しゅっ‐し【出仕】
奉公
出仕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/27 04:43 UTC 版)
安政2年(1855年)正月に21歳で奥小姓・近習番勤めに任じられ、同年5月には江戸詰めを命じられた。しかし在府わずか2ヶ月で帰国を命じられ、同年10月8日に鹿児島へ帰着した。道中の旅日記には清廉が詠んだ歌が幾編も残されている。安政3年(1856年)、吉利領主・小松清猷(2,600石)の跡目養子となって家督を継承し、宮之原主計の養女となっていた清猷の妹・近(千賀)と結婚した。安政5年(1858年)7月に島津斉彬が没し、島津忠義が藩主になると清廉は当番頭兼奏者番に任命され、集成館の管理や貨幣鋳造を職務とした。その後、万延元年(1860年)には伊勢雅楽、北郷作左衛門らとともに弁天波止場受持を命じられている。
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出仕
「出仕」の例文・使い方・用例・文例
品詞の分類
名詞およびサ変動詞(労働) | 鞅掌 常傭 出仕 拮据 従事 |
名詞およびサ変動詞(働く) | 鞅掌 常傭 出仕 拮据 従事 |
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