前準備委員会
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1959年5月17日、教皇ヨハネ23世は、当時、国務長官であったタルディーニ枢機卿 (en) を委員長として、前準備委員会 (commissio antepraeparatoria) を任命した。 1960年6月5日、ヨハネ23世は、自発教令『スペルノ・デイ・ヌートゥ』(Superno Dei Nutu) によって、第2バチカン公会議の10の準備委員会 (commissiones praeconciliares) と3つの事務局を設立した。同時に、これらの委員会の上に120名から成る「公会議中央準備委員会 (Central Preparatory Commission for the Council)」を置き、翌日、日本の土井辰雄枢機卿を含める36人の中央準備委員が任命された。公会議中央準備委員会は、世界の司教たちからの提案をもとに 10の準備委員会によって起草された草案を吟味する責任があった。中央準備委員会と各委員会、顧問 (consultor) の人数は、その後の任命によって更に拡大し、1961年2月までに710人(内訳は委員393人、顧問317人)に達していた。更に同年12月には827人にふくらんだ。1962年6月まで中央委員会は多くの会議を開き、公会議の準備を進めていった。 すでにこの中央準備委員会の内部で、対立する枢機卿たちの闘いが繰り広げられていた。つまり、検邪聖省 (en) 長官代理アルフレド・オッタヴィアーニ枢機卿の神学委員会とそれに協調する「ローマ派」と、キリスト者一致促進事務局事務長のアウグスティノ・ベア枢機卿 (en) とその補佐ヤン・ウィレブラン、彼らに協調するリベラル派であった。
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