道中
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/05 07:52 UTC 版)
「大般涅槃経 (上座部)」の記事における「道中」の解説
道中、釈迦は一本の樹の根本で休み、アーナンダに水を汲んでくるよう頼む。アーナンダは、近くの川は今500台の車が通って濁っていると説明。3度頼む釈迦に押されてアーナンダがその川に行くと、水が澄んでいて驚く。 ちょうどそこに、アーラーラ・カーラーマの弟子プックサが通りかかる。プックサは釈迦に、「500台の車」が通っても、深い瞑想に入っていてそれを感知しなかった、師アーラーラ・カーラーマの偉大さを述べる。釈迦は、自分はかつてアートゥマー村の籾殻の家に滞在していた際、農夫2人と4頭の牛が死ぬほどの「雷鳴・落雷」が近くであっても、深い瞑想に入っていてそれを感知しなかったと述べる。プックサは驚嘆し、釈迦への帰依を誓う。 プックサは従者に指示し、金色の一対の絹衣を持ってこさせ、釈迦に献上する。釈迦は1つを自分に、もう1つをアーナンダに与えるよう指示。釈迦はプックサに「法に関する講話」を説き、教え、励まし、喜ばせた。そしてプックサは帰っていった。 アーナンダが自分にかけられた金の衣を釈迦にかけると、その衣は輝きを失ったように見えた。釈迦は、修行完成者が悟りを達成した夜と、涅槃の境地に入る夜、この二時は、皮膚の色が清らかで輝かしくなるのだと、死が近いことを示唆する。そして、今夜、最後の更に、クシナーラーのウパヴァッタナにあるマッラ族の沙羅林の中、二本並んだ沙羅樹(沙羅双樹)の間で、自分は死ぬと予告する。 カクッター川を渡り、マンゴー樹の林に着いて休み、釈迦はアーナンダに、鍛冶工の子チュンダについて述べる。チュンダは、自分の供物のせいで釈迦が死んだと批難され、後悔の念を持つかもしれないが、釈迦の最後の供物をしたチュンダには利益・功徳があると言って、後悔の念が取り除かれなくてはならないと述べる。そして、「与えるものには功徳が増す」と感興の言葉を述べる。
※この「道中」の解説は、「大般涅槃経 (上座部)」の解説の一部です。
「道中」を含む「大般涅槃経 (上座部)」の記事については、「大般涅槃経 (上座部)」の概要を参照ください。
「道中」の例文・使い方・用例・文例
道中と同じ種類の言葉
- >> 「道中」を含む用語の索引
- 道中のページへのリンク