全室食堂車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 17:32 UTC 版)
オシ17 2055 ナシ20 24手前の小さな窓側が調理室奥の大きな窓が食堂 サシ489-4左側が食堂 右側が調理室右側ドアは食堂従業員用出入口 キシ80 26左側が食堂 右側が調理室 キサシ180-10(上)非公式側 (下)公式側 全室食堂車は車内を2部屋に区切り、一方の部屋は本格的な調理設備を設置した調理室とし、他方の部屋はテーブル席を備えた食堂とする形態が一般的である。 客車の食堂車は明治末期から大正中期まで車体長17m級の2軸ボギー客車と20m級の3軸ボギー客車が混在、食堂の客席配置も洋食堂車と和食堂車で異なるなどの違いがあったが、大正末期に製造されたオシ27700形以降20m級3軸ボギー車、食堂の客席配置は4人席と2人席を備えた定員30名が標準になり、鋼製客車への移行後もこの形態が踏襲されたが、戦後初の新製食堂車であるマシ35形からは20m級2軸ボギー車になった。1956年に登場した10系客車のオシ17形では、車体幅が拡張されたことで車内レイアウトが見直され、客席のテーブルを4人掛けとして定員40名に増加し、それ以後の食堂車でもこの配置であった。なお、食堂内には1936年に製造されたマシ38形で車輪の回転を動力源にした冷房装置が設けられ、マシ35形も同様の冷房を備えたが、この方式は動作に問題も多かったことからオシ17形ではエンジン駆動の冷房装置になった。 厨房内の調理設備は食堂車の誕生以来1950年代まで石炭レンジと氷冷蔵庫を主に使用していた。マシ35形の姉妹形式であるカシ36形では調理室の電化が図られ電気レンジや電気冷蔵庫を装備したが、電力発生量が充分ではなく故障が多かったことから、マシ35形と同じ設備へ改修して編入した。また、オシ17形も調理設備に関しては、石炭レンジや氷冷蔵庫といった旧式の設備を踏襲した。 電化調理設備の実用化と冷房設備の電動化は、電源車からの集中給電方式を採用し固定編成を前提とした20系客車のナシ20形で完成された。その後、分散電源方式を採用した14系客車のオシ14形、さらに再び集中電源方式に変更された24系客車のオシ24形に基本設計は踏襲された。 電車特急用食堂車は、151系電車のサシ151形が基本的には既に登場していたナシ20形をベースに当初より完全電化として設計された。大量に電力を消費をすることから、自車に70KVAの電動発電機(MG)を搭載した。また回送運転台を客室側妻面に設け、編成組成上の要とされた。従業員用トイレも設け、業務環境を改善した。のちに開発・製造されたサシ481・489・581形でも基本設計は踏襲されたが、サシ151形の使用実績を基に回送運転台が調理室側妻面にも増設された。 気動車特急用食堂車は、第1次製造分となったキサシ80形では走行用エンジンを搭載しなかったために数々の問題が露呈した。本件については国鉄キハ80系気動車#キハ82系(1961年 - 1967年)を参照のこと。 製造期間が長期にわたったために、途中でテーブル・椅子のFRP化などの改良が行われたほか、客車ではオシ14形以降、電車ではサシ181形100番台・サシ481-15以降・サシ489形・サシ581形、気動車ではキシ80 37とキサシ180形が、複層ガラスの間に手巻き式のブラインド(ベネシャンブラインド)をはめ込んだ方式に変更され、従来のカーテンは廃止された。また、初期に製造された電車・気動車の食堂車には、食堂出入口ドアの上部に列車位置表示器が取付けられたが、1964年以降の製造車からは廃止された。 また寝台急行列車用に製造されたオシ16形は、全室食堂車でありながら寝台設営・解体時の避難場所と言う位置づけも兼ねた「フリースペース」に準ずる扱い から、ビュフェとした車両である。
※この「全室食堂車」の解説は、「食堂車」の解説の一部です。
「全室食堂車」を含む「食堂車」の記事については、「食堂車」の概要を参照ください。
- 全室食堂車のページへのリンク