おおにえ‐の‐まつり〔おほにへ‐〕【大×嘗の祭】
読み方:おおにえのまつり
⇒大嘗祭(だいじょうさい)
おおなめ‐まつり〔おほなめ‐〕【大×嘗祭】
読み方:おおなめまつり
⇒だいじょうさい(大嘗祭)
だいじょう‐さい〔ダイジヤウ‐〕【大×嘗祭】
大嘗祭
だいじょうさい 【大嘗祭】
大嘗祭
大嘗祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 02:08 UTC 版)
大嘗祭(だいじょうさい、おおにえまつり、おおなめまつり)は、日本の天皇が皇位継承に際して行う宮中祭祀であり、皇室行事。
注釈
- ^ 斎忌(悠紀国)と次(主基国)とその卜定について史上初めて言及されるのは『日本書紀』巻第29の天武天皇5年の相嘗祭と新嘗祭に関してであるが、即位後最初の大嘗祭は天武天皇2年に既に行われている。
- ^ 新嘗祭もまた、この翌年から例年斎行されるようになる。
- ^ 旧暦のままでは新年の1月になる場合があり、新嘗祭に支障があるため。新嘗祭は、明治6年の新暦11月の卯の日であった11月23日に固定された。
- ^ a b c ただし、令和の大嘗祭では、経費削減のため正殿の屋根は板葺きにされた。
- ^ 鎌田純一は「平成の大礼での大嘗宮では内外壁、天井、床仕上材には畳表張りが用いた」と回想している[29]。
- ^ ただし、天武天皇(悠紀:播磨国・主基:丹波国)、持統天皇(悠紀:播磨国・主基:因幡国)、文武天皇(悠紀:尾張国・主基:美濃国)、聖武天皇(悠紀:備前国・主基:播磨国)の時は東西の原則は当てはまっていない[39]。
- ^ この斎田の選定を行う都合上、践祚が8月(旧暦)以降になる場合、大嘗祭は翌年に行われていた[43]。
- ^ なお、粟については一部の県が供納できず、平成の大嘗祭では35都府県、令和の大嘗祭では25都道府県にとどまった[70]。
- ^ 令和の大嘗祭における庭積の机代物の一覧については大嘗祭の儀関連資料-7.庭積の机代物(特産品の都道府県別品目) (PDF) を参照
- ^ 宮内庁によると、厚生労働省と協議の上で安全に食べられると判断した精米や大豆、干しシイタケなど29品目を週内にも国立障害者リハビリテーションセンターに提供するものの、生鮮食品など、傷む可能性があるものは従来通り埋納するという。
- ^ 白平絹で巾子(こじ)に纓(えい)を結びつけたもの。
- ^ 湯の花のようなもので、これを手に付けて流すことにより手水としたと思われる。
- ^ 悠紀国/主基国の地名を入れて詠まれた短歌に、それぞれの地域の謡を参考に作曲したもの。
- ^ a b 悠紀殿の儀に際しては悠紀国、主基殿の儀に際しては主基国のものをそれぞれ行う。
- ^ 犬の遠吠えの声。今日の能におけるシテの登場の際の掛け声に名残が残されている。
- ^ この件に関して後円融天皇の大嘗祭の記録である『永和大嘗会記』には「金銀の立派な器」を用いないのは「神代の風俗倹約」を理由に挙げているが、安江和宣は『古事記』の応神天皇の条に「天皇豊の明り聞し看す日、髪長比売に大御酒の柏を握らしめて、其の太子に賜ひき」とあることから、倹約ではなく我が国の太古からの風俗と反論し、その古い姿が今も厳然と行われていることを挙げ、大嘗祭は「わが国が世界に誇る貴重なしかも尊い最高の伝統文化なのである」と結論づけている[104]。
- ^ 2019年4月30日に放送されたNHKスペシャル『日本人と天皇』では悠紀殿での儀式の様子が再現されている。それによると、天皇は神饌を柏の葉で作られた32の皿に1時間半ほどかけて盛り付ける「親供」を行っているという。
- ^ これらの撤下神饌は、埋納される。
- ^ 忌部氏の祖の太玉命は天孫降臨に随行した神とされ、その孫の天富命は神武天皇の即位の折に鏡剣を捧持して正殿に奉安したとされている。
- ^ 「タメ」は「田部」で、両国の田部の生産にかかる物の意であるとされる。
出典
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大嘗祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 05:28 UTC 版)
詳細は「大嘗祭」を参照 天皇の即位に際し、一世一度の重要祭祀である大嘗祭が行われる。日本国憲法下では皇室の公的行事とされる。
※この「大嘗祭」の解説は、「天皇」の解説の一部です。
「大嘗祭」を含む「天皇」の記事については、「天皇」の概要を参照ください。
大嘗祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 15:14 UTC 版)
「明仁から徳仁への皇位継承」の記事における「大嘗祭」の解説
「大嘗祭」も参照 2017年11月24日、宮内庁は大嘗祭を2019年11月に行う方針を明らかにした。まだ明仁の退位が2019年3月31日になるのか同年4月30日になるのか分からない段階であったが、「田植え前であれば斎田点定の儀は可能で、即位年の11月に行うことは問題ない」とした。2018年3月30日に行われた天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会の第3回会合では、宮内庁が大嘗祭について、1989年12月21日に閣議で了解された整理のとおりに、準備を進めるとした。また、時期については、古くからの例に則り、2019年11月の2番目の卯の日すなわち11月14日と、翌11月15日とすることが決まった。 2018年10月12日、宮内庁は大礼委員会を設立した。11月20日に行われた第2回委員会では、大嘗祭に約700名が参列することが了解された。これは、大嘗祭の様子を見られる席数として最大限のものであった。また、前回と同じく、皇居東御苑本丸北側の大芝生に大嘗宮を設け、それに伴う東御苑の閉鎖など、一般客への影響をできる限り小さくできるように考えることとされた。12月19日に行われた第3回委員会では、全般的な物価の上昇、熟練職人の減少などから、前回と同様の大嘗宮を設置すると、その費用は25億円ほどにもなり、前回の約1.7倍になるとされた。そこで、材料を板葺きにし、皇族などが座る小忌幄舎や殿外小忌幄舎の面積を、それぞれ4割、4分の3ほどに縮小し、儀式が主に行われる柴垣も縮小することになった。また、膳屋や斎庫は組立式にすることになった。これ以外にも、東御苑の全面閉鎖を大嘗祭当日などに限ったり、建物や装束をできるだけ再利用したりすることなどが決定した。2019年4月15日の第6回委員会では、斎田点定の儀は前回の例に倣うこととされ、7月3日の第7回委員会までには、斎田の決定手続きが了承された。この委員会までには、大嘗宮の地鎮祭が7月26日に行われることが決まっていた。10月2日の第8回会合では、大嘗祭の参列者が前回より230名ほど減ることが説明された。
※この「大嘗祭」の解説は、「明仁から徳仁への皇位継承」の解説の一部です。
「大嘗祭」を含む「明仁から徳仁への皇位継承」の記事については、「明仁から徳仁への皇位継承」の概要を参照ください。
大嘗祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 09:30 UTC 版)
詳細は「大嘗祭」を参照 大嘗祭(だいじょうさい)とは天皇の即位に際して執り行われる大新嘗祭(おおにいなめさい)のことであり、皇祖神とされる天照大御神(あまてらすおおみかみ)の「御霊(みたま)のふゆ」を天皇が体現することで、現人神(あらびとかみ)として甦るという思想から、即位の年の新嘗祭を大嘗と呼ぶようになったのである。なお、昭和天皇は終戦後、現人神でなく人間天皇であることを宣言した。 以下は、祭祀の部分であり全容ではない。 祭祀の中心部を見ていくと、天皇は天羽衣(あまのはごろも)を着たまま小忌御湯に入り御湯槽(ゆぶね)にそのまま脱ぎ捨て、湯から上がり着衣する。その間の米搗きでは、稲刈りで死んだ穀霊を蘇らせるよう、八乙女が稲舂歌を歌いながら米を搗く。祭儀中の最重要部では、天照大御神を神座に迎え、天皇は神饌(みけ)を供食する。神座の傍らには、神の御衣(ぎょい)である和妙(にぎたえ、絹)と荒妙(あらたえ、麻)が置かれている。古来のように柏の葉でできた葉盤を最姫が天皇に渡し、御飯を盛り最姫に返し、最姫は神前に並べていく。肴(さかな)、御菓子(果物)と同様にし、白酒・黒酒は天皇が注ぐ。天皇は頭を下げ、手を柏ち、「おお」といって、三箸食べる。その間、扉を開く、神饌を備えるといった際に、神楽が奏される。 祭祀の事前には、土地を定めて主となる稲だけでなく粟(アワ)も作られる。抜稲式では、造酒子(さかっこ)が田の中央で稲を集め、次いで稲実公(いなのみのきみ)が集め、御飯と御粥、白酒と黒酒にされる。大嘗祭に奉仕する者の穢れを祓う荒見川祓(あらみがわのはらえ)が行われるが、大麻(おおぬさ)に手をかけ身の表の穢れを移し、息を吹きつけ身の内の穢れを移しといったように一撫一吻(いちぶいっぷん)を行う。人形(ひとがた)で体を撫で、散米を行う。
※この「大嘗祭」の解説は、「祭祀 (神道)」の解説の一部です。
「大嘗祭」を含む「祭祀 (神道)」の記事については、「祭祀 (神道)」の概要を参照ください。
「大嘗祭」の例文・使い方・用例・文例
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