全容の把握
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:24 UTC 版)
大航海時代を迎えたヨーロッパ人は東西に向かい、1488年にバルトロメウ・ディアスが喜望峰を廻ってインド洋が内海でないことを知らしめ、1492年にクリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を発見し、そして1522年にフェルディナンド・マゼランの一行が世界一周を成し遂げた。こうして16世紀には地表のほぼ全域についての知識が揃った。 そして1539年、ニコラウス・コペルニクスが『天体の回転について』を発表して地動説を唱えると、ヨハネス・ケプラーやガリレオ・ガリレイが理論を補完し、地球は宇宙の中心の座を太陽に譲り渡し、惑星のひとつと認識されるようになった。 次に疑問となったのは、地球が真球か否かという点だった。ルネ・デカルトやジョヴァンニ・カッシーニは南北に縦長な球(長球)との立場を取ったが、アイザック・ニュートンは、振り子時計をパリから赤道付近へ持ってゆくと遅くなるというジャン・リシェによる報告から推測し、地球は南北方向がややつぶれた楕円球(扁球)だと考えた。この問題はジョヴァンニの子息ジャック・カッシーニ(縦長派)とピエール・ルイ・モーペルテュイ(横長派)がアカデミー・デ・シアンスを舞台にした論争の主題となり、ルイ15世の指示で実測が行われることになった。1736年から10年間をかけた観測では、ラップランド(トルネ谷)の緯度差1度当たりの子午線弧長がペルーよりも約1km長いことが判明し、地球は南北側が短いことが明らかとなった。論争に敗れたジャックだが、後に孫の代まで続いた子午線の測定は地球の周長を知らしめ、メートル法制定に寄与した。 「フランス科学アカデミーによる測地遠征」も参照
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