近代化工事
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1983年(昭和58年)9月に銀座線に01系が投入され、近い将来丸ノ内線においても車両の置き換えを予定したことから、この時点で銀座線・丸ノ内線の車両基地の再整備を実施することを決定した。このため、本工場は1985年度(昭和60年度)から1988年度(昭和63年度)にかけて工場建屋の全面的な建て替えをはじめとした近代化工事を実施した。主な工事内容は以下のとおりで、工費は37億円ともなった。 廃車処理場兼モーターカー庫新築 事務所兼電機機器職場新築(地上5階建て) 旧事務所、機器職場棟撤去 旧整備室撤去 車体職場棟増築 台車職場棟増築 整備室新築 完成後の1989年(平成元年)4月には小石川分場を廃止し、銀座線と丸ノ内線車両の重要部検査・全般検査は全て本工場で受け持つことになった。そして、小石川分場は銀座線・丸ノ内線車両の更新修繕を施工する工場となり、1991年(平成3年)12月には中野工場小石川CRと名称変更された。なお、2011年(平成23年)時点では車両工事所小石川CRに名称変更されている。
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近代化工事 (1997-2016)
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「アウトストラーダ A2」の記事における「近代化工事 (1997-2016)」の解説
1960年代から70年代の南部の急激なモータリゼーションにより、サレルノ-レッジョ・カラブリアのインフラの不十分さがまもなく露見した。危険なカーブと車線幅員の狭さ(幅3.5メートル(以下 m と表記する))により、当時は多くの事故と渋滞が発生した。 サレルノ-レッジョ・カラブリアへの介入の実質的な計画を議題にした最初の政府は、1987年に1000億リラを割り当てた2期目のクラクシ政権だった。 続く数年には、段階的な上下線分離化の工事を含む近代化と拡幅の計画が続いた。サレルノ・フラッテとシチニャーノ・デッリ・アルブルニの間の経路は片側3車線および、緊急車線に近代化された。工事の重要性と関係する地域の特性から、この近代化工事には、関連する契約にンドランゲタが介入し 、法執行機関による工事現場立ち入りなどの調査が入った。 実際の近代化工事は、1997年に少数の小ロットの入札が行われ、2001年12月21日の客観法443号の承認とANASによるアウトストラーダ建設の再設計により進みだした。技術的な困難、請負業者の財政危機、工事へのマフィアの介入により、費用と工期が大幅に増加し、近代化工事の遅延や中断を発生させ、関係地域に多大な不便が生じた。 近代化は、単に古い道路の拡幅というだけでなく、一定の交通量を確保しながら以前の道路を徐々に取り壊して新しい道路を建設することであった 。そのため、しばしば片側交互通行が継続した。新しく造られた道路(既存の道路の変更もしくは別経路に新規建造)は、従来の道路からかなり改善を加えられている。より直線的にされ、勾配もカーブも緩やかにされている。サレルノ・フラッテからシチニャーノの約52 kmの区間は、3車線および、緊急車線を備えた上下線分離であり、それ以外の近代化区間は、2車線および、緊急車線を備えた上下線分離である。ただし、フォッシーノトンネルの北側からライーノ・ボルゴ出入口までの約5 kmの区間は、緊急車線はなく、右側の路肩は舗装された状態で拡幅されている。さらに、技術的および経済的困難のために、限られた長さのいくつかの高架橋およびトンネルは、安全基準が高くなっているにもかかわらず、既存道路を拡幅することなく近代化された。 2016年7月26日に、カラブリアのライーノ・ボルゴとカンポテネーゼのイタリア高架橋を含む区間のロットの開通とともに、374.15 kmが完成し、残りの工事区間は68.77 kmとなった。 2016年12月22日に、ラリーアトンネルの開通とともに、道路拡幅を伴う近代化工事は完成した。近代化工事の開始から完成までに約20年かかった。 近代化工事が完了した区間は、以下の出入口の間である。 サレルノ-アヴェッリーノ接続路との接続部 - モラーノ (2.335 km地点から185 km地点までの182.7 km、ただしモラーノ出入口部は含まない、チシニャーノまでの52 kmは3車線および、緊急車線の構成) シーバリ - コゼンツァ (210.5 km地点から261 km地点までの52.2 km、両端の出入口部を含む) アルティーリア - ピッツォ・カーラブロ (286 km地点から337.8 km地点までの51.8 km、両端の出入口部を含まない) サントノフリオ - カンポ・カーラブロ (348.6 km地点から433.75 km地点までの85.15 km、サントノフリオ出入口部は含み、カンポ・カーラブロ出入口部は含まない) 以下の出入口は2016年12月22日までに近代化された。 モラーノ、カストロヴィッラリ、ロリアーノ、アルティーリア、ピッツォ、サントノフリオ、レッジョ・カラブリア・ガッリコ、レッジョ・カトーナ、ポルト・ディ・レッジョ、レッジョ・カラブリア環状線、国道106号イオニカ 約370 kmの道路の再建にはおよそ75憶ユーロ(1 kmあたり2000から2100万ユーロ)かかった。 2016年12月22日には、近代化されていない残りの区間は72.705 kmであった。それらは以下の出入口の間の区間である。 サレルノ・フラッテ - サレルノ-アヴェッリーノ接続路との接続部 (起点から2.335 km地点までの2.335 km、後日この区間は"A2 dir NA"に名称変更された) モラーノ・カーラブロ - フィルモ/シーバリ (185 km地点から207.5 km地点の22.5 km) コゼンツァ - アルティーリア (259.7 km地点から286 km地点までの26.3 km) アルティーリア - サン・マンゴ・ダクイーノ(南行きは292.1 km地点から293.9 km地点までの1.6 km、北行きは292.3 km地点から293.7 km地点までの1.4 km、トリビートトンネルを含む短い区間が、アルティーリアとファレルナの区間のロット4Bの工事から除外された。新たなトンネルが掘削される予定だった山でオフィオライトの岩盤が発見されたためである。 ピッツォ・カーラブロ - ヴィーヴォ・ヴァレンティア/サントノフリオ (337.8 km地点から348.6 km地点までの10.8 km) カンポ・カーラブロ - レッジョ・カラブリア (433.75 km地点から442.92 km地点までの9.17 km、ロット6の工事から除外され、後日"A2 dir RC"に名称変更された)
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