達磨
「達磨」とは、中国禅宗の開祖達磨大師の坐禅姿を模した日本の置物のことを意味する表現である。
「達磨」の基本的な意味
「達磨」は、達磨大師が坐禅をしている姿を模写して作られた起き上がり小法師の形の置物である。多くは顔面以外を赤く塗られた張り子の人形である。達磨は転んでも倒れないため、合格祈願や商売繁盛、家内安全、恋愛成就、無病息災などの願いを叶えてくれる縁起物として広く親しまれている。「達磨さんが転んだ」「雪だるま」といった言葉もあり、「達磨さん」は子どもにとっても身近な存在である。江戸時代に天然痘が流行し、命は助かっても視力低下や失明の後遺症が残る可能性があった。赤いものは邪気を払うと考えられていたため、病気を恐れた人々の間で、達磨は疱瘡よけとして購入されて流行した。
達磨には左目に黒目を書き入れ、願をかけ、願い事が叶ったときに右目に黒目を書き足すという目入れの慣習があるが、この慣習は江戸時代に天然痘が流行したことと関わりがある。天然痘にかかると視力が低下することから目がきれいに描かれている達磨が人気となった。達磨の目がきれいに描かれていないと売れ残ったり、気に入らないと難癖をつけられたりしたようである。そこで、自分で目を描けるように白目の達磨が売り出されるようになったのである。達磨に目を入れることを仏像や仏画に目を入れることになぞらえて開眼という。最初から両目が入っている達磨も売られている。
達磨は購入後一年で効力を失うものとされた。小さいだるまから大きいだるまに買い換える人もいて、達磨はたくさん売れようになった。達磨に名前入れをしてくれることもある。社名や店舗名、苗字や名前をお腹に手書きで入れてもらえる。名前の入った達磨は特別なものとなり、開店祝いや開業祝いに贈ると喜ばれる。
達磨は高崎だるま、松川だるま、甲州だるま、姫だるまなど生産地によって姿形に違いがある。昭和に入ると様々な色の達磨が作られるようになったが、色によって効能に違いがあるとされている。赤は魔除けの意味をもち、病気や災難を防ぐといわれる。白は合格祈願など目標達成の効力があるといわれる。黒は黒字の意味をもち、商売繁盛を願う人に適している。黄色は金運上昇に効果があるといわれている。
「達磨」の発音・読み方
「達磨」は、「だるま」と読む。「達磨」の語源・由来
「達磨」の由来は、中国禅宗の開祖である達磨大師にある。達磨大師は、「壁に向かって座禅を組む壁観(へきかん)という修行を9年間続けたために手足が腐ってしまった」という伝説を持つ人物である。達磨に手足がないのは達磨大師が達磨のモチーフになっているためである。また、基本的に達磨の色が赤いのは、高僧である達磨大師が緋色という黄色味を帯びた赤色の法衣を身につけていたためだといわれている。達磨大師の教えは鎌倉時代に武士の間に広まり、達磨大師の置物は鎌倉時代に作られていた。しかし、起き上がり小法師の形をした達磨が作られるようになったのは江戸時代になってからのことである。室町時代に日本に伝わった起き上がり小法師と何が起きてもひとつのことをやり抜く達磨大師の不撓不屈の精神を重ね合わせて、達磨は現在の形となったのである。
「達磨(ラッパー)」とは
「達磨(ラッパー)」とは、吃音症を持ちながらもラッパーとして活動する人物である。吃音症とは語頭音を繰り返してしまうなど滑らかに話せない病気である。吃音症になると、自己肯定感が下がり、生活全般に影響を及ぼす。達磨は小学校一年生から吃音症になっていたが、ラップを口ずさんでいるときは吃音がでないことに気づいてラッパーとして活動するようになった。「達磨」を含むその他の用語の解説
達磨大師とは
達磨大師は南インドにある高至国の第三王子として生まれた。達磨大師は父親である国王の死後、般若多羅に弟子入りして「菩提達磨」という名をもらい、40年以上厳しい修行に励んだ。師匠の死後、インドで仏教を広めたあと、100歳を超えてまだ禅宗を実践する者がいなかった中国に渡り禅宗を広めた。彗可(えか)という弟子が教えを引き継いだ。達磨大師には、「洛陽郊外の少林寺の洞窟の中で壁に向かって坐禅を組む壁観という修行を9年間続けた結果手足が腐ってしまった」という逸話がある。この逸話からひとつのことを忍耐強くやり遂げる「面壁九年」という言葉が生まれた。
達磨寺とは
奈良県北葛城郡王寺町にある聖徳太子と達磨大師の化身とされる飢人との伝説が残る寺院。聖徳太子と達磨大師を本尊として安置している。境内には古墳が点在しており、達磨大師の墓とされる古墳の上に本堂が建てられている。聖徳太子の愛犬「雪丸」の石像や聖徳太子と達磨大師の問答石などもある。
だるま落としとは
だるま落としとは日本古来のお正月遊びで使われるおもちゃである。数個の積み木を積み重ねて一番上にだるまを置き、だるまが落ちないように下にある積み木を木づちで横から叩いていくゲームである。最後までだるまが残ればその年の災いを避けることができるといわれている。だるま落としのだるまは転んでも起き上がらないため、落とさないように遊ぶのである。禅宗の祖である達磨大師がだるまのモチーフになっている。
ダルマメダカとは
ダルマメダカとは、背骨が短くダルマのようにコロンと丸い体型をしているメダカのことである。泳ぐのが下手であるが、愛らしく人気がある。カラーバリエーションが豊富で、広がったヒレや模様が美しいため、ダルマメダカは観賞魚としても楽しめる。ダルマメダカは、メダカが本来持つ固定率が極めて低い劣性遺伝子によって生まれる。普通のメダカからダルマメダカが生まれる可能性もあるが、確率は低い。ダルマメダカの個体は値段が高い。
達磨山とは
達磨山とは、静岡県沼津市と伊豆市との境にある標高982mの低山である。達磨大師が座禅をしているように見えることから達磨山という名前がつけられた。山頂付近は背の低い笹で覆われているため、眺めがよく富士山や駿河湾などを一望できる。横山大観は好んで達磨山から富士山を描いていたようである。
「達磨」の使い方・例文
達磨はとても縁起のよい置物であり、以下のような例文が挙げられる。・「選挙に当選確実となり、だるまの目が開眼した」
・「高崎だるまは顔につると亀が描かれていて縁起がいいので、福だるまと呼ばれている」
・「姫だるまは女性の形をした可愛いだるまである」
・「だるま落としは微妙な力加減が必要で、集中力が養われる遊びである」
・「お正月に白いだるまを買って受験合格を祈願する」
だるま【達磨】
読み方:だるま
《(梵)Bodhidharmaの音写、菩提(ぼだい)達磨の略》
中国禅宗の始祖。インドのバラモンの出身と伝え、6世紀初め中国に渡り、各地で禅を教えた。嵩山(すうざん)の少林寺で面壁九年の座禅を行ったという。達磨大師。円覚大師。生没年未詳。→達磨忌
1 達磨大師の座禅の姿にまねた張り子の人形。手足がなく、紅衣をまとった僧の形で、底を重くして、倒してもすぐ起き上がるように作る。商売繁盛・開運出世などの縁起物とされ、最初に片目だけ入れておき、願いごとのかなった時、もう一方の目をかきこむ風習がある。
2 丸いもの、赤いものなど1の形に似たものの称。「雪—」「火—」
3 売春婦。寝ては起き寝ては起きするところからいう。「—茶屋」
4 ⇒法
だるま 【達磨】
達磨
- (一)売淫婦をいふ。東北地方の語。(二)明治以来行はるる西洋式の大伝馬船をいふ。(三)北海道産の豆をいふ。東京の囚徒の語。
- 1 淫売婦をいふ。2 殺人をいふ。盗賊の用ふる隠語。血達磨より来る。
- 金の無いお客のことをいふ。達磨はお足がないからといつたものである。又淫売婦の事をいふ。転ぶからいつたもの。
- 〔隠〕①金のないお客の事。達磨はお足がないをお銭(あし)がないにかけたもの。②淫売婦のこと。淫を売るために転ぶから。
- 羽織、マント、半纏などの類。或は蚕。大豆のことを云ふ。
- 金銭のないこと。お銭を「足」に通はせて云つたもの。或は殺人。「血達磨」の語より。又は密淫売婦のことを云ふ。
- ⑴〔花〕金のないお客のこと、達磨には足がないのをおあし(銭)がないのにかけたもの。⑵淫売婦のこと、よく転ぶの意。
- 金のない客のこと。淫売婦のこともいう。〔花柳界〕
- 殺人、羽織。〔香具師・不良〕
- ①羽織。売淫するいわゆる達磨芸妓は羽織芸妓とも言い転じて単に羽織をいう。〔す〕 ②金のない客。おあし(金)がないから達磨。〔花〕 ③殺人。動かなくなる形容。〔香〕 ④底の丸いアンプル。座りがよいところから形容して。〔覚〕
- ①羽織、マント、半てんなど。②金銭のないことをいう。お銭を足に通わせたもの。
達磨
- 羽織ノコトヲ云フ。〔第四類 衣服之部・東京府〕
- 羽織ノコトヲ云フ。〔第四類 衣服之部・茨城県〕
- 羽織ノコトヲ云フ。〔第四類 衣服之部・長野県〕
- 叩織(※「羽織」か)ノコトヲ云フ。〔第四類 衣服之部・石川県〕
- 羽織ノコトヲ云フ。〔第四類 衣服之部・岡山県〕
- 半纏ノコトヲ云フ。〔第四類 衣服之部・岐阜県〕
- 半纏ノコトヲ云フ。〔第四類 衣服之部・高知県〕
- 半纏ノコトヲ云フ。〔第四類 衣服之部・福岡県〕
- 短衣ノコトヲ云フ。〔第四類 衣服之部・岩手県〕
- 短衣ノコトヲ云フ。〔第四類 衣服之部・福岡県〕
- 羽織のことをいふ。〔役者語〕
- 羽織。〔掏〕
- 羽織を云ふ。
- 羽織。名古屋。
- 羽織。〔芸能(寄席・落語)〕
- 羽織のこと。〔芸能(俳優)〕
- 〔隠語〕羽織。
- 羽織。
分類 俳優、寄席、寄席/落語、岐阜県、岡山県、岩手県、役者、役者語、掏摸、東京府、石川県、福岡県、芸能、茨城県、長野県、高知県
達磨
達磨
達磨
達磨
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菩提達磨(ぼだいだるま、中国語: 达摩、サンスクリット語: बोधिधर्म, bodhidharma、ボーディダルマ)は、中国禅宗の開祖とされているインド人仏教僧。達磨、達磨祖師、達磨大師ともいう。「ダルマ」というのは、サンスクリット語で「法」を表す言葉。『洛陽伽藍記[1]』や『続高僧伝 [2]』など唐代以前のものは達摩とも表記する。画像では、眼光鋭く髭を生やし耳輪を付けた姿で描かれているものが多い。
注釈
出典
- ^ 547年楊衒之撰。 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:洛陽伽藍記/卷一
- ^ 645年道宣撰。大正新脩大蔵経 T2060_.50.0551b27 。
- ^ 『菩提達磨大師略辨大乘入道四行觀 弟子曇琳序』に「法師者、西域南天竺國人、是婆羅門國王第三之子也。神慧疏朗、聞皆曉悟。志存摩訶衍道、故捨素隨緇、紹隆聖種。冥心虚寂、通鑒世事、内外倶明、德超世表。」とある。 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:達摩四行觀(略称)
- ^ 『続高僧伝』巻第十六「菩提達摩。南天竺婆羅門種。神慧疎朗。聞皆曉悟。志存大乘冥心虚寂。通微徹數定學高之。悲此邊隅以法相導。初達宋境南越。末又北度至魏。隨其所止誨以禪教。」(大正新脩大蔵経 T2060_.50.0551b27 - c26)
- ^ 第三巻 菩提達磨の条。 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:傳燈錄/03
- ^ 『続高僧伝』では「婆羅門種」となっていたのが「姓刹帝利」クシャトリヤの一族に変わる。
- ^ 『景徳伝燈録』第三巻に「 … 寓止於嵩山少林寺。面壁而坐,終曰默然,人莫之測。謂之壁觀婆羅門。 … 略 … 迄九年已,欲西返天竺。… 」とある。
- ^ 坐禅の定義[疑問点 ]
- ^ 水野弘元「菩提達摩の二入四行説と金剛三昧経」『駒澤大學研究紀要』第13号、1955年3月、49-50頁、ISSN 0452361X。
- ^ 瑩山紹瑾『伝光録』第二十九章を参照。
- ^ 大川普済『五灯会元』より(上記の伝光録の記述とは矛盾する)。
- ^ 道元『正法眼蔵』第二十五「渓声山色」。
- ^ 瑩山紹瑾『伝光録』第二十八章「菩提達磨章」。
- ^ 影山純夫『禅画を読む』淡交社、2011年3月、18頁。ISBN 978-4-473-03726-8。
- ^ 第三巻 菩提達磨伝の末尾に「後三歳、魏宋雲奉使西域回、遇師於葱嶺、見手攜隻履、翩翩獨逝。雲問師何往。師曰「西天去。」又謂雲曰「汝主已厭世。」雲聞之茫然。別師東邁。既復命、即明帝已登遐矣。而孝荘即位、雲具奏其事。帝令啓壙。惟空棺一隻革履存焉」
- ^ 伊吹敦「『二入四行論』の成立について」(PDF)『印度學佛教學研究』第55巻第1号、日本印度学仏教学会、2006年、127-134頁、doi:10.4259/ibk.55.127、ISSN 00194344。
- ^ 伊吹敦「『二入四行論』の作者について--「曇林序」を中心に」『東洋学論叢』第32号、東洋大学文学部、2007年3月、204-185頁。
- ^ 文芸家協会 (1924). 日本戯曲集. 東京: 新潮社
達磨(だるま)
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ステージ5のボス。妖帝ガルスに魂を売ったことで手足を授かった達磨。小さな達磨を転がして攻撃してくるが、体力が減るとばね仕掛けの足を生かし、大きくジャンプして体当たりしてくる。
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達磨(ダルマ、DARUMA)
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「beatmania IIDXに登場するGOLIのキャラクター」の記事における「達磨(ダルマ、DARUMA)」の解説
声:小林ゆう 初出は『beatmania IIDX 8th style』。茶髪をヘルメット(ゴーグルのように描写されることもある)で隠している。本名は「刃雪達磨(はゆき たつま)」(『ROOT26』で判明、漢字表記は『Roots26 S[suite]』から)。13歳で血液型はAB型。兵庫県出身。一人称は「俺」。 好きなものは、アルカディア第一期掲載時:HIPHOP・ROCK・開運達磨→IIDXバイブル掲載時:HIPHOP・開運達磨→『ROOT26』掲載時:開運達磨・調理実習の授業で奪う津軽の手料理。 津軽と同じ中学「華錬学園」に通う生徒で、普段は前髪で顔を隠し授業中は昼寝を決め込む地味な生徒だったが、ある日街中で夜の姿の津軽を見かけてからは、彼女に近付くために高校生だと偽ってフードを深く被り、夜の街を出歩くようになる。実はIQ200の天才児なのだが、それ故に勉強が退屈らしく学校の成績は良い訳ではない。運動神経もよく、体育祭のリレーでは走りの早さを存分に発揮した。そのため校内の女子に結構モテている。自分でも止められない程のスケベで、よく女性陣にいたずらをしては津軽を怒らせている。エレキから弟属性を取り除いた完全なショタキャラだが、実は深々と腹筋が割れている。 『ROOT26』では小学時代、IQの高さからか周囲からは期待の眼差しを向けられるが、やがてそれが退屈に感じて授業中は寝て過す日々を中学2年の頃まで送る。後に父親に華錬学園へ転入させられるが、それでも変わらない周囲の反応を退屈に思い、それまでと変わらず寝て過す日々を続けていた。だがある日、寝ているところを津軽に馬鹿呼ばわりされて叩き起こされ、その日の夜にゲーセンで津軽と再び出会うこととなる。 初出時は眼の描き方が他の男性キャラと同じような硬派なイメージだったが、『ROOT26』でのキャラ紹介以降からは眼が大きめに描かれ、ショタキャラとして扱われるようになる。 『パーティーモード』では、文化祭でDJライブをやるつもりだったが腕を怪我をする。その理由は、車に轢かれそうになった猫を助けたまでは良かったのだが、そのときに女子高生のスカートの中を見ようとして自転車に轢かれてしまったのだという。 『Roots26 S[suite]Vol.1』では、バレンタインの日に校内の女子生徒達からチョコを渡され、津軽からはヤキモチを焼かれる。しかし、下校時の靴箱に入れられていた大量の義理チョコの中から津軽のチョコを見つけて大喜びしていた。 『Roots26 S[suite]Vol.2』第一話では、女子生徒達にホワイトデーのお返しを一人一人渡していたが津軽には渡す気配がなかった。が、これは津軽に渡すプレゼントを人に見られるのが恥ずかしかったためであり(その結果津軽の誤解を招くこととなるが)、その日の夜に寮の前で大きめのテディベアをプレゼントした。第二話では、ユーズの誘いで海へ出掛けたが、乗り物酔いでダウンしていた。しかし女性陣が水着姿になると体調お構い無しにテンションが上昇した。その後、孔雀と共に彩葉・リリス・ナイアの3人の元へ行きナンパ紛いなことをやらかしたが、津軽に気づかれてソフトクリームを目元に押し付けられ、追い掛け回されて逃走した。 『Roots26 S[suite]Vol.3』第一話では、ジョニーズにて、孔雀と共に鼻の下を伸ばしてウエイトレスを眺めていた。第四話第一部では、冒頭から仮病を使ってどうにか寒い外への買い出しを避けようとするが、どう見ても嘘臭く、しかも女性達にセクハラをしていたので津軽から制裁を受ける。結局セムを含めた男子全員は買い出しに駆り出されることになった。 数年後の未来を描いた第四話第二部では、研究施設の主任になっており、眠りについたまま目を覚まさなくなった津軽の治療法を研究していた。ドラマCD本編に書かれなかったブックレットの小説では、津軽が病院に運ばれてから面会しても目を覚ますことはなかったため、津軽のために「ダルマ」というあだ名を捨てて医療の道に進むことを決意する。中学卒業時には研究者として認められ、津軽回復のために設けられた医療チームの一員になり、そして主任になる。主任に選ばれた理由は、前主任達が津軽の血液を採血してウイルスを調べたところ、次々と変死を遂げたからである。研究を続ける中、医療チームは達磨一人になっても未だに進展出来ずにいた。 ドラマCD内の第四話第二部、クリスマスの夜にナイア達が心配して研究所に来てくれるが、みんなが作ってくれた小さなツリーを叩き落し、その上で彼女達を疑うようなことを口にする。かつての変態要素が強かった少年とは打って変わり、冷め切った性格になっている。この性格の変化の原因は回想で描かれており、負傷した津軽に対して目の前で士朗が「廻炎」を使用したから。また、シアからかつてのあだ名だった「ダルマ」と呼ばれるが、このことを激しく嫌った。ナイア達が去った後、医療用のカプセル内で眠り続ける津軽に目を覚まさないと知りつつも声をかけ、過去の思い出を瞑想して眼に涙を浮かべながら津軽に別れを告げて研究施設を後にする。雪の降る街中、達磨は士朗に対する憎しみの叫びをあげながら去っていった。 『Vol.3』のブックレットの巻末ページでは第四話第二部の出来事の後、後にセムからROOTS26を譲られることになる。
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達磨 (ダルマ、DARUMA)
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「beatmania (パチスロ)」の記事における「達磨 (ダルマ、DARUMA)」の解説
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達磨(だるま)
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「麻雀放浪記 凌ぎの哲」の記事における「達磨(だるま)」の解説
大阪の雀荘「白桜」を仕切るやくざをも恐れぬ狂犬。権々会では仲間を鐘送りにした哲を敵視しつつ、ゲンと結託し最終戦まで生き残る。
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達磨
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横浜市瀬谷区の「瀬谷八福神」、愛知県豊橋市の「吉田七福神」では達磨を加えて八福神とする。達磨は、5世紀頃の人で南インドの王子ともペルシア人ともいわれる高僧で、中国の南朝の宋に渡り極東の禅宗の開祖となった。少林寺において坐禅9年、手足が腐って落ちたと伝わる。日本の曹洞宗や臨済宗もその門葉。
※この「達磨」の解説は、「七福神」の解説の一部です。
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「達磨」の例文・使い方・用例・文例
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