南蛮貿易の開始とは? わかりやすく解説

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南蛮貿易の開始

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:48 UTC 版)

鎖国」の記事における「南蛮貿易の開始」の解説

明朝中国海禁政策を採っていたが、勘合貿易により日明間の貿易行われていた。しかし、1549年嘉靖28年)を最後に勘合貿易途絶えると、両国間の貿易密貿易のみとなってしまった。ここに登場したのがポルトガルであったポルトガルトルデシリャス条約およびサラゴサ条約によってアジアへの進出植民地化進め1511年にはマラッカ占領していたが、1557年マカオ居留得て中国産品(特に絹)を安定的に入手できるようになったここからマカオ拠点として、日本・中国ポルトガル三国商品取引されるようになった徳川家康政権を握ると、オランダイギリス親書送りオランダ1609年イギリス1613年平戸商館設立したしかしながら両国とも中国拠点持っているわけではなく日本輸出するものはあまりなかった。結果イギリス1623年日本から撤退オランダ日本への進出商業的というよりむしろ政治的な理由であった。なお、当時スペイン関心フィリピンメキシコ間の貿易であり、1611年セバスティアン・ビスカイノ使節として駿府家康訪れたが、貿易交渉不調に終わっている。

※この「南蛮貿易の開始」の解説は、「鎖国」の解説の一部です。
「南蛮貿易の開始」を含む「鎖国」の記事については、「鎖国」の概要を参照ください。

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