第1世代
第1世代
第1世代(1979~1985)
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「ゴシック・ロック」の記事における「第1世代(1979~1985)」の解説
初期のゴシック・ロックバンドの多くはイギリス出身だが、Christian Death(ロサンゼルス)、Virgin Prunes(アイルランド)、Xmal Deutschland(ドイツ)、Pink Turns Blue(ドイツ)などイギリス出身以外のバンドも存在する。
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第1世代 (1995年-99年)
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「オールズモビル・オーロラ」の記事における「第1世代 (1995年-99年)」の解説
多大な研究と開発の後、オーロラは1994年1月31日に量産に入り、1995年モデルとして発売された。オーロラにはデュアルゾーン・エアコン、革表皮のシート、ウォルナット模様の内装アクセント、2ポジション記憶装置付き電動調節の前席といった数多くの豪華で先進的な装備が標準で備わっていた。現在の燃料消費率やその他のデータを表示するオンボードコンピューターも標準装備であった。 オーロラはキャデラック向けのノーススターV8を基にしたオールズモビル向けの4.0L L47 オーロラV型8気筒エンジンも標準で搭載し、ノーススター・エンジンと4T-80E型変速機はオーロラに搭載されるまではキャデラック専用であった。オーロラの抗力係数(Cd値)は0.32であった。 当時、オーロラは洗練されたエンジン、素晴らしい組立精度、バランスの取れた乗り心地、強固な構造で評価が高かった。実際にメーカーがボディ強度を測るために実施する通常の衝突テストの最中にオーロラのモノコック構造はGMのテスト機材を破壊してしまった。代わりに強固なトラックのフレーム用のテスト機材が使用されたが、テスト車両は乗用車用の連邦基準テストを2度も通過した。 初年度のオーロラは45,000台以上を売り販売の強さをみせたが、購入者の多くが掲示価格を見てから去っていってしまったため1996年には劇的に落ち込んだ。ビュイック・ルセイバー(Buick LeSabre)、ビュイック・パークアヴェニュー(Buick Park Avenue)、ビュイック・リヴィエラ、オールズモビル・88(Oldsmobile 88)、オールズモビル・98(Oldsmobile 98)とポンティアック・ボンネヴィル(Pontiac Bonneville)と共に全ての第1世代のオーロラはミシガン州、レイクオリオン(Lake Orion)の工場で生産され、1999年6月25日に生産を終了した。[要出典]
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第1世代(1994–2007)
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「キア・グランバード」の記事における「第1世代(1994–2007)」の解説
起亜グランバード2000-2007。 起亜グランバード2000-2007。 アジアモーターズグランバード。
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第1世代 (1975–1980)
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「ビュイック・スカイホーク」の記事における「第1世代 (1975–1980)」の解説
ビュイック・スカイホークは1974年9月に発売され1975年モデルから1980年モデルまでが生産されたサブコンパクト・クラスの4座、ハッチバックの乗用車である。第1世代のスカイホークはシボレー・ヴェガ(Chevrolet Vega)を基にした、同一のホイールベースと車幅を持つ車であった。後輪駆動用GM・Hプラットフォームを使用したものは他にはシボレー・モンザ(Chevrolet Monza)、オールズモビル・スターファイア(Oldsmobile Starfire)、ポンティアック・サンバード(Pontiac Sunbird)があった。スカイホークは市場でトヨタ・セリカ、マーキュリー・カプリ、フォード・マスタングIIといった車種と競合した。スカイホークは60年以上の歴史の中でビュイックのバッジを着けた最も小型の車であった。
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第1世代(Power Macintosh 6100, 7100, 8100)
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「Power Macintosh」の記事における「第1世代(Power Macintosh 6100, 7100, 8100)」の解説
Power Macintosh 6100,7100,8100はPower Macintoshシリーズ最初の製品である。プロセッサにはPowerPC 601シリーズを採用した。筐体はそれぞれ、6100がピザボックス、7100がデスクトップ、8100がミニタワーである。筐体のデザインは在来機種のCentrisやQuadraのものを受け継いでいる。拡張スロットにNuBUSを使用している唯一の世代であることからNuBus PowerMacと通称される。 設計は、従来の68KアーキテクチャからPowerPCアーキテクチャへの移行を円滑にするべく、互換性を重視したものになっている。拡張スロットにはNuBusを採用、メモリーは72pin SIMMを二枚組で使用することによって64bitのバス幅を確保している。これらは68K Macのユーザーが、これまでの投資を無駄にすることなく新アーキテクチャーへ移行できるようにとの配慮である。一方でこうした互換性重視の設計が、PowerPCアーキテクチャが本来の性能を発揮することの妨げになっていたという側面もある。 このシリーズではプロセッサーはロジックボードに直付けされているが、601PDSスロットにCPUアクセラレータを挿すことによって、G3及びG4へのアップグレードも可能である。 継承元同様、6100はボディのラッチのみで筐体を解放できるドライバーレス構造、7100もドライバー1本で簡単に解放できた。それに対し、8100は既に悪評の高かった「カバーを全て外し、ロジックボードを外さないと筐体内にアクセスできない」Quadra800系のボディであった。
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第1世代 (AIM-9A/B)
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「サイドワインダー (ミサイル)」の記事における「第1世代 (AIM-9A/B)」の解説
試験に供されていた先行生産型はサイドワインダー1と称されており、約3,500発が生産された。その後、1957年より改良型のサイドワインダー1Aの生産が開始された。
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第1世代 (1963-1965)
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「ビュイック・リヴィエラ」の記事における「第1世代 (1963-1965)」の解説
GMの製品としては異例なことに量産型のリヴィエラは他のどのGM車種ともボディ・シェルを共有していなかった。ボディ・シェルは標準のビュイック車のフレームと似た十字形フレームの上に載っていたが、より短く幅が狭いもので車軸間距離は 2.0 in (51 mm) 短かった。117 in (3,000 mm) のホイールベースと208 in (5,300 mm) の全長は、ビュイック・ルセーバー(Buick LeSabre)よりも各々 6.0 in (150 mm) と 7.7 in (200 mm) 短かったが同時期のサンダーバードよりも幾分長かった。4,190 lb (1,900 kg)の重量は両車よりも約 200 lb (91 kg) 軽量であった。リヴィエラは、排気量401 cu in (6.57 L) と 425 cu in (6.96 L)の標準ビュイック製V8エンジン(Buick V8 engine)とツインタービン(Twin Turbine)・オートマチックトランスミッション(AT)を搭載していた。ブレーキは、直径12 in (300 mm) のビュイック標準の「アルフィン("Al-Fin")」(アルミニウム製の羽付き)ドラムブレーキで、ステアリング比20.5:1、ロック・トゥー・ロック3.5回転のパワーステアリングが標準装置であった。 リヴィエラに使用されたサスペンションは、前輪がダブルウィッシュボーンと後輪がトレーリングアームとラテラル・ロッド(track bar)で位置決めされたリジッド・アクスルという標準のビュイック車と同じ物であったが、ボディの傾きを抑えるためにロールセンター(roll center)が上げられていた。コイルスプリングは他のビュイック車よりも実際のところやや柔らかいものが装着されていたが、全体重量が軽いことと相まってリヴィエラの乗り心地を実質幾分硬いものとしていた。なおもアンダーステア方向へ寄せて設定されていたが、当時のテスト要員達はリヴィエラを乗り心地と敏捷さの素晴らしいバランスを持ち合わせた最も走行能力のある米国車の1台だと考えていた。 リヴィエラは1962年10月4日に最低価格4,333ドルの1963年モデルとして発表されたが、典型的な販売価格はオプション品込みで5,000ドルまで上がった。生産数は需要を喚起するために故意に40,000台以下に抑えられた。 より大型のビュイック車と同じ出力を持ちより軽量なリヴィエラはあらゆる性能面で輝いていた。『モータートレンド(Motor Trend)』誌のテストでは、0–60 mph (0–97 km/h)を8秒以下、0–400 mを約16秒、計測された最高速度は115 mph (185 km/h)でもっと長い距離で測れば125 mph (201 km/h)が期待できた。燃料消費率は13.2 マイル/US ガロン (17.8 L/100 km)であった。 リヴィエラの室内は、前席がフロアシフトと小物入れ付の計器盤に繋がるセンターコンソールで隔てられたバケットシートと後席がバケット風の座席であった。内装材は全ビニール製、布とビニールの組み合わせ、又はオプションで革製が選択できた。人気のある有料オプションには、チルト機構付きステアリング・ホイール、クルーズコントロール、パワーウィンドウ、電動シート、エアコン、AM/FMラジオ、ワイアーホイール風カバー等があった。 1964年モデルのリヴィエラはオプション・リストから革製内装が外されるといった最小限のトリム変更が実施された。大きな変更点は、古めかしい2速ATのダイナフロー(Dynaflow)を基にした「ツインタービン(Twin Turbine)」を新型の3速AT「スーパータービン 400(Super Turbine 400)」に代替したことであった。このスーパータービン 400は他のGMディビジョンではターボ・ハイドラマティック(Turbo Hydra-Matic)の名で流通していた。この年はリヴィエラに定型化した『R』エンブレムが使用された最初の年であり、このトレードマークはリヴィエラが市場から撤退するまでの36年間に渡って使用され続けた。エンジンルーム内では、340 hp (254 kW)の425 cu in (6.96 L) V型8気筒(V8)のために401 (6.5L)エンジンが廃された。360 hp (268 kW)のカーター(Carter Carburetor)社製AFB 4バレル キャブレター付の「スーパー・ワイルドキャット(Super Wildcat)」版はオプションで選択できた。 1965年モデルの変更には、デュアル=クアッド スーパー・ワイルドキャット425エンジン、減速比を3.42にしたアクスル、2本だしマフラーと硬いヘビーデューティ用サスペンションを装着した「グランスポート(Gran Sport)」オプションの導入があった。401 (6.5 L)のビュイック製V8エンジンは標準のリヴィエラ用エンジンとして復帰し、スーパータービン 400変速機は2年前のツインタービン・ダイナフローの様に今や可変ピッチのトルクコンバーターを持つようになった。外観では、ヘッドライトが元々のデザインの様に左右のフェンダーの先端に取り付けられたクラムシェル型ドアの背後に隠れるようになった。車体後部ではドアと後輪の間にあった機能的な意味が無いダミーの吸入口が取り払われ、テールライトがボディ側からバンパーへ移動された。当初は黒色のみであったがビニールルーフ(vinyl roof)がオプションとなり、前年ではオプション品であったチルト機構付きステアリング・ホイールが標準装備となった。 3年間のモデルイヤーでの合計販売台数は112,244台という立派な数字であった。概してリヴィエラは非常に広く市場に受け入れられ、サンダーバードの最初のライバル車として大いなる成功を収めたと考えられる。この初代リヴィエラは、自動車デザインにおけるランドマークと評され、現在非常に価値ある車である。
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第1世代(2007年~2008年)
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「ハイブリッドHDD」の記事における「第1世代(2007年~2008年)」の解説
第1世代のハイブリッドHDDでは、Windows Vista/7による高速化機能Windows ReadyDrive(en)の利用が前提となっている。そのため、これ以外のOSでは、原則として効果を発揮できない。
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第1世代 (Atom、Celeron、およびPentium込み)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 05:39 UTC 版)
「Intel HD Graphics」の記事における「第1世代 (Atom、Celeron、およびPentium込み)」の解説
詳細は「en:Intel HD, UHD and Iris Graphics」および「en:List of Intel graphics processing units」を参照 公式情報: GPUの世代数はIntel HD Graphics以前の世代を含めた数。 箇条書き内で一部太字の箇所は、新しく対応した規格やバージョンを簡略的に示したもの。
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第1世代 (SQS-4)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 01:30 UTC 版)
「海上自衛隊のソナー」の記事における「第1世代 (SQS-4)」の解説
AN/SQS-4は、上記のQHBを含むQHシリーズのソナーをもとに周波数8~14kHz、探知距離4,600メートルを狙って開発されたもので、1948年に提案されて、1951年より試験に入り、1954年よりディーレイ級護衛駆逐艦への搭載を皮切りにアメリカ海軍での配備が開始された。OQS-1はAN/SQS-4のライセンス生産型、OQS-12はAN/SQS-31の改良型とされており、またSQS-29Jも装備化されていた。AN/SQS-29はAN/SQS-4のうち8 kHz帯に対応したAN/SQS-4 mod.1を、AN/SQS-31は12 kHz帯に対応したAN/SQS-4 mod.3を、それぞれ改称したものである。 搭載艦 あきづき型護衛艦 (初代)(アメリカ1957年(昭和32年)度計画艦) 「あまつかぜ(35DDG)」 きたかみ型護衛艦(35DE) 「かとり(41TV)」 およびQHB等装備艦の一部
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第1世代(1960 - 1964年)
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「シボレー・コルヴェア」の記事における「第1世代(1960 - 1964年)」の解説
1960年モデルの初期の4ドア・セダンの500と700シリーズは、ベース・モデルの500を2,000 USドル以下の競争力ある価格とするために、快適装備のほとんど無い経済車として考えられていた。 80 hp (60 kW) のエンジンと3速マニュアルトランスミッション(MT)、または2速のパワーグライド(Powerglide)オートマチックトランスミッション(AT)を備えたコルヴェアは、小さなエンジンに応じた小型化と軽量化が図られ、加速性能はフルサイズ車シボレー・ビスケインのベーシックな6気筒モデルに比肩するように設計された。スペース効率の面ではリアエンジン車の特徴が活かされ、4ドアセダンモデルの場合、ドア長さで比較すればフルサイズ車と比較してもさほど遜色がない居住スペースが確保されていた。リアエンジン車の多くに共通する傾向として、当初は前部トランクルームにスペアタイヤを搭載しており、1960年1月に導入された2ドア・モデルには荷物の収容能力改善策として折り畳み式後部座席が設えられた。 車室内の暖房用に、荷室内のスペアタイヤ横にガソリン燃焼式ヒーター(gasoline heater)が備えられていたが、これは寒冷時でも水冷エンジン車のような暖機運転なしで即座に温風が出る反面、燃料は走行用のガソリンと共用したため、長い冬や寒い日の燃費が悪化すると感じたユーザーには不評であった。 バリエーションの充実が進められ、実用的なベンチシートのセダンとクーペに加えて、バケットシートを備えた内装のより豪華な「モンザ」こと900が追加された。このモデルは1960年の春にショウルームにお目見えした。モンザには排気効率の良い排気管と合わせ、より鋭敏な設定のカムシャフトにより95 hp (71 kW)の出力を発生する強力エンジンとフルシンクロメッシュ機構付の4速MTという2つのオプションが設定されていた。市場導入が遅かったにもかかわらずモンザは1万2,000台が販売され、最も人気のあるモデルとなった。 コルヴェアは1960年度の『モータートレンド』誌(Motor Trend)のカー・オブ・ザ・イヤー賞に選ばれた。 1961年モデルのモンザは重点的に宣伝され、たびたび「貧者のポルシェ」として言及された。2ドア・クーペに加えモンザ・シリーズは4ドア・セダンにも拡大され約14万4,000台が販売された。 派生モデルとして、水平対向6気筒エンジンを荷室の「下」に押し込んだステーションワゴンのレイクウッド(Lakewood)が1961年に追加された。レイクウッドは車室内に58 ft3と車体前部の「トランク」に10 ft3の合計68 ft3 (1.9 m3) の荷室を確保していた(水平対向エンジンのコンパクトさを利用したこの設計は、ほぼ同時期のフォルクスワーゲン・タイプ3とも類似する)。1961年モデルには4速MTのオプションも追加された。コルヴェアのエンジンは初めてボアを僅かに拡大されて145 cu in となった。モンザに搭載されたベースエンジンはMTとの組み合わせではいまだに80 hp (60 kW)、オプションのATとの組み合わせでは84 hp (63 kW)、高性能エンジン版は98 hp (73 kW)であった。 前部荷室を拡大するため、エアコンを装着していない車のスペアタイヤはエンジンルームに移され、燃焼式ヒーターの不評対策としてシリンダーヘッドから室内へ暖気を導入するダクト・システムに置き換えられたが、燃焼式ヒーターも1964年モデルまでオプションで設定されていた。 コルヴェアは工場装着のエアコンを提供した初めてのコンパクトカーであり、1961年モデルの途中から全天候型エアコン(All Weather Air Conditioning)がオプション設定された。大型のコンデンサーが水平のエンジンファンの上に寝かせて配置され、大きな緑色に塗装された標準のGMフリッジデアー(Frigidaire)・エアコンディショニング・コンプレッサーの逆回転版が使用された。エヴァポレーター本体はダッシュボードの下に備えられ、吹き出し口はラジオの周りに配された。全天候型エアコンは搭載空間が干渉するためワゴン、グリーンブライア/コルヴェア95や後に導入されたターボチャージャー付のモデルには装着できなかった。 さらにシボレーは、コルヴェアのコンパクトな駆動系を利用し、フォルクスワーゲン・タイプ2と同様に運転手が前輪の上に座るキャブオーバー型の小型トラック「コルバン95」シリーズを導入した。 「グリーンブライア・スポーツワゴン」(Greenbrier Sportswagon)」は「コルバン95」パネルバンと同じボディに側面ウインドウ・オプションを付けたものを使用していたが、市場ではステーションワゴンとして販売され、内装や塗装のオプションは乗用車と類似のものが提供された。この車は米国で最初のミニバンとして語られている。「コルバン95」にはピックアップトラック版も生産され、この「ロードサイド」(Chevrolet Loadside)は、リアエンジン、キャブオーバーと荷台の中間にある窪みを除けば当時の典型的なピックアップであった。人気のあった「ランプサイド」(Chevrolet Rampside)は、その名称から連想されるようにピックアップの荷台の側面に大きな作り付けのランプドアを備えていた。ランプサイドは荷台から電話線のリールの積み降ろしがし易いことからベルシステムで使用された。 しかしコルヴェアベースの商用車の事業者向け販売は、競合するフォード車よりも約100 USドル高い価格のため、概して振るわなかった。フォードはコルバンに競合する車種として、やはりキャブオーバー式で「ファルコン」系6気筒エンジンを流用した新しいフロントエンジン商用車「エコノライン」を1960年に市場に送り出していた。フロントシート下エンジンのエコノラインは、リーフスプリング支持の固定軸装備、量産規模の大きな大小の水冷直列6気筒エンジン(ファルコン用とフルサイズ車用の流用)の選択が可能で、商用車としてはコルバンより割安だった。もし同じ予算で25台のコルバントラックを購入した場合、フォード・エコノラインであればもう1台を余分に買える計算になった。この問題のために、最終的にコルヴェア系の商用車は1965年で廃止されることになる。 1962年、コルヴェアは同じ年のオールズモビル・F85(Oldsmobile F-85)「ターボ・ジェットファイアー」(Turbo Jetfire)と共に、工場装着オプションとしてターボチャージャーを装着した、最初の2台の量産モデルの一方となった。シボレーは150 hp (112 kW)のターボチャージャー・エンジン「モンザ・スパイダー」オプションを、まずモンザ・クーペ、さらに62年の半ばにコンバーチブルに導入した。モンザ・スパイダーは、タコメーター、シリンダーヘッドの温度計と吸気管の圧力計を備えたマルチゲージ計器盤を持ち、高性能エンジン版にはフェンダー上に「Spyder」の文字とエンジン・フード上に「Turbo」のロゴが追加された。 ただしコルヴェアにターボチャージャーが採用された背景には、オールズモビル同様な先行的実験要素のほか、「専用の空冷水平対向6気筒エンジンを基本としたパッケージングのため、後から採り得るパワーアップ手段が限られていた」事実があったことも否めない。当時における通常のアメリカ製水冷フロントエンジン車のような「廉価・実用モデル=直列6気筒」「ハイパフォーマンスモデル=大排気量のV型8気筒」というエンジンラインナップを活かした作り分けが、コルヴェアはリアの狭いエンジンルームと前後重量バランスの問題から採用できなかった。またコルヴェアエンジンの大幅な排気量増大や8気筒化なども現実的でなく、パワーアップには若干の排気量拡大以外、大容量キャブレターや過給機の搭載などの追加的チューンアップしか手立てがなかったのである。 500 ステーションワゴンはモンザ・ワゴンが導入されると同時に廃止されていたが、コンバーチブルやシェビーII(同じ工場で生産された)といった新しいモデルが導入されたため、全てのステーションワゴンは年の半ばに廃止された。1962年モデルでは自動隙間調節式ブレーキが新しく装着された。焼結ブレーキ・ライニングと前輪のアンチロールバー付きのヘビーデューティ仕様のサスペンション、リアアクスル・リミット・ストラップ、スプリング・レートの見直しと再適正化されたショックアブソーバーといったものがオプション装備として設定された。モンザ・クーペは最も人気のモデルとなり、1962年モデルでは総生産台数29万2,531台のコルヴェア中15万1,738台がモンザ・クーペであった。 コルヴェアの1963年モデルでは燃料消費率を改善するために3.08の高いギア比が選べたが、その反面、内装と技術的な変更はごく僅かで、大部分は前年モデルから引き継いだものであった。「ロードサイド」ピックアップはこの年を最後に廃止された。 1964年モデルでは顕著な機構上や安全装備の変更が行われた一方で、ボディや提供されるモデルは前年と同じであった。1964年モデルイヤーは、エンジンがストロークを延ばしたために145から164 cu in (2.3 から 2.7 L) へ排気量を拡大、ベースエンジンの出力は80から95 hp (60から70 kW) へ、高性能版は95から110 hp (70から80 kW) へ強化された。スパイダーのエンジンは排気量が拡大されたにもかかわらず150 hp (112 kW)のままであった。 この1964年モデルでは後輪のスイングアクスル式サスペンションに改良が加えられ、横置きのリーフスプリングが追加されて、後輪のロールを減らし、ニュートラルな操縦性を高めることに貢献、エンジン重量による高い重心位置に対処した。以前のモデルに比べて前後輪のバネレートを柔らかくすることができた。ヘビーデューティ仕様のサスペンションはオプションから落とされたが、全てのモデルで前輪のアンチロールバーが標準装備とされた。ブレーキは後輪が放熱フィン付きドラムブレーキに改良された。残されていたピックアップトラックのランプサイドはこの年のモデルイヤーで廃止された。
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第1世代(2007年発売)
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「KURO (テレビ)」の記事における「第1世代(2007年発売)」の解説
PDP-428HX 画面サイズは42V型で、画素数は1024×768のハーフHDである。希望小売価格は45万円。 PDP-508HX 画面サイズは50V型で、画素数は1365×768のハーフHDである。希望小売価格は56万円。 PDP-5010HD 画面サイズは50V型で、画素数は1920×1080のフルHDである。希望小売価格は72万円。 PDP-6010HD 画面サイズは60V型で、画素数は1920×1080のフルHDである。希望小売価格は99万円。
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第1世代(携帯機)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 09:07 UTC 版)
1970年代後半 - 1980年代前半に当たる。 第1世代の携帯機 Microvision(Block Buster) Mattel Auto Race Mattel Football 据置型ゲーム機が第2世代となり、ブームとなっていた1979年、アメリカの大手玩具メーカーであるミルトン・ブラッドリー社から史上初のカートリッジ交換式携帯型ゲーム機Microvisionがリリースされた。MicrovisionはCPUがカートリッジ側についているなど、後のゲーム機とはずいぶん異なっていた。LCD画面が壊れやすいなど技術的な制約のため、商業的にほとんど成功せずに終わった。ROMカートリッジをハードに差し込む形式ではなく、1ハードにつき1ゲームという形式の電子ゲームが登場した。当時の電子ゲームはモノクロLCDすら搭載できず、LED表示によるものが主だったが、マテルが1976年に世界初の携帯型電子ゲーム機となるMattel Auto Raceをリリースして以降、各社から続々とLEDゲームが発売され、大きなブームとなった。 Microvision(ミルトン・ブラッドリー、1979年) 電子ゲーム Mattel Auto Race(マテル、1976年) Mattel Football(マテル、1977年) ゲームロボット九、ゲームロボット5(タカトクトイス、どちらも1982年頃)
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第1世代(1918年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:01 UTC 版)
「オンド・マルトノ」の記事における「第1世代(1918年)」の解説
第1世代はテレミン(テルミン)を真似てほぼ全く同じ原理のものが作られた。これはもちろんモーリス・マルトノのオリジナルではなく単にテレミンの複製に過ぎないので、オンド・マルトノとは見なされない。詳しくはテレミンの項を参照。 第一次世界大戦において通信技師を務め、三極真空管の発する振動原理に対し興味を持っていたマルトノが、テレミンの構造を伝え聞いて作った楽器である。
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第1世代(2006年〜2008年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 05:03 UTC 版)
「Mac Pro」の記事における「第1世代(2006年〜2008年)」の解説
筐体デザインはPower Mac G5を踏襲しているが、内部のレイアウトは大きく変更されており、光学ドライブベイが2基、HDDベイが4基とPower Mac G4とほぼ同じ構成を採用している。 また、光学ドライブ、HDD、メモリ等の増設に関しては、ドーターボードごとトレイが引き出せる構造になるなど、容易に増設が可能な構造となっている。 前面は吸気を考慮したメッシュ構造のデザインになっており、エンクロージャ内部を通過して後部へと効率よく排気冷却できるようになっている。こうした筐体内部デザインの改良と冷却ファンの変更により、騒音が大幅に改善されている。
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第1世代(1993年 - 1997年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 02:22 UTC 版)
「クライスラー・LHプラットフォーム」の記事における「第1世代(1993年 - 1997年)」の解説
第1世代のLHカーは既存の3.3L OHV V型6気筒エンジン(Chrysler 3.3 engine)と3.5L SOHC V型6気筒エンジン(Chrysler SOHC V6 engine)に4速のオートマチックトランスミッション(AT)を使用していた。 第1世代のLHプラットフォームを使用していた車種は: 年車種画像1993 - 1997年 クライスラー・コンコード 1993 - 1997年 ダッジ・イントレピッド 1993 - 1997年 イーグル・ビジョン 1994 - 1996年 クライスラー・ニューヨーカー 1994 - 1997年 クライスラー・LHS 本来クライスラー社はプリムスの1車種にLHプラットフォームを与えプリムス・アコレード(Accolade)とする寸前までいったがアコレードは生産されることは無かった。 全ての車種のホイールベースは113インチであったが、LHSとニューヨーカーは他の3車種に比べてボディ後部の造形が異なり全長がもう5インチ長く後部座席の足元により広い空間を提供していた。
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第1世代 (PEZY-SC)
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「PEZY-SC」の記事における「第1世代 (PEZY-SC)」の解説
1モジュールあたりRISCプロセッサーを1024コア搭載する。倍精度浮動小数点数演算1.5TFLOPSの演算性能。
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