦とも最大発揮速力32ノット前後まで落ち込んでいた。 1942年昭和17年2月、「秋風」は蘭印作戦にともないインドネシアバンダ海のアンボン島方面進出した4月22日アンボン出発して内地にむかう。5月4日秋風舞鶴帰投して、舞鶴海軍工廠修理整備おこなった6月8日舞鶴出発する船団護衛おこないつつ南東方面にむかい、6月22日ニューブリテン島ラバウル進出した8月7日以降ガダルカナル島の戦いが始まると、第34駆逐隊秋風羽風太刀風)もラバウル拠点にして、護衛任務強行輸送任務鼠輸送)に投入された。第一次ソロモン海戦における「秋風」は、水上機母艦秋津洲と共に日本軍基地航空隊十一航空艦隊不時着機の救助任務従事している。9月1日、「秋風」はブカ島近海空襲を受け小破10月25日空襲を受け中破本艦損傷を受けながら、最前線活動続けた1942年昭和17年12月24日日本海軍南東方面艦隊司令長官草鹿任一中将参謀長中原義正少将)を編制するが、同艦隊司令部第十一航空艦隊兼務であり、「秋風」以下第34駆逐隊ひきつづき南東方面艦隊/第十一航空艦隊直属隊として行動した12月17日僚艦太刀風」は空襲をうけて損傷、いったん佐世保戻って修理をおこなう。 1943年昭和18年1月23日、第34駆逐隊僚艦羽風」が水上機母艦秋津洲」を護衛中に米潜水艦ガードフィッシュ」に撃沈され、同隊は2隻編制秋風太刀風となった3月14日、「秋風」はニューアイルランド島要港カビエン出発15日にカイリル島、16日にロレンガンに立ち寄り17日カビエン着、18日迄にラバウル戻った。この航海中、下記虐殺事件発生した

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太平洋戦争前半

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 00:51 UTC 版)

川島立男」の記事における「太平洋戦争前半」の解説

駆逐艦時津風」は第二水雷戦隊司令官田中頼三第十六駆逐隊司令渋谷紫郎)に属し駆逐艦長中原義一郎であった開戦後フィリピン攻略戦従いレガスピー上陸作戦などに参加している。 1942年昭和17年1月海軍大尉進級していた川島潜水学校特修科学生となった日本海軍において潜水艦海兵出身者人気のある進路ではなく戸高一成は、海兵首席潜水艦志望したものは川島だけではないか述べている。5月には「伊31潜水艦水雷長に補された。同艦は竣工したばかりの新鋭艦で、8月まで慣熟訓練行ってから南方進出しガダルカナル島への輸送任務就いた

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太平洋戦争 前半

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 14:49 UTC 版)

宇野亀雄」の記事における「太平洋戦争 前半」の解説

1940年昭和15年7月、「呂64潜水艦長補される。同艦は第七潜水戦隊第三十三潜水隊属し僚艦艦長には藤森康男などがいた。第七潜水戦隊は、開戦前には第四艦隊属し南洋配置された。司令官大西新蔵元には9隻の呂六〇型潜水艦があったが、大西が「南洋配備することすら無理」、「実撃は無理」と述べているように、旧式潜水艦艦内環境忍耐要するものであった宇野真珠湾攻撃時にハウランド島方面偵察等を行い、のちラバウル攻略戦にも参加している。 1942年昭和17年3月、「伊175潜水艦長就任する。同艦は1938年昭和13年12月竣工した新鋭艦であり、先遣部隊編入される第十一潜水隊所属しクェゼリン環礁進出した。ここで同潜水隊第二次K作戦実施命令が発せられる。この作戦は「二式大艇をもって真珠湾偵察することを目的としていた。連合艦隊司令部ミッドウェー島攻略予定しており、米海軍動静事前偵察しようと図ったのである。「伊175」の任務オアフ島南西80マイル進出しオアフ島監視すること、また気象情報通報することであった。しかし米海軍暗号解読からミッドウェー方面大作が行われること察知しており、給油地に予定されていたフレンチフリゲート礁水上艦艇派遣したため作戦中止となったミッドウェー海戦生起したのはそれから5日後のことである。海戦中の「伊175」は散開線に就いていた。その後、「伊175」は豪州方面交通破壊戦従い、2隻(3028t)を撃沈し、1隻(3279t)を撃破したガダルカナル島の戦いにも参戦したが、11月には「日新丸」と接触事故起こり修理のため横須賀帰港した12月、「伊175潜水艦長の任を後任譲り潜水学校教官転じる。なお「呂64」、「伊175」の両艦とも後任艦長は「リスカム・ベイ」を撃沈する田畑直海兵58期であった

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