使用年数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 20:11 UTC 版)
東京都内の事業者としては路線車のライフサイクルが長いことで知られる。車号3200代(日産ディーゼルP-U32K)がその代表格で、1985年(昭和60年)から2004年(平成16年)1月までの18年(最大使用年数は17年)間に及んだ。これらの車両は、それまでの関東バスにおける平均使用年数であった12年前後に達した1997年(平成9年) - 1998年(平成10年)にかけて、後処理用の触媒を自動車NOx・PM法適合品に交換したほか、2003年(平成15年)には同年10月1日から実施された東京都ディーゼル車規制条例への対応のため、3200代のうち最後まで使用された青梅街道の7台(C3304 - C3310)にDPFの取り付けといった延命措置を施行の上で、自動車排出ガス規制への対応を重ねながら使用された。 3200代の代替が開始された1996年(平成8年)度までは、関東バスも東京都内の他の事業者と変わらないライフサイクルであり、前述の通り12年程度の使用で除籍されていたが、3200代は非冷房車の早急な代替を目的として短期間で全営業所に計115台という大量投入が行われた形式であった。115台の内訳は、1985年式48台(3201 - 3250、うち下2桁42と49は忌み番号とされ欠番、他の関東バス各車種についても同様)、1986年(昭和61年)式34台(3251 - 3284)、1987年式33台(3285~3317)である。1999年(平成11年)春から関東バスの全路線車において、車両番号の前に新たに営業所記号(A=阿佐谷、B=武蔵野、C=青梅街道、D=丸山、E=五日市街道)が貼り付けられたことに伴い、3200代においても当時残存していた車両について貼り付けが行われた。 そうした事情があり、3200代については代替する新車が短期間に大量導入できなかったことが理由であった。3200代と代替された非冷房車については、当時の関東バスの平均使用年数よりも短い8年程度での代替が行われている。なおそれ以前にも、1962年(昭和37年) - 1970年(昭和45年)にかけて行われたワンマン化の過程において、前後扉や3扉のワンマン車との代替で、ツーマン専用車のボンネットバスやリアエンジンバスが車齢6 - 9年程度の短期間の使用で除籍された例がある。 これにより以後、関東バスの平均使用年数が延びることになった。ただし3200代を置き換えた頃から、自動車NOx・PM法の他に、交通バリアフリー法との兼ね合いもあって新車の導入ピッチが上がっていることや、3扉車にくらべて収容力が劣る1996年度導入車(KC-代)が、2010年3月に車齢13年で延命措置を施すことなく全廃となったり、2012年(平成24年)度には1999年(平成11年)度から導入されたノンステップバスの廃車も開始されるなど、最近では他の事業者と変わらないライフサイクルに戻りつつある。 3扉車は近年でも、ノンステップバスや先立って2010年に全廃された1996年度導入車(KC-代)に比べて収容力が大きいことから、多数の車両に延命措置が施行され、中でも1990年式車(日産ディーゼルU-UA440LSN、車号5100代)は武蔵野と青梅街道において、3200代よりも長い2008年(平成20年)12月まで18年間にわたり使用されていたほか、15~17年程度にわたって使用された車両が多数存在した。この問題の解消のため2000年(平成12年)以来続けられてきたノンステップバスのみの導入から、2009年(平成21年)からはより収容力の多いワンステップバスの導入も行う方針に転換している。 前述の通り、2011年度が終了した現在でも3扉車の動態保存車として、1995年導入車が武蔵野に1台(日産ディーゼルU-UA440HSN、B3008号車)残存しており、延命措置を施した上で使用が続けられている。また、丸山においては1999年3月導入車1台(日産ディーゼルKC-RN210CSNワンステップ、D601号車)が2016年(平成28年)1月までの16年間にわたり在籍していた。こちらは全長7 m級の小型路線バスの製造が日本国内すべてのバスメーカーにおいて打ち切られたことにより、代替車種の確保が困難だったため継続使用された例である。
※この「使用年数」の解説は、「関東バス」の解説の一部です。
「使用年数」を含む「関東バス」の記事については、「関東バス」の概要を参照ください。
- 使用年数のページへのリンク