マシ38形(スシ37850形)
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「国鉄オハ35系客車」の記事における「マシ38形(スシ37850形)」の解説
特急「富士」・「燕」用食堂車として1936年(昭和11年)から1938年(昭和13年)にかけて鉄道省大井工場で6両が製造された。 トップナンバーのスシ37850は鉄道省の車両としては初の冷房装置搭載車であり、車軸発電機より得られた電力で冷房装置を駆動する、電気駆動式の冷房装置を搭載して竣工し、優先的に特急「燕」に充当された。 基本設計は食堂部分の側窓を1,200 mm幅の2重窓とした以外は先行するスシ37800形と共通で、食堂の座席も従来通り通路を挟んで2列と1列の3列構成となっており、台車も当時の食堂車の標準仕様に従い3軸ボギー式のTR73とされた。 本形式の最大の特徴である冷房装置は、当初より搭載した37850以外は竣工の時点では未設置で、1937年(昭和12年)から1938年(昭和13年)にかけて37851・37852が37850と同様の荏原製作所製の車軸発電機+電気駆動式、37853 - 37855が車軸からベルトにベベルギア、それにプロペラシャフトおよび電磁クラッチで直接冷房装置を駆動する川崎造船所製の直接駆動方式、と2種に分けて追加搭載が実施されたが、1939年(昭和14年)以降はすべて川崎式駆動装置による直接駆動式に変更されている。 もっとも、これらの冷房装置は時局柄贅沢であるとする指摘があり、また「燕」の大阪打ち切りが1943年(昭和18年)2月より実施され、これに伴い同列車用客車編成の配置が明石操車場から宮原操車場に変更されたことで保守上の問題ともなったため、1942年(昭和17年)夏が戦前最後の冷房使用シーズンとなった。 さらに1941年(昭和16年)10月称号改正でスシ38 1 - 6に改称されたが、戦災で1両が廃車となった。 戦前製食堂車中では最優秀の設備を備え、しかも戦時中は普通車に改造されることもなく疎開先で温存されていたことから全車が進駐軍の接収対象となり、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) 第3鉄道輸送司令部 (MRS) およびその麾下の鉄道司令部 (RTO) による指示の下、再度川崎式駆動装置による直接駆動式冷房装置を搭載して戦前の状態に準じた再整備を実施の上で、軍番号を与えられて品川客車区に配置され、連合軍専用列車に長く使用された。 日本側への返還は講和条約発効後の1953年(昭和28年)で、以後はマシ38 1 - 5として品川客車区に配置され、東海道・山陽本線系統の特急・急行列車を中心に運用された。 最後の定期運用は呉線経由の東京 - 広島間の急行「安芸」で、1968年(昭和43年)秋までおよそ10年にわたり使用されたが、急行の特急格上げや廃止で余剰となったオシ17形に置き換えられて全車廃車となった。 その廃車は老朽化が主因であったが、その一方で前年に2がレンジ内の燃え残りの石炭から出火して死者2名を出す火災を引き起こし(日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#急行安芸食堂車全焼事故を参照)、石炭レンジの危険性と木材を多用する内装の可燃性が問題視されたこともあっての緊急淘汰という一面があり、本形式並びにスシ48形・マシ29形の残存全車除籍をもって国鉄線上から半鋼製3軸ボギー式食堂車が全廃された。
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