南蛮貿易の開始前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 03:42 UTC 版)
アフリカを周回してインド洋への航海を実現したポルトガルは、16世紀前半にインド洋の港町を攻撃して拠点を建設した。アフリカ東岸からアジアにかけてのポルトガル貿易は、インドのゴアにあるポルトガル領インドの政府が管理した。インド副王のアフォンソ・デ・アルブケルケは東南アジア貿易の中心であるマラッカ王国を占拠すると、アラブ人のムスリム商人全員の殺害を命じた。マラッカにいたグジャラートのムスリム商人は、ポルトガルを避けて東南アジア各地に移住した。 ポルトガル商人は明との貿易を望んだが、最初に上陸したジョルジ・アルヴァレスは民間商人だったため朝貢は許可されず、トメ・ピレス(ポルトガル語版)が使者となって国交を求めた時はマラッカ占拠が悪評となって失敗した。その他に、インド洋と同じように軍事力によって貿易拠点を求めるポルトガル人がいたが明軍に敗北した。公式な貿易の道が断たれたポルトガル商人は、密貿易を始める。ポルトガル人には中国船に同乗する者もいたので、明や朝鮮王朝からは仏郎機(ふらんき)と呼ばれて倭寇と同一視された。このため、明軍の倭寇対策によってポルトガル人も攻撃された。 ポルトガル商人は寧波の沿岸で貿易を行い、ディオゴ・ペレイラによって商人の集団が率いられた。ペレイラの出身はアゾレス諸島ともインドのコチンの混血とも言われており、のちにイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルの渡航にも協力した。マラバール産の胡椒はゴアからリスボンへと運ばれたが、マラッカに集められた胡椒は中国へ送られており、中国の胡椒消費量はヨーロッパでの消費量に近いほどだった。
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