養蚕と献糸会
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明治7年(1874年)、平田同門吉田在の羽田野敬雄の勧めで、暉皃は伊勢神宮献糸の古典復活を要請した。同年愛知県の勧業係より養蚕のすすめもあり、翌8年暉皃は12ヵ村に桑苗を各戸に25株ずつ配布して養蚕を奨励した。 明治11年(1878年)暉皃義真父子は稲橋・武節両村に養蚕伝習所を設け生徒を養成した。明治13年、稲橋養蚕伝習所の成績優秀者である岡田伊三郎を福島県磐城郡掛田村に派遣させ、大橋重左衛門について火力養蚕法を伝習させた。同年暉皃義真父子は愛知県庁に対し、献糸復活を請願した。翌14年5月30日神宮司庁は内務省と議し、伊勢神宮献糸を正式に認可となった。同年7月に神宮御衣祭献糸申合書を作成し、献糸会を創設した。同年10月に糸を引き、翌15年2月3日に正式に献糸会として奉納を始めた。以後綿々と継続、平成30年までは137年目となった。 なお、大正4年の大正天皇大嘗祭、平成2年の明仁天皇の大嘗祭には稲武町献糸会より繒服(大嘗祭で最も重要な皇祖神の御衣)を調進した。
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