使用実績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 04:41 UTC 版)
「国鉄キハ40000形気動車」の記事における「使用実績」の解説
1934年3月に日本車輌製造本店(キハ40000 - 40014)と川崎車輛(キハ40015 - 40029)で製造され、一部は竣工直後の1934年7月20日から同年9月20日にかけて、当時部分電化工事中の山陽本線で区間列車として運用された。 その後は本来投入予定の各線に配置されたが、勾配線区での使用実績は良好とはいえず、オーバーヒートなどのトラブルが多発した。これは勾配区間での走行速度低下が著しく、全負荷運転中のエンジンの発熱が想定外の低速度下で能力の低下した冷却装置の冷却能力を超えた事が原因とされた。この対策としてキハニ5000形のようにラジエーターを正面屋根上に移設改造し、冷却能力の向上を図った車両もあったが効果の有無については不明である。貨車牽引についてはどの程度行なわれたのか明らかではないが、牽引時の走行性能の問題の他に、貨車1両程度の牽引能力ではローカル線の貨物需要にすら対応できない点も指摘された。このように当初の目的を十分に果たすことが出来ないことが明らかになったこともあり、追加増備は見送られ製造両数は初年度の30両にとどまった。 また、全体の半数に当たるキハ40007・40016 - 40029は戦時中に特別廃車となり、国鉄工場で標準軌に改造の上で中国大陸に送られ、華中鉄道で使用された。中国遼寧省・南票鉱務局専用線の機務段(機関区)に廃車体が現存している。そのほかの車両についても終戦後の1948年(昭和23年)以降、使用可能車両の多くが順次私鉄へ譲渡され、最後まで国鉄に残っていた2両(キハ40004・40005)も1950年(昭和25年)に付随車であるキサハ40800形(キサハ40800・40801)に改造された。
※この「使用実績」の解説は、「国鉄キハ40000形気動車」の解説の一部です。
「使用実績」を含む「国鉄キハ40000形気動車」の記事については、「国鉄キハ40000形気動車」の概要を参照ください。
- 使用実績のページへのリンク