養蚕村とは? わかりやすく解説

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養蚕村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/01 08:02 UTC 版)

こかいむら
養蚕村
廃止日 1954年2月1日
廃止理由 編入合併
真壁郡養蚕村竹島村下館町
現在の自治体 筑西市
廃止時点のデータ
日本
地方 関東地方
都道府県 茨城県
真壁郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 古里村村田村嘉田生崎村
大田村、竹島村
養蚕村役場
所在地 茨城県真壁郡養蚕村大字成田
座標 北緯36度18分26秒 東経139度58分59秒 / 北緯36.30711度 東経139.98308度 / 36.30711; 139.98308座標: 北緯36度18分26秒 東経139度58分59秒 / 北緯36.30711度 東経139.98308度 / 36.30711; 139.98308
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養蚕村(こかいむら[1])は茨城県真壁郡にかつて存在した村である。

概要

現在の筑西市の中部、旧下館市の東部に位置する。村のほとんどは平地である。村内には小貝川五行川が流れている。

現在一帯は養蚕(ようさん)地区と呼ばれ、筑西市立養蚕小学校[2]や養蚕公民館[3]の読みはいずれも「ようさん」である。

しかし『下館市史』によれば[4]、「本村は小貝川沿岸に位置する農村であり、養蚕業が盛んであったので、小貝を養蚕と改め新村名を養蚕と称することになった」とあるため、「養蚕」の当初の読みは小貝と同じ「こかい」だったと思われる[5]大正13年(1924年)発行の『眞壁郡鄕土史』[6]には、小貝川の説明として「蠶飼川 子飼川養蠶川或は小貝川」とあり、小貝川そのものを養蠶川(「蠶」は「蚕」の異体字)と表記することもあったようである。

歴史

村域の変遷表

1868年
以前
明治22年
4月1日
昭和29年 平成17年
10月1日
現在
2月1日 3月15日
成田村 養蚕村 下館町
に編入
市制 筑西市 筑西市
島村
蕨村
塚原村
上川中子村
下中山村
川連村
茂田村
徳持村
大塚村

人口・世帯

人口

総数 [単位: 人]

1891年(明治24年) 2,202
1920年(大正 9年) 2,565
1935年(昭和10年) 3,086
1950年(昭和25年) 4,265

世帯

総数 [単位: 世帯]

1920年(大正 9年) 465
1935年(昭和10年) 558
1950年(昭和25年) 748

参考文献

関連項目

  1. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 8 茨城県』408頁(角川書店、1983年)。ただし平凡社地方資料センター『日本歴史地名体系第八巻 茨城県の地名』(平凡社、1982年)などでは「ようさんむら」としている
  2. ^ 筑西市立養蚕小学校ホームページ - 2024年12月1日閲覧。
  3. ^ 筑西市立養蚕公民館(筑西市/公民館)の電話番号・住所・地図|マピオン電話帳 - 2024年12月1日閲覧。現在の筑西市養蚕コミュニティセンター
  4. ^ 下館市史刊行会『下館市史』昭和43年9月1日発行、848頁
  5. ^ ちなみに「養蚕」の類義語に「蚕飼(こがい/こかい)」という言葉がある(蚕飼(こがい)とは? 意味や使い方 - コトバンク 2024年12月1日閲覧)。また福島県会津若松市には蚕養町(こがいまち)という地名がある。
  6. ^ 賢美閣『真壁郡郷土史(復刻版)』昭和54年12月3日発行



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