ようさん 【養蚕】
養蚕業
(養蚕 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 14:22 UTC 版)
養蚕業(ようさんぎょう)は、カイコ(蚕)を飼ってその繭から生糸(絹)を作る産業である。遺伝子組み換えカイコを用いた医薬素材の生産や、カイコ蛹を利用して冬虫夏草(茸)を培養するといった新しいカイコの活用も進んでいる。
- ^ a b 監修 坂本太郎『日本史小辞典』山川出版社、1995年。ISBN 4634090104。
- ^ “蚕業革命 | 農研機構”. www.naro.affrc.go.jp. 2020年4月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 亀山勝『安曇族と徐福 弥生時代を創りあげた人たち』龍鳳書房、2009年、84頁。
- ^ Sun, Wei; Yu, HongSong; Shen, YiHong; Banno, Yutaka; Xiang, ZhongHuai; Zhang, Ze (2012-06). “Phylogeny and evolutionary history of the silkworm” (英語). Science China Life Sciences 55 (6): 483–496. doi:10.1007/s11427-012-4334-7. ISSN 1674-7305 .
- ^ a b 亀山勝『安曇族と徐福 弥生時代を創りあげた人たち』龍鳳書房、2009年、85頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 第4節 世界の養蚕業の変遷 大日本蚕糸会、2021年3月4日閲覧。
- ^ 埼玉県の養蚕・絹文化の継承について(埼玉県農林部生産振興課)
- ^ 亀山勝『安曇族と徐福 弥生時代を創りあげた人たち』龍鳳書房、2009年、85-88頁。
- ^ “Yo-san-fi-rok : l'art d'élever les vers à soie au Japon”. CiNii. 2020年4月17日閲覧。
- ^ 福島市. “蚕当計と中村善右衛門”. 福島市. 2020年4月17日閲覧。
- ^ “稲作と養蚕 天皇と皇后が受け継ぐ「伝統」のありかた – 皇室問題研究室”. imperatoria.net. 2020年6月5日閲覧。
- ^ “皇室と蚕の伝統継ぐ 皇后雅子さま、初の御養蚕始の儀:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2020年6月5日閲覧。
- ^ 「蚕-皇室のご養蚕と古代裂,日仏絹の交流」展の開催について(2014年)、宮内庁、2016年1月6日閲覧。
- ^ 片倉製糸の蚕種生産体制の構築 http://www.senshu-u.ac.jp/~off1009/PDF/takanashi_44.pdf
- ^ “蚕業革新発祥記念”. 発祥の地コレクション. 2020年4月17日閲覧。
- ^ 東村山ふるさと歴史館編2002『繭と糸 : 養蚕と機織の道具と信仰 : 特別展 』東村山ふるさと歴史館
- ^ 扶桑社編 1917.
- ^ a b http://www.silk.or.jp/silk_gijyutu/pdf/zentai.pdf
- ^ a b 矢口克也 (2009年10月). “現代蚕糸業の社会経済的性格と意義 : 持続可能な農村社会構築への示唆”. 国立国会図書館. 2017年11月13日閲覧。
- ^ a b “養蚕の動向”. 関東農政局. 2017年11月13日閲覧。
- ^ https://www.maff.go.jp/j/study/sansigyou/01/pdf/data3.pdf
- ^ 2015年12月2?日朝日新聞朝刊より
- ^ にちはら総合研究所-冬虫夏草とは
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2017年11月2日). “前橋の一般農家がGM蚕の緑色蛍光繭出荷 量産は世界初”. 産経ニュース. 2020年4月17日閲覧。
- ^ “UNESCO - Sericulture and traditional production of silk for weaving” (英語). ich.unesco.org. 2022年12月3日閲覧。
養蚕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 20:58 UTC 版)
江戸時代末期、丹後産の生糸はあまり上質ではなく、佐藤信淵が1827年(文政10年)に刊行した『経済要録』では「丹後織等の如きは外見美なりと雖も破易きもの多し」と指摘されている。そのため、丹後ちりめんの品質の維持・向上には、良質とされた奥州福島産の生糸が用いられてきた。ちりめんの原材料である生糸を得るための養蚕は、長年様々な飼育法が試みられてきたが、確立したのは明治期の終わり頃、丹後地方では華氏70度前後を保つ折衷育がもっとも適しているとして普及した。他の地方の製糸業では、器械を利用した工場による大規模経営に移ろうかという時期であったが、丹後地方においてはまだ養蚕と製糸の分業は進んでおらず、養蚕家が自ら育てた繭を自宅で糸にする旧来の体制がとられており、大正時代には「カイコサンを飼わなんだら、百円札がおがめなかった」と言われたほど、農家にとって重要な収入源であった。 蚕の飼育期は地域により差があるものの、春は5月上~中旬から、夏は7月下旬から、秋は9月中旬からの年3回で、蛾が卵を産み付けた種紙を購入し、それを孵化させるところから、繭を得るまでに1カ月余りを要した。1反の着物地に必要な生糸は約900グラムで、2600粒の繭から作られ、それだけの繭を得るための蚕を育てるには、98キログラムの桑の葉を必要とした。蚕を飼う部屋は蚕室といい、母屋の座敷がこれにあてがわれた。家中の畳をあげていっぱいに蚕棚をつくった。養蚕の間は、2時間おきに4時間の作業を要したため、人は夜でも蚕の世話をしながら蚕棚の間でうたたね寝する、ほぼ不眠不休の暮らしぶりであった。桑畑の世話は家内総出で行ったが、蚕の飼育はおもに女性の仕事だった。 繭から生糸をとるには、熱湯で繭を煮て、繭の糸口6~8個を座繰で1本の生糸にした。これを木の小枠に巻き取り、さらに大枠に再度巻き返して綛にした。屋内で大量の熱湯を沸かすため、養蚕を行う農家は平屋でも現代の一般的な住居の2~2.5階に相当する高さの吹き抜けや高窓を備えた造りであった。与謝野町加悦の重要伝統的建造物群保存地区「ちりめん街道」には、現在もその面影を残す民家を見ることができる。 なお、2018年(平成30年)現在、京都府内の養蚕農家は福知山市の2軒のみとなっており、丹後地方で養蚕を行う農家はなくなった。
※この「養蚕」の解説は、「丹後ちりめん」の解説の一部です。
「養蚕」を含む「丹後ちりめん」の記事については、「丹後ちりめん」の概要を参照ください。
養蚕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 23:28 UTC 版)
政府が県や市町村を通じ養蚕の奨励をしていたため、明治20年代にはほとんどの農家が養蚕をしていた。雷では「蚕糸業組合」が設立され、毎年役場に収穫量を報告をしていた。木村長七家の記録では、5月から6月にかけては「桑取り」「蚕仕事」「すが取り」のために人を雇っていたとある。
※この「養蚕」の解説は、「雷 (村上市)」の解説の一部です。
「養蚕」を含む「雷 (村上市)」の記事については、「雷 (村上市)」の概要を参照ください。
養蚕
「養蚕」の例文・使い方・用例・文例
養蚕と同じ種類の言葉
- >> 「養蚕」を含む用語の索引
- 養蚕のページへのリンク