全容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 07:55 UTC 版)
連合軍上陸まで、ドイツ軍はフランス北部に600万個の地雷を敷設した(ロンメルはそれでも不足と考えていた)。多くの機銃座と地雷原が海岸から内陸に続く道に沿い設置された。パラシュート部隊やグライダー着陸に適した土地には、「ロンメルのアスパラガス Rommelspargel」と呼ばれた傾斜した杭や鉄柱を打ち込み、降下部隊が戦う前に損害を出すようにした。また水を引き込み沼地を拡大させたり、河口部を氾濫させたりした。また、未成に終わったH級戦艦主砲に使われる予定だった16インチ砲を転用した沿岸防御砲が配置されたが、10門中7門がノルウェーに配置され、実際に連合軍が上陸したフランスに配置されたのは3門のみであったが、これは連合軍が「ヨーロッパ上陸作戦はノルウェーで実行する」という偽情報を流しており、これにドイツがまんまと騙されたためである(フォーティテュード作戦参照)。 「大西洋の壁」は結局完成しなかった。1942年から1944年にかけ、砲台、トーチカ、地雷原より成る壁は(完成度に差はあるものの)フランス・スペイン国境からノルウェーまで及んだ。多くのトーチカが現在もシュヴェニンゲンの近く、ハーグ、ノルマンディーに存在する。第二次世界大戦後トーチカの幾つかは海岸の砂に埋もれた。また、無用になったこれらトーチカは政府によって爆破処理された。 チャンネル諸島のうちフランスに最も近いオルダニー島の防御は特に強化された。ヒトラーは大西洋の壁に使用される鉄鋼およびコンクリートの一割をチャンネル諸島に使用するよう命じた。それはイギリス領を支配下に置いていることのプロパガンダのためであった。「コンステレーション作戦」などチャンネル諸島奪回の作戦が提案されたこともあったが、連合軍はその重防備から島の攻略を回避し、ノルマンディー上陸後も島を解放しようとはしなかった。そのためチャンネル諸島のドイツ守備隊が降伏したのはドイツ全軍が降伏した翌日の1945年5月9日であった。オルダニー島の守備隊は5月16日まで降伏しなかった。
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