廃車・譲渡
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「近鉄16000系電車」の記事における「廃車・譲渡」の解説
2021年(令和3年)までに12両が廃車(内8両は近鉄で、4両は譲渡先で廃車解体)となった。 1997年(平成9年)に後継車となる16400系が製造された際に、第1・第2編成の2両編成4両が代替廃車となり、これらは大井川鉄道(現・大井川鐵道)へ譲渡された(後述)。 2002年(平成14年)に第3編成が廃車され、第1・2編成と同様に大井川鐵道へ譲渡された。2005年(平成17年)1月には第4編成が廃車となったが他社への譲渡はされず、廃車後は16000系で初めて解体された。 さらに、2013年(平成25年)11月24日をもって第5・第6編成の2両編成4両が運用を終了し、翌12月までに解体された。なお、最終運用日は両編成を使用したラストラン・撮影会が開催された。 2019年(平成31年)4月1日現在、2両編成2本(16007F・16009F)4両と4両編成1本(16008F・16051F)の合計8両が在籍し、古市検車区に配置されている。
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廃車・譲渡
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「スイス国鉄RAe2/4形、RBe2/4 1003-1007形電車」の記事における「廃車・譲渡」の解説
本機は1966年から順次運用を外れ、RBe2/4形は1968年に運用を外れ、1974年までに廃車となったほか、RAe2/4形も1002号機が1984年に廃車となっている。各機体の廃車までの走行距離は以下の通り。1003 - 1751600 km 1004 - 1644000 km 1005 - 1619200 km 1006 - 1623840 km 1007 - 1324400 km 1003号機は1968年に運用を外れた後に保留車となっていたが、1974年にルツェルンの交通博物館で静態保存されている。 1007号機は廃車後にオエンジンゲン-バルシュタル鉄道へ27,500スイス・フランで譲渡されて5月26日よりRBe2/4 202号機となっている。同鉄道では当初車体を青で窓下に白帯を入れた塗装となり、「青い矢と呼ばれて使用されていたが、1989年には再度赤塗装に変更され、現在では復元工事がなされたDe6/6形電気機関車やRFe4/4形荷物電車とともに歴史的車両として運行されている。
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廃車・譲渡
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「夕張鉄道キハ250形気動車」の記事における「廃車・譲渡」の解説
キハ251 廃車後関東鉄道に譲渡され、1976年1月16日に鉾田線キハ714形キハ714となり、入線時に際し補助灯を尾灯への改造とタイフォンの床下への移設を実施した。 1977年(昭和52年)5月に座席をロングシート化、1980年10月に屋根以外の外板張替、運転台側に乗務員室扉を設置改造を行った。 扉配置の関係でワンマン化が出来なかったが、1994年(平成6年)7月12日には冷房化され20 m 級の車体を活かしてラッシュ時などに使用されていた。 2007年(平成19年)3月31日、鹿島鉄道廃止と同時に現役を引退した。 キハ252、キハ253 廃車後水島臨海鉄道に譲渡され、以前に譲渡されていたキハ300形とともに1973年(昭和48年)3月8日からキハ303、キハ304としてほぼ原形のまま1978年(昭和53年)まで使用された。 さらに岡山臨港鉄道に譲渡されてそれぞれ1979年(昭和54年)2月1日と5月1日にキハ7001、7002となった後、1984年(昭和59年)12月31日の路線廃止に伴い同年12月29日に廃車となり、ともに岡山県美作市に保存された。その後キハ7001、キハ7002ともに2012年(平成24年)2月19日に解体されたが、キハ7001の運転台カットボディの保存が決まり、岡山臨港鉄道時代の塗装に復元されて、2013年(平成25年)より岡山県久米郡美咲町の柵原ふれあい鉱山公園に静態保存されている。 キハ254 廃車後関東鉄道に譲渡され、1976年(昭和51年)1月16日に鉾田線キハ715形キハ715となり、入線時に際し補助灯を尾灯への改造とタイフォンの床下への移設を実施した 1977年(昭和52年)には座席をロングシート化、1978年(昭和53年)11月には車体更新を実施し、屋根以外の外板張替、運転台側に乗務員室扉を設置を行っている。 元三井芦別鉄道キハ100形キハ101 - 103のキハ711 - 713やキハ714とともに使用されていたが、冷房化されずに1993年(平成5年)2月1日に廃車となった。
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廃車・譲渡
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普通系車両の冷房化率が向上すると、5231形は阪神で最後の非冷房車となった。5231形は使用年数と今後の耐用年数および在籍車両数を勘案して冷房改造を実施せず、代替車の新造による置き換え対象となった。5231形は1981年から1983年にかけて順次廃車となり、台車・主電動機は代替新造された回生ブレーキ付き電機子チョッパ制御車の5131形・5331形に転用された。 1983年4月7日に阪神最後の非冷房車であった5249 - 5252の4両が廃車となり、日本の大手私鉄では初めて全営業用車両が冷房車となった。 廃車後、5231 - 5240と5249 - 5254の車体が京福電気鉄道福井支社(現在のえちぜん鉄道)に譲渡され、同社のモハ2101形となった。また、5243, 5244の車体が高松琴平電気鉄道に譲渡されて、同社の1053形となった。
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廃車・譲渡
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「レーティッシュ鉄道G4/5形蒸気機関車」の記事における「廃車・譲渡」の解説
電化の進展により1920年以降1927年にかけて107、108号機を残して順次廃車となり、2両がブラジルの中央鉄道(ポルトガル語版)へ、7両がスペインのロブラ鉄道(スペイン語版)へ、18両がタイの国鉄へ譲渡された。各機体の廃車年、譲渡先、譲渡先機番、譲渡先廃車年は以下の通り。 101 - 1924年 - ブラジル中央鉄道 - 1230 - 1939年 102 - 1949年 - ロブラ鉄道 - 102 Ceferino de Urien - 1970年 103 - 1924年 - ブラジル中央鉄道 - 1231 - 1939年 104 - 1949年 - ロブラ鉄道 - 104 José de Aresti - 1970年 105 - 1949年 - ロブラ鉄道 - 105 Guillermo Baraudiaran - 1970年 106 - 1949年 - ロブラ鉄道 - 106 Manuel Orra - 1970年 109 - 1920年 - ロブラ鉄道 - 109 José Ignacio Ustara - 1970年 110 - 1920年 - ロブラ鉄道 - 110 José-Maria San Martin - 1970年 111 - 1920年 - ロブラ鉄道 - 111 Victoriano Garay - 1970年 112 - 1927年 - タイ国鉄 - 343 - 1956年 113 - 1927年 - タイ国鉄 - 344 - 1954年 114 - 1927年 - タイ国鉄 - 345 - 1950年 115 - 1927年 - タイ国鉄 - 346 - 1950年 116 - 1927年 - タイ国鉄 - 347 - 1953年 117 - 1927年 - タイ国鉄 - 348 - 1950年 118 - 1926年 - タイ国鉄 - 340 - 1965年 119 - 1926年 - タイ国鉄 - 342 - 1954年 120 - 1926年 - タイ国鉄 - 341 - 1954年 121 - 1926年 - タイ国鉄 - 339 - 1959年 122 - 1926年 - タイ国鉄 - 338 - 1965年 123 - 1926年 - タイ国鉄 - 336 - 1966年 124 - 1926年 - タイ国鉄 - 337 - 1964年 125 - 1926年 - タイ国鉄 - 335 - 1953年 126 - 1926年 - タイ国鉄 - 331 - 1956年 127 - 1926年 - タイ国鉄 - 332 - 1961年 128 - 1926年 - タイ国鉄 - 333 - 1958年 129 - 1926年 - タイ国鉄 - 334 - 1950年 いずれもほぼ原形のまま使用され、ロブラ鉄道では原番号のまま各機体に機体名を付けて使用され、タイ国鉄では先頭部にカウキャッチャーを取付けて使用されていた。 タイ国鉄の機体のうち、340号機(レーティッシュ鉄道108号機)はチェンマイで、336号機(レーティッシュ鉄道123号機)はバンコクの鉄道博物館でそれぞれ保存されている。
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廃車・譲渡
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「フルカ・オーバーアルプ鉄道HG3/4形蒸気機関車」の記事における「廃車・譲渡」の解説
電化によって通常の営業列車では使用されなくなった本形式は、1940年にHG3/4 7号機、1941年に6号機、1947年に1、2、8、9号機の各機がそれぞれ廃車となっている。 事業用等として残されていた機体も、HG3/4 5号機が1959年に廃車となり1968年に解体され、10号機が雪崩事故により1965年に廃車となったほか、1960年代頃には老朽化が進んでいたため、代替としてHGm4/4形ラック式電気式ディーゼル機関車が1967年に導入されたことに伴い、HG3/4 3号機は1967年、4号機は1972年にそれぞれ廃車となっている。3号機は廃車後に博物館鉄道であるブロネイ-シャンビィ博物館鉄道に譲渡されて動態保存されている。
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廃車・譲渡
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「スイス国鉄G3/4形蒸気機関車」の記事における「廃車・譲渡」の解説
1942年のブリューニック線の電化により、1941年以降1965年にかけて順次廃車となり、3両がギリシャへ、1両が個人に譲渡されている。各機体の廃車年、譲渡先は以下の通り。 201 - 1947年 - 解体 202 - 1943年 - 解体 203 - 1947年 - ギリシャ 204 - 1947年 - ギリシャ 205 - 1947年 - ギリシャ 206 - 1957年 - 解体 207 - 1965年 - 解体 208 - 1965年 - 個人 215 - 1942年 - 廃車 216 - 1942年 - 廃車 217 - 1941年 - 廃車 218 - 1942年 - 廃車 ギリシャに譲渡された機体はHG3/3形2両とともにテッサリア地方のテッサリア鉄道で、ヴォロスでの入換用などに同番号のまま使用された。カウキャッチャーとねじ式連結器が取付けられている。現在では使用されていないが、203号機が残されている。 208号機はHG3/3 1067号機とともに個人に譲渡された後、1974年からはブリューニック蒸気鉄道などでファントレインを牽引している。
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廃車・譲渡
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「スイス国鉄HG3/3形蒸気機関車」の記事における「廃車・譲渡」の解説
1942年のブリューニック線の全線電化と、その後の入換用ディーゼル機関車の導入に伴い、1941年以降1965年にかけて順次廃車となり、2機がギリシャへ、1機がルツェルンの交通博物館に、1機が鉄道車両保存団体に譲渡されている。また、一部でボイラーの振替がなされている。各機体の廃車年、譲渡先は以下の通り。 1051 - 1943年 - 解体 1052 - 1942年 - 解体 1053 - 1953年 - 解体 1054 - 1949年 - 解体 1055 - 1949年 - ギリシャ 1056 - 1947年 - 解体 1057 - 1941年 - 解体 1058 - 1949年 - ギリシャ 1059 - 1942年 - 解体 1060 - 1943年 - 解体(ボイラーは1968号機へ) 1061 - 1944年 - 廃車 1062 - 1942年 - 解体(ボイラーは1963号機へ) 1063 - 1957年 - ルツェルン交通博物館 1064 - 1956年 - 解体 1065 - 1965年 - 解体 1066 - 1957年 - 解体 1067 - 1965年 - 鉄道車両保存団体へ譲渡(1972年より動態保存) 1068 - 1965年 - メイリンゲンで静態保存(現在動態保存に向け修復中) ギリシャに譲渡されたHG3/3 1055および1058号機は、ほぼ同時に譲渡されたG3/4形の203-205号機とともにテッサリア地方のテッサリア鉄道に譲渡されて、ヴォロスの港湾鉄道で入換用などに同番号のまま使用された。同鉄道ではラック区間用の走行装置を撤去し、カウキャッチャーとねじ式連結器を設置して運行されていた。なお、現在では旧1058号機がヴォロスで旧203号機や他の機体とともにヴォロスの車両工場に廃車体として残存している。 HG3/4 1063号機はルツェルンの交通博物館でカットモデルに改造されて保存されている。 HG3/4 1067号機はバレンベルク蒸気鉄道に譲渡されて、1972年からは、同じく同鉄道が保有するG3/4 208号機とともにブリューニック線やベルナーオーバラント鉄道、メイリンゲン・インナートキルヒェン鉄道などでブリューニック保存鉄道などの鉄道車両保存団体が所有する旧型客車などを牽引した観光列車として運行されているが、2013年11月16日に発生した本機が収容されていた車庫の火災により焼損しており、現在修復中となっている。 HG3/4 1068号機はメイリンゲンで静態保存され、2000年には1067号機と同じバレンベルグ蒸気鉄道の所有となってインターラーケンに移設され、保管されていたが、2017年から動態保存機として運行を開始する予定で2013年から修復作業が行われている。
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廃車・譲渡
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東京地下鉄では2009年(平成21年)度末から2011年(平成23年)度にかけて15000系を導入し、05系の1- 4次車を置き換える予定と発表した。まず、2010年に第02・07-11編成が運用を終了し、最後まで残った第01・03-06・12・13編成も2011年夏で運用終了となった。このうち01・03・06・13編成の4本については上述の改造工事を実施し、千代田線北綾瀬支線用へと転用された。 第11編成は2010年5月に両先頭車2両(05-111、05-011)と05-511の3両が深川検車区行徳分室から搬出され、途中東京港から神戸港まで船舶輸送された後、近畿車輛へ陸送で搬入された。
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廃車・譲渡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 07:28 UTC 版)
ドイツ再統一やソビエト連邦の崩壊などの社会の変革を経た1990年代以降、超低床電車の導入に伴い各都市でT4・B4の廃車が進行しており、近代化工事を実施した車両についても2000年代以降多くの都市で廃車対象となっている。旧東ドイツ各都市ではマクデブルク市電では2012年、ハレ市電では2020年をもって営業運転を終了した他、ドレスデン市電についても前述の通り2010年をもって定期運用から撤退し、残存する車両も2023年までに全車廃車される予定となっている。また旧ソビエト連邦各都市でも老朽化の影響からタリン市電やリエパーヤ市電のように全廃される事例が相次いでいる。一方、これらのT4・B4の一部車両は朝鮮民主主義人民共和国の平壌(平壌市電)、ブルガリアのソフィア(ソフィア市電)、ルーマニアのアラド(アラド市電)など各都市の路面電車への譲渡が積極的に行われている。 T4D(ブルガリア:ソフィア) T4D(ルーマニア:アラド) T4D(カザフスタン:アルマトイ) T4D(北朝鮮:平壌)
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廃車・譲渡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 07:55 UTC 版)
制御装置を始めとする主要機器の老朽化に加え、低床化改造が困難な構造であった事から、2000年代以降ドイツ(←東ドイツ)各都市で超低床電車導入に伴うT6A2・B6A2の廃車が進んでおり、ドレスデン(ドレスデン市電)からは2000年、ベルリン(ベルリン市電)からは2007年、ライプツィヒ(ライプツィヒ市電)からは2011年、ロストック(ロストック市電)からは2015年までに引退した。その一方で輸送力の増強が課題となっていた他都市への譲渡も実施されており、前述した旧ロストック市電のB6A2Dに加え、ベルリン市電から撤退した車両の一部がポーランドのシュチェチン市電やウクライナのドニプロ市電、スウェーデンのノーショーピング市電(スウェーデン語版)へ譲渡されている。 T6A2M(ポーランド・シュチェチン) T6A2M(ウクライナ・ドニプロ)
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廃車・譲渡
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「阪神5101形・5201形電車」の記事における「廃車・譲渡」の解説
1970年に始まった阪神の車両冷房化は、1975年の3301形と7801形2次車の冷房改造を最後に急行系車両の冷房化を達成、引き続いて普通系車両の冷房化に取り組むこととなった。車齢等を勘案した結果、ジェットカー第1世代の5001, 5101, 5201の各形式は5001形(2代)の新造による代替廃車が決定した。 まず試作要素の強い「ジェットシルバー」の5201 - 5202が1977年3月に廃車されたのを皮切りに、足回り換装工事未施工車から順次廃車され、1979年までに未施工車は全車廃車された。引き続いて足回り換装工事施工車も廃車されたが、これらの台車と主電動機は5001形(2代)に転用された。その後も代替廃車は5001形(2代)の増備に伴って順調に進み、5101形が1980年に、5201形も1981年1月までに全車廃車された。 この間、5101・5201形の廃車に伴い単車で走行可能な車両が減少したことから、普通の3連運行が廃止され、増解結は早朝・深夜およびデータイムの西大阪線の2連運行と、その他時間帯の本線およびラッシュ時の西大阪線の4連運行に簡素化された。 5101形のうち5107 - 5110の4両については、車体のみが高松琴平電気鉄道と京福電気鉄道福井支社へ譲渡された。 琴電には5107・5110の車体が譲渡され、京浜急行電鉄230形の足回りと組み合わせられて1060形として就役し、2006年まで使用された。 京福電鉄には5108・5109の車体が譲渡され、福井支社の旧型車・モハ1001形の部品と組み合わされてモハ1101形として就役した。その後1998年に豊橋鉄道1900系の廃車発生品を使用し新性能化されたが、1両が2000年の正面衝突事故で廃車となった。残る1両はえちぜん鉄道に引き継がれMC1101形と改称し、2014年まで活躍した。
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廃車・譲渡
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編成から外されていた試作アルミ車の6600は、2011年4月28日付で廃車となった。6000系初の廃車であり、阪急では初めてのアルミ車の廃車である。 6671・6681は2017年4月7日付で7000系7025・7125とともに廃車となり、能勢電鉄へ譲渡され7200系となった。続いて6012Fの伊丹線転属で余剰となった6670・6680が7000系7016・7116とともに2018年4月12日付で廃車となり、能勢電鉄7201Fとなった。先述の通り、伊丹線への転属で余剰となった付随車のうち元2200系の6750・6751は2018年3月23日付で廃車・解体された。その後も伊丹線への転属で余剰となった付随車(6554・6564・6574・6584・6558・6568・6551・6561・6571・6581)が順次廃車されている。
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廃車・譲渡
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「夕張鉄道キハ300形気動車」の記事における「廃車・譲渡」の解説
廃車後倉敷市交通局に譲渡され、1968年10月4日よりキハ301、302として同時に譲渡されたナハニフ153とともにほぼ原形のまま水島本線で使用された。 キハ302は踏切事故で損傷したため1975年4月に廃車となっている。 キハ301は1978年まで使用された後、さらに岡山臨港鉄道に譲渡されて1979年6月30日にキハ7003となった後、1984年12月31日の路線廃止に伴い同年12月29日に廃車となった。現在は岡山県岡山市の保育園に保存され、図書室として使用されている。
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廃車・譲渡
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「スイス国鉄Re410形電気機関車」の記事における「廃車・譲渡」の解説
Re4/4I形は、多くの機体が事故に遭っているがいずれも修復されており、事故廃車となった機体はない。 その後1982年以降のRBDe560形電車が牽引するNPZ、1989年以降のRe450形電気機関車が牽引するDPZの都市近郊列車への導入、1992年以降のRe460形電気機関車と2000年以降のRABDe500形の長距離列車への導入に伴い、1993年5月の10047号機以降廃車が始まり、その後1998年までに一般運用から外れ、入換専用機の10030、10032-10035、10037号機も2000-04年に廃車となっている。各年における廃車機番は以下のとおり。1993年:10047(1機) 1994年:10021、24、36(3機) 1995年:10010、25、29、43(4機) 1997年:10002-05、09、11、13、15、16、18、22、23、27、28、31、38-42、45、46、48-50(25機) 1998年:10006-08、12、14、17、19、20、26(9機) 2000年:10035、37(2機) 2002年:10033(1機) 2004年:10030、32、34(3機) 10001号機及び10044号機はそれぞれ1996年と1997年にスイス国鉄の歴史的電気機関車に指定されて動態保存されており、初期の軽量客車で、1次形用の制御客車であるBDt 50 85 82-33 900-0号車(CFt4ü 961号車→BDt 1990号車)もともに動態保存され、10001号機および他の軽量客車とともに編成を組んでいる。なお、10001号機と10044号機の配置経歴は以下の通り。10001号機1946年:ベルン(試運転) 1946-53年:チューリッヒ(1948年以降はルツェルン - チューリッヒ間のシャトルトレインなどで運用) 1953-77年:ルツェルン 1977-94年:ベルンツォーナ(ベリンツォーナと基点としたシャトルトレインで運用) 1994-96年:オルテン 1996年以降:オルテン(歴史的車両) 10044号機1950-70年:ローザンヌ 1970-76年:ビール/ビエンヌ 1977-81年:ベルン 1982-98年:ローザンヌ 1998年以降:ラッパースヴィール(歴史的車両) 10002、10009、10016、10039、10042、10046号機の6機が、鉄道車両保存・運行団体で後に会社となったClassic Railに譲渡されている。このうち、1999年に10002、10016、10039号機が、2000年に10009号機がスイス北東部の私鉄で、当時スイス国鉄やドイツ国内など自社路線以外での列車運行も手広く手がけていたミッテルトゥールガウ鉄道にリースされている。なお、同鉄道では形式がUIC方式のものに変更されていたほか、1次形の右側側面中央に「mthb」の、1次形の左側と2次形の両側の車体側面下部中央に「mittelthurgaubahn」のロゴが入り、濃緑色塗装の機体も車体裾部に白の細帯が入るデザインとなり、1次形は正面の貫通扉が埋められていた。旧番とUIC方式の形式、車体塗装は以下のとおり。なお、Re4/4I形のUIC方式形式名はRe410形であるが、旧ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道以外の私鉄保有機は形式の3、4桁目で保有会社を識別しており、ミッテルトゥールガウ鉄道及びその後身のトゥルボでは66を使用するため、同鉄道保有のRe410形はRe416.6形となっている。Re4/4I 10002 - Re416 625-2 - 濃緑色 Re4/4I 10009 - Re416 626-0 - 赤色 Re4/4I 10016 - Re416 627-8 - 赤色 Re4/4I 10039 - Re416 628-6 - 濃緑色 2002年にミッテルトゥールガウ鉄道は経営破綻して路線はスイス国鉄が、運行はスイス国鉄が90%を出資するトゥルボが引継いでいるが、これに伴い1次形の625-627号機はClassic Railへ返却され、2次形の628号機は引続きトゥルボで運行されている。その後626、627号機はドイツで2000年に設立された貨物列車運行会社であるRail4Chemにリースされ、626号機は緩衝器を角型の新しいものに交換し、車体側面中央上部と正面中央下部に同鉄道のマークを入れた形態で、627号機はミッテルトゥールガウ鉄道で運行されていた当時の形態のままで運行されていたが、現在では両機ともClassic Railに返却されており、2009-10年頃にはスイス国内に留置されている。また、628号機は現在ではスイスの貨物列車運行会社であるSwiss Rail Trafficが運行しており、当初は濃緑色一色でマーク等の入らない形態であったが、2009-10年頃には側面にクリーム色で太帯と同鉄道のマークが入れられている。 バーゼルに本社を置く鉄道車両保存・運行および貨物列車運行会社であるCentralbahnでは1998年に10006、10008、10019号機の3機を譲受し、10008号機と10019号機が同社が保有している動態保存客車を牽引するなどの団体列車の牽引に使用されている。なお、車体塗装は10008号機が紺色、10019号機が濃赤色ベースで車体裾部に金色の細帯とCentralbahnのURLが入っているほか、表記類はスイス国鉄のものに準じたものとなっている。なお、各機体の機番と2007年から採用されたUIC規格によるヨーロッパ標準動力車番号体系であるEVNの機体番号とは以下のとおりとなっている。Re4/4I 10008 - 91 80 0010 008-4 D-CBB Re4/4I 10019 - 91 80 0010 019-1 D-CBB 2004年にはスイスの鉄道車両保存・運行会社であり、多くの客車を保有して列車の運行をしているTranseurop-Eisenbahnが10032号機を譲受している。 同機は2007年ころまでオーストリアのウィーンで修復待ちの状態であった。 2004年の廃車後民間の所有で保存されていた10034号機は、TEE時代の車両の動態保存と運行を行うチューリッヒに本拠地を置く団体であるTEE Classicsが2007年に譲受、修復して2008年より運行を開始し、同年11月にはSLMの後身の一つであるDLMでTEE塗装への変更を実施している。なお、TEE塗装は正面に十字と矢印を組み合わせたスイス国鉄のマークが付く1973年以降のものであるが、正面の機番がナンバープレートとなっている。 このほか、10042、10046号機が民間に譲渡され、10046号機はバーゼルで静態保存されている。
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廃車・譲渡
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「スイス国鉄RBDe560形電車」の記事における「廃車・譲渡」の解説
更新改造の対象外となった機体のうち、試作機のRBDe560 000-003号機については廃車となり、スイスおよびオーストリアの各私鉄に譲渡されている。 RBDe560 000号機、EW I系の1/2等客車のAB 30-35 200号車および制御客車のBt 29-34 900号車はオエンジンゲン-バルシュタル鉄道に譲渡され、2008年1月1日からRBDe207号機、AB 507号車およびBt 907号車として使用されている。車体塗装はほぼスイス国鉄時代のままで、側面下部中央にマークを入れたものとなり、RBDe207号機の機体名はBalsthalとなっている。 RBDe560 001、003号機およびBt 29-34 901、903号車はすでに同形機を導入していたオーストリアのモンタフォン鉄道に譲渡され、それぞれ2008年10月6日からET 10.122号機およびES 10.222号車、2008年1月1日からET 10.121号機およびES 10.221号車として使用されており、車体塗装は黄色一色となっている。 RBDe560 002号機およびBt 29-34 902号車はスイス北西部のジュラ鉄道に譲渡されて、2008年12月17日からRBDe560 141号機およびBt 29-34 941号車となっている。車体塗装は赤をベースに乗降扉を白、側面窓周りを黒として車体裾部に白帯を入れたものとなっている。
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廃車・譲渡
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「レーティッシュ鉄道ABDe4/4 481-486形電車」の記事における「廃車・譲渡」の解説
1997年11月29日にクール・アローザ線の電気方式がDC2400VからAC11kV 16.7Hzに変更となり、Ge4/4II形電気機関車が列車を牽引するようになると全機が廃車となったが、このうち484II、486II号機の2機がフランスの観光鉄道であるラ・ミュール鉄道に譲渡されている。
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廃車・譲渡
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「イタリア国鉄R370蒸気機関車」の記事における「廃車・譲渡」の解説
R370が運用されていた各線区では、1950年代頃より硫黄の需要が減少したことと、低速の蒸気機関車が牽引する列車による旅客輸送が自動車に移行していったことに伴い、本形式の運行は次第に減少し、最終的にはシチリア島の950mm軌間のイタリア国鉄路線は1959年までにほとんどが廃止され、現在では全廃されている。 これに伴い、本形式も路線の全廃と合わせて全機が廃車され、廃車後はピエトラルサ国立鉄道博物館でR370 023号機が静態保存されているのをはじめ、R370 002、012、018、024の各機が静態保存されている。
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廃車・譲渡
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「スイス国鉄Re420形電気機関車」の記事における「廃車・譲渡」の解説
Re420形は古い機体で製造後40年を超えているが、現在でもスイス国鉄の主力機種の一つであり、事故等による6機および後述のBLSレッチュベルク鉄道に譲渡された12機が廃車となったのみとなっている。 事故により廃車となった機体の機番および廃車年は以下の通りRe4/4II 11113 - 2004年 Re4/4II 11172I - 1978年 Re4/4II 11282 - 1975年 Re4/4II 11312 - 1985年 Re4/4II 11323 - 2005年 Re4/4II 11382 - 2002年 なお、11141号機は2007年10月から運行を外れて廃車が検討され、ローザンヌで定置の暖房電源供給機として使用されていたが、2009年に運行に戻っている。
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廃車・譲渡
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東上線貨物列車廃止と自社貨物列車削減、そして国鉄貨物縮小のあおりを受け、1988年(昭和63年)から廃車が始まった。この中で6両が他社へ譲渡され、秩父鉄道・上毛電気鉄道・茨城交通(鉄道部門は現、ひたちなか海浜鉄道)へ2両ずつ移籍した。他は解体され、形式消滅した。 秩父鉄道では、1990年(平成2年)にホキ9・ホキ10を譲受し、ホキ1形(ホキ1・ホキ2)となり、現在も使用されている。 上毛電気鉄道では、1987年(昭和62年)にホキ3・ホキ2を譲受し、ホキ1型(ホキ1・ホキ2)となった。通常時は大胡車両区、あるいは新里駅に留置されているが、概ね春先にはデハ100型に牽引されてバラスト散布工事列車に使用されている。 茨城交通では、1990年(平成2年)にホキ7・ホキ8が導入されたものの入籍はせず、機械扱いとされており、通常は那珂湊駅に留置されている。また、車体標記が東武時代のままになっている。台車が国鉄貨車でよく見られるTR41Cではないのが特徴。
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廃車・譲渡
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「レーティッシュ鉄道BDe4/4 491形電車」の記事における「廃車・譲渡」の解説
2003年12月31日にはカスティオーネ - カーマ間と所属車両がメソルチーナ鉄道に譲渡されたが、本機も同時に譲渡されてレーティッシュ鉄道時代の姿のままBDe4/4 6号機として使用されている。
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廃車・譲渡
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「レーティッシュ鉄道ABe4/4 487-488形電車」の記事における「廃車・譲渡」の解説
1997年11月29日にクール・アローザ線の電気方式がDC2400VからAC11kV 16.7Hzに変更となり、Ge4/4II形電気機関車が列車を牽引するようになると2機とも廃車となり、1998年にジュラ鉄道に譲渡されてABe4/4 641,642として使用されている。 ジュラ鉄道では1500Vモードに変更されたほか、車体ロゴをジュラ鉄道のものに変更、連結器を+GF+式自動連結器に交換、正面の電気連結器の撤去などの改造を受け、主にコンテナ車などの貨物列車の牽引に使用されている。
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