南行き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 14:38 UTC 版)
スコット、ウィルソン、シャクルトンは1902年11月2日に、犬と支援隊と共に出発した。その目標は「バリアの氷の上を真っ直ぐ南に行けるところまで、可能ならば南極点まで行き、新しい陸地を発見すること」だった。11月11日に支援隊がボルクグレヴィンクの最南端記録南緯78度50分を通過して最初の里標となった。しかし、犬を扱う技術の欠如が間もなく明らかとなり、歩みは鈍かった。11月15日に支援隊が戻った後、スコット隊は荷物をリレーし始めた。すなわち半分だけ引き摺って進み、また元に戻って残りの荷物を引き摺った。このために1マイル進むために3マイルを歩く必要が生じた。犬の食料についても誤りが生じていた。犬が弱ってくると、一番弱った犬を他の犬の食料のために殺す必要があった。人間も雪盲、凍傷、壊血病の兆候と戦っていたが、西に山地を見ながら南に進み続けた。クリスマスは2食分で祝われた。シャクルトンがもしもの時のためにソックスの中に隠していたクリスマス・プディングも出された。1902年12月30日、まだバリアを出ていなかったが、この隊の最南端南緯82度17分に到達した。帰途は問題が重なってきた。残っていた犬が死に、シャクルトンは壊血病が酷くなった。1903年1月14日付けウィルソンの日記は「我々は全て僅かだがはっきりとした壊血病の兆候がある」と記されていた。スコットとウィルソンが奮闘し、シャクルトンは橇を曳けず横に付いて歩くだけであり、時には橇で運ばれた。この隊は1903年2月3日に船に辿り着いた。93日間でリレーを含めて960マイル (1,540 km) を歩き、1日当たりでは10マイル (16 km) を僅かに越えただけだった。
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