第十一航空艦隊とは? わかりやすく解説

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第十一航空艦隊 (日本海軍)

(第十一航空艦隊 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 14:04 UTC 版)

第十一航空艦隊は、大日本帝国海軍の部隊。略称は11AF[1]


注釈

  1. ^ 軍令部総長の上奏[5]〔 右ノ改変ニ依リマシテ 艦隊作戦ニ密接ナル関係ヲ有シテ居リマス大型基地航空兵力及対米第二段作戦ノ場合ノ哨戒兵力ヲ全部 聯合艦隊司令長官ノ指揮下ニ編入セラルルコトトナリ 其ノ適切ナル作戦実施ニ好都合トナリマシタ 〕
  2. ^ 第一航空艦隊(司令長官南雲忠一中将)は1941年(昭和16年)4月10日に新編された[8]

出典

  1. ^ 戦史叢書91 1975, p. 002a付表第二 聯合艦隊編制推移表(昭和十四年十一月十五日~十六年十二月十日)
  2. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 512a-513第六艦隊・第十一航空艦隊新編
  3. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 371–373.
  4. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 373–375対米支作戦―第五艦隊登場・聯合艦隊司令長官の東正面作戦統一指揮
  5. ^ 戦史叢書91 1975, p. 374.
  6. ^ a b 戦史叢書91 1975, p. 513.
  7. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 500–502昭和十六年度帝国海軍作戦計画/年度戦時編制 ― 第一・第十一航空艦隊登場
  8. ^ 戦史叢書91 1975, p. 514.
  9. ^ a b c 戦史叢書91 1975, p. 002b付表第二
  10. ^ 戦史叢書24 比島・マレー方面海軍進攻作戦 91頁
  11. ^ a b 戦史叢書79 1975, pp. 269–270聯合航空隊の改編
  12. ^ 戦史叢書24 比島・マレー方面海軍進攻作戦 94-95頁
  13. ^ 戦史叢書79 1975, pp. 271–272〔六〇一号作戦〕
  14. ^ 戦史叢書79 1975, pp. 272a-276〔一〇二号作戦〕
  15. ^ 戦史叢書79 1975, p. 275a二 陸軍機の協同
  16. ^ 戦史叢書79 1975, p. 272b.
  17. ^ 戦史叢書79 1975, p. 275b三 一式陸上攻撃機の初出撃
  18. ^ 戦史叢書79 1975, pp. 274a-275一 ツツイラ号事件
  19. ^ a b c 戦史叢書79 1975, p. 274b.
  20. ^ 戦史叢書79 1975, pp. 275c-276四 オ号作戦
  21. ^ 戦史叢書24 比島・マレー方面海軍進攻作戦 94頁
  22. ^ 戦史叢書79 1975, p. 276五 一〇二号作戦の総合戦果
  23. ^ 戦史叢書79 1975, p. 279航空部隊の引き揚げと爾後の作戦


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第十一航空艦隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 17:46 UTC 版)

大西瀧治郎」の記事における「第十一航空艦隊」の解説

1941年1月15日、第十一航空艦隊参謀長1941年1月14日頃、連合艦隊司令長官山本五十六大将から第十一航空艦隊参謀長大西手紙があり、1月26日27日頃、大西旗艦長門座乗する山本訪ねた山本から大西受け取った手紙は「国際情勢推移如何によっては、あるいは日米開戦已むなきに至るかもしれない日米干戈をとって相戦う場合、わが方としては、何か余程思い切った戦法をとらなければ勝ちを制することはできない。それには開戦劈頭ハワイ方面にある米国艦隊主力対し、わが第一第二航空戦隊飛行機隊の全力をもって痛撃与え当分の間米国艦隊西太平洋進行不可能ならしむるを要す目標米国戦艦群であり、攻撃雷撃隊による片道攻撃とする。本作戦は容易ならざることなるも、本職自らこの空襲部隊指揮官拝命し、作戦遂行全力を挙げる決意である。ついては、この作戦如何なる方法によって実施すればよいか研究してもらいたい。」という要旨であった山本福留繁対し「わざわざ傍系大西計画検討たのんだのは、自信がつくまで私個人研究止めておきたいからだ」と語っている。 大西鹿屋司令部戻り幕僚前田孝成に詳細伏せて真珠湾での雷撃について相談するが、真珠湾は浅いため技術的に不可能だと言われた。2月初旬今度第1航空戦隊参謀源田実呼びつけ中旬訪れた源田大西山本からの手紙を見せ同様の質問をする。源田は、雷撃専門ではないか分かりかねる研究あれば困難でも不可能ではない、できなくても致命傷与えることを考えるべき、空母絞れ急降下爆撃で十分。問題接近行動にあるという回答をする。また大西機密保持第一にしたいとし攻撃成果確認できる昼がいいと考え述べる。大西源田作戦計画案を早急に作るよう依頼して源田2週間ほどで仕上げて提出、それに大西手を加えて作案して、3月初旬ごろ山本提出した大西は、戦艦には艦上攻撃機水平爆撃を行うことにして、出発択捉島単冠湾として案をまとめた。9月頃、源田大西から参考のため手渡されたものには、雷撃不可能でも艦攻降ろさず、小爆弾多数搭載し補助艦艇攻撃加え戦艦致命傷なくても行動できなくするようにするとなっていたという。 一方で大西は、真珠湾内の魚雷発射水深が浅いため不可能なこと、ハワイ周辺哨戒圏から機密保持がむずかしいことの二点を山本説明し福留にも「長官にあの計画思いとどまるようにいってほしい」と頼んでいる。大西は「日米戦では武力米国屈服させることができないか早期戦争終末考え長期戦争となることはできるだけ避けるようにする必要がある。そのためにも真珠湾攻撃のような米国強く刺激する作戦避けるべきである」との見解吉岡忠一漏らしている。1941年9月24日軍令部において大西草鹿龍之介真珠湾攻撃へ悲観論同調し10月初旬には二人で山本フィリピン作戦支援すべきと具申する大西黒島亀人説得される山本大西草鹿に「ハワイ奇襲作戦断行する。両艦隊とも幾多の無理や困難はあろうが、ハワイ奇襲作戦は是非やるんだという積極的な考え準備進めてもらいたい」旨を述べ、さらに「僕がいくらブリッジポーカー好きだからといってそう投機的だ、投機的だというなよ。君たちのいうことも一理あるが、僕のいうこともよく研究してくれ」と話した大東亜戦争開戦時にはフィリピン攻略戦参加10月初旬鹿屋図演において第3航空隊零戦によるマニラ周辺への直接攻撃提案計画していた小空母を使用した戦闘機隊の効率悪さ戦闘機陸上攻撃機協同の難から柴田武雄提案した日華事変の時、零戦は430海里進攻経験があり燃料消費量調整すれば500海里も可能と主張する。しかし第11航空艦隊参謀長大西は「君の意見飛行実験部意見にすぎない」と一蹴し司令部実績がない、作戦変更するには資料不足と却下した。そのため第3航空隊航続力延伸研究し亀井凱夫司令意見書として10月末に空戦射撃訓練時間さえ十分ではないので着艦訓練不可能、空母使用はやめるべきという内容提出され大西参謀長作成者柴田直接むように許し、「わかった。必ず山本五十六納得させる以後空戦夜間編隊発進遠距離侵攻必要な訓練行え」と内命した。柴田はこの時ほど人間大西偉大さ感じたことはないという。 1942年3月1日航空本部出仕として内地帰還途中連合艦隊司令部のある旗艦大和訪問してフィリピンインドネシア方面作戦状況報告したその際所見として、軍備中心航空である、戦艦これまでとは違った役割使える兵器転落した説いたが、連合艦隊参謀長宇垣纏からはフィリピンインドネシアなどの陸続き作戦から結論を出すのは早すぎると応酬された。 1942年3月20日海軍航空本部総務部長就任5月に、陸海軍将官政界財界名士数十名で構成される国策研究会」というグループ勉強会講師として大西招いた大西はその席で「上は内閣総理大臣海軍大臣陸軍大臣企画院総裁、その他もろもろの長と称するやつらは、単なる書類ブローカーにすぎないこういうやつらは、百害あって一利ない。すみやかに戦争指導局面から消えてもらいたい。それから戦艦即刻たたきこわして、その材料空軍をつくれ、海軍空軍となるべきである」と持論である海軍不要論唱えた。他の一同白けた様子見て大西はにやりとしていたとして、このような暴言吐いて不問とされたのは大西ならではであったとする意見もある。 1942年9月アメリカから交換船浅間丸帰国した柏原中学同級生徳田富二の慰労会開催したさいに、徳田から「真珠湾攻撃はあれでよかったのか?」と聞かれ大西は、「いかんのだなぁ」「あれはまずかったんだよ。あんなことをしたために、アメリカ国民意志結集させてしまったんだ。それが、このごろ海戦現れてきとるよ」と嘆いている。

※この「第十一航空艦隊」の解説は、「大西瀧治郎」の解説の一部です。
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