前漢から北周
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 07:41 UTC 版)
秦滅亡後の戦乱の結果漢朝を建てた劉邦は、婁敬と張良の進言により破壊された咸陽の郊外に新たな都城を建設、長安と命名、蕭何が宮殿を造り、恵帝の時代には城壁が建築されている。長安城の南側は南斗、北側は北斗の形をしていたため、当時は長安城の別称として「斗城」が誕生した。長安城には九市、十二門が設けられ、城内には未央宮、長楽宮、北宮、桂宮といった宮殿があった(『三輔黄図』)。漢代の長安はいびつな形をしていた。その後前漢、新、後漢(滅亡前の数年間)、西晋(滅亡前の数年間)、前趙、前秦、後秦、西魏、北周が首都を設置している。
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