クシナガラ
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クシナガラあるいはクシナーラー(梵: Kuśinagara、巴: Kusinārā, Kusinagara、英語:Kushinagar、タイ語:กุสินารา)は、古代インドのガナ・サンガ国であったマッラ国(末羅国)の二大中心地のひとつで西の中心地であり、現在のインドのウッタル・プラデーシュ州東端のカシア付近の村。
- ^ アンソニー・テイラー『世界の聖地バイブル : パワースポット&スピリチュアルスポットのガイド決定版』ガイアブックス、産調出版、223ページ、2011年、ISBN 978-4-88282-780-1
- 1 クシナガラとは
- 2 クシナガラの概要
- 3 脚注
クシナーラー
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「大般涅槃経 (上座部)」の記事における「クシナーラー」の解説
釈迦たちは、クシナーラーのウパヴァッタナにある沙羅双樹に着く。 釈迦はそこで頭を北向きにし、右脇を下にして、横になる。沙羅双樹は釈迦を供養するように花を満開にさせ、その体に降り注いだ。更に、天のマンダーラヴァ華と、天の栴檀の粉末も降りかかり、天の楽器が奏でられた。 釈迦はアーナンダに、これらは自分を供養するために起こったが、自分にとっては比丘・比丘尼・在家たちが理法に従って実践することが最高の供養だと述べる。 釈迦は前に立っていたウパーナを退けさせる。アーナンダはなぜウパーナを退けさせるのか問う。釈迦は、十方世界の神霊が集まってきているので、彼らが自分を見るのを遮らないためだと答える。 釈迦は、信仰者が訪ねて感動する場所は、 釈迦の生誕地 (ルンビニ) 釈迦が悟りを開いた場所 (ブッダガヤ・菩提樹) 釈迦が説法を始めた(初転法輪の)場所 (鹿野苑) 釈迦が入滅した場所 (クシナーラー・沙羅双樹) の4つだと述べる(四大聖地)。 アーナンダは、女性に対してどうしたらいいか問う。釈迦は、「見るな、話しかけるな、つつしんでいろ」と説く。 アーナンダは、遺体をどうするか問う。釈迦は、比丘たちは遺骨の供養にかかずらわず、修行に励むこと、遺骨の供養は、王族・バラモン・資産者らがすると述べる。 アーナンダは、遺体処理法はどうするか問う。釈迦は、世界を支配する帝王(転輪聖王)のように、 新しい布で包む→綿で包む→新しい布で包むを繰り返して、五百重にし 鉄の油槽に入れ、他の鉄層で蓋をし あらゆる香料を含む薪の堆積を作って、火葬にする 道の合流地にストゥーパ(卒塔婆)を作る と述べる。 釈迦は、悲しんでいるアーナンダに対して、全てのものは壊滅すると説いたことを指摘した上で、 過去の正覚者たちにも最上の侍者がいた、ちょうどアーナンダのように。 アーナンダは、比丘が、在家が、他の人々が、いつ釈迦にあったらいいかの時節を知っている。 アーナンダは、比丘・在家たちが会うと喜ばしくなる不思議な特徴がある。 等と、アーナンダを励ます。 Alaṃ ānanda mā soci, mā paridevi - nanu etaṃ ānanda mayā paṭikacceva akkhātaṃ sabbeheva piyehi manāpehi nānābhāvo vinābhāvo aññathābhāvo. Taṃ kutettha ānanda labbhā ’yantaṃ jātaṃ bhūtaṃ saṅkhataṃ palokadhammaṃ, taṃ vata tathāgatassāpi sarīraṃ’ māpalujjiti. Netaṃ ṭhānaṃ vijjati.Dīgharattaṃ kho te ānanda tathāgato paccupaṭṭhito mettena kāyakammena hitena sukhena advayena appamāṇena, mettena vacīkammena hitena sukhena advayena appamāṇena, mettena manokammena hitena sukhena advayena appamāṇena. Katapuñño’si tvaṃ ānanda padhānamanuyuñja , khippaṃ hehisi1 anāsavo"ti. やめよ、アーナンダ。悲しむなかれ。嘆くなかれ。アーナンダよ、私は説いていたではないか。最愛で、いとしいすべてのものたちは、別れ離ればなれになり、別々になる存在ではないかと。生まれ、存在し、形成され、壊れていくもの、それを「ああ、壊れるなかれ」ということがどうして得られようか。そのようなことはあり得ないのだ。 アーナンダよ、汝は長い間、慈愛あり、利益あり、幸いあり、比較できない無量の身体と言葉と心の行いによって如来に仕えてくれた。アーナンダよ、汝は善い行いをした。精進することに専修せよ。速やかに汚れのないものとなるだろう。 アーナンダは、釈迦に、このような場末の地で亡くならないでほしいと述べる。釈迦は、ここクシナーラーは、昔、大善見王という世界を支配する正義の帝王の国の首都で、クサーヴァティーという名だったと述べる。 釈迦は、アーナンダに、クシナーラーの住民であるマッラ族を呼んでくるよう指示する。生前の釈迦に会えなかったと後悔することが無いように。彼らは家族ごとにまとまって釈迦に敬礼し、夜の最初の刻までに全員終えた。 クシナーラーに滞在していた行者スバッダは、話を聞いて釈迦に会いたいと申し出る。アーナンダは断るが、釈迦は認める。スバッダは六師外道について釈迦に尋ねるが、釈迦は、他者のことは放っておいて理法にだけ集中するよう忠告し、「八正道」を説く。スバッダは帰依を誓う。釈迦は、異教を奉じていた者は、4ヶ月別のところに住み、僧伽の承認が得られれば、具足戒を受けられる旨を告げる。スバッダ、それなら自分は4年別に住むと述べる。釈迦、出家を許す。こうしてスバッダが釈迦の最後の直弟子となった。 Yo kho ānanda mayā dhammo ca vinayo ca desito paññatto so vo mamaccayena satthā ti. アーナンダよ、あなた方のため私によって示し定めた「法と律」が、私の死後は、あなた方の師である。 釈迦は、自分が死んだ後の僧伽に関し、 現在は互いに「友」と呼び合っているが、自分の死後は、新参は名前で、年長者は「尊者」と呼び、長幼の序をつけること 瑣細な戒律箇条は、廃止してもよい 協調が取れてない比丘チャンナには、「ブラフマ・ダンダ」(清浄な罰)として無視すること などを述べる。 釈迦は取り巻く修行僧たちに、仏陀・法・集い・道・実践に関して最後に何か質問が無いか再三促すが、修行僧たちは黙っていた。アーナンダはそれを見て、彼らの誰一人にもそれらに関する疑い・疑惑が起こっていないと喜ぶ。釈迦はそれを受けて彼ら500人の修行僧はやがて必ず正しい悟りに達することを予告する。 そして釈迦は修行僧たちに、「諸々の事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい。」と告げる。これが釈迦の最後の言葉となった。 handa'dāni bhikkhave āmantayāmi vo,vayadhammā saṅkhārā appamādena sampādethā さあ比丘たちよ、いまあなたたちに伝えよう。さまざまの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい。 釈迦は、初禅、二禅、三禅、四禅、空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処、想受滅と、「九次第定」を上がっていき、次に、想受滅、非想非非想処、無所有処、識無辺処、空無辺処、四禅、三禅、二禅、初禅と下って行き、再び初禅、二禅、三禅、四禅と上がったところで、涅槃に入った。 釈迦の入滅と共に、大地震と雷鳴が起きた。梵天、帝釈天、アヌルッダ長老、アーナンダらが即座に追悼の詩を詠じた。
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