準備委員会
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これらの会談に従って、インド、ビルマ、インドネシアの社会党が1952年3月にラングーンで事前会合を開き、日本の右派社会党および左派社会党がオブザーバーとして参加した。この事前会合で、1953年1月にラングーンで開催するアジア社会党会議が招請された。参加者らはチョーニュインを議長とする「第1回アジア社会党会議準備委員会」を結成した。準備委員会は"Soclialist Asia"を刊行し、これがのちにアジア社会党会議の機関紙となった。 1953年ラングーン会議の招請状はビルマ社会党、パラヤ社会党(以上二党は発起人として)、両日本社会党、エジプト社会党(青年エジプト党)、イラク国民民主党(英語版)(この党は通常社会主義政党として扱われることはないが、社会主義に近い立場をとるとみなされた)、シリアのバアス党、レバノンの進歩社会党、イスラエルのマパイ、汎マラヤ労働党(マラヤ労働党)(英語版)、パキスタン社会党(英語版)に送られた。オブザーバーとしてアルジェリア、チュニジア、ケニヤ、ウガンダ、ナイジェリア、モロッコ、ゴールドコーストの解放運動と反帝国主義人民会議(英語版)が招かれた。また友誼組織として社会主義インターナショナル、国際社会主義青年同盟、ユーゴスラビア共産主義者同盟が招かれた。
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