鎖国とは? わかりやすく解説

さ‐こく【鎖国】

読み方:さこく

[名](スル)国が、外国との通商交通禁止または極端に制限すること。特に、江戸幕府による対外封鎖政策をいう。寛永16年(1639)から嘉永6年(1853)のペリー来航まで200年余り実施キリスト教禁止封建制度維持目的とし、オランダ中国・朝鮮を除く外国との通交禁止した。⇔開国


鎖国

読み方:サコクsakoku

国が外国との通商交易などを断つこと。


鎖国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/23 09:26 UTC 版)

鎖国(さこく)とは、江戸幕府が、キリスト教国(スペインポルトガル)の人の来航、及び日本人の東南アジア方面への出入国を禁止し、貿易を管理・統制・制限した対外政策であり、ならびに、そこから生まれた日本の孤立状態、外交不在の状態及び、日本を中心とした経済圏を指す。




「鎖国」の続きの解説一覧

鎖国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 00:48 UTC 版)

出島」の記事における「鎖国」の解説

1638年春に幕府は、島原半島天草諸島キリシタン百姓起こした島原の乱鎮圧したそれ以降幕府は、キリシタン摘発をより強化し禁教徹底のためにカトリック国であるポルトガルとの関係を断絶しようとした。しかし、現実には、ポルトガルマカオからもたらす中国産生糸などが当時の日本にとって必要不可欠であり、オランダ東インド会社への信頼に不安を感じていたため、幕府は、1638年にはポルトガルとの貿易断絶踏み切れず、その代わりマカオから江戸派遣されカピタン・モール将軍への謁見拒否するだけにとどまった1639年平戸オランダ商館長フランソワ・カロン江戸参府し、ポルトガルとの関係の断絶幕閣訴えオランダポルトガル代わって日本求め輸入品確実に提供できることを主張した幕閣カロンから、台湾東南アジアから渡航する中国人が、直接長崎来航することが問題ないことや、オランダスペインとポルトガル妨害され長崎来航できること台湾渡航する中国人を通じてオランダが日本が求め輸入品確保でき、かつ、台湾渡航する中国人明朝渡航証明書を持っていることなどを確認しポルトガルとの関係を断絶して支障がないと判断したその結果として、同年幕府長崎奉行九州地方大名に「第5次鎖国令」を発布して、ポルトガル人出島から退去させた。翌年1640年には、マカオからのポルトガル使節が、貿易再開要求して長崎渡来した。これに対して幕府は、ポルトガル使節処刑することで、ポルトガルとの貿易改め再開しない意思示したその後出島無人態となり、貿易利潤損失だけでなく土地使用料入らなくなったために、長崎の町は困窮した幕府出島築造際に出資した人々訴えを踏まえ1639年建設され倉庫破風西暦年号記されているのを口実として1641年平戸(ひらど、現在の平戸市)のオランダ東インド会社商館出島に移すように求めたオランダ側にはこれに反対する意見もあったが、商館長カロンはこれを受け入れた。 こうしてオランダ商館平戸から出島移設された。以後200年間、出島には武装宗教活動規制されたオランダ東インド会社社員等が居住することになり、それまでポルトガル人同様にオランダ人幕府監視下置かれることとなった通常長崎には毎年2隻のオランダ船季節風利用してバタヴィア現在のジャカルタ)を出港しバンカ海峡台湾海峡などを経て女島諸島、さらに野母崎めざしてやってきた例年7 - 8月ごろ来航しその年11 - 12月に帰路につくまでの約4ヶ月滞在であった船がいる間は多くのオランダ人中心にした欧州人マレー人滞在していたが、それ以外の期間は商館長カピタン)、次席商館長ヘトル)、倉庫長書記役(1 - 3人)、 商館医、商館長補助員数人、調理師大工召使マレー人)など15人前後の人が住んでいた。 翌年夏にオランダ船入港するまでの間には、貿易に関する仕事江戸参府などを行っていた。 オランダ商館長は、歴代通商免許に対する礼として江戸下り将軍謁見して貿易御礼言上して贈り物献上している。これを「カピタン江戸参府」といい、毎年定例として行うようになったのは1633年寛永10年)からであり、商館平戸から長崎移され以後継続された。1790年寛政2年以降は4年1度改められたが、特派使節東上1850年嘉永3年)まで166回を数えた江戸長崎屋、京の海老屋は「阿蘭陀宿」として使節宿泊あてられた

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鎖国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 20:13 UTC 版)

日本のキリスト教史」の記事における「鎖国」の解説

壊滅したかに見えたキリスト教徒たちであったが、九州一部などでは信徒たちが宣教師たち教え口伝え伝え水方や帳方といった信徒組織形成することで、親から子へ、子から孫へと密かに信仰伝えていった。これが隠れキリシタン潜伏キリシタン)である。彼らは仏教徒装いながらも信仰ひたすら守りキリスト教自由に信仰できる日が来るのを待ち続けた。 それでも発覚する場合があり、一つ地域大勢キリシタン一斉に見つかり信仰共同体崩壊するいわゆる崩れ」がたびたび起こった濃尾崩れのように、信者大量処刑により、キリシタンがほぼ根絶され幕を閉じた事件もあれば、浦上一番崩れ浦上二番崩れ天草崩れのように、混乱恐れ江戸幕府が、信者赦免した事例もある。 ヨーロッパカトリック教会は、キリスト教徒が完全追放され日本興味持ち続けた日本における教会の発展受難物語ヨーロッパで語り継がれ多くの人々がこの東洋の国への再宣教の日が来ることを待ち続けた鎖国令以降江戸期日本渡航した数少ない宣教師一人にイタリア人教区司祭ジョバンニ・シドッチがいる。シドッチは鎖国下の日本への渡航願い教皇庁許し求めていた教皇庁殉教することが明白な地に司祭送ることできない拒絶したが、シドッチ再三願い出教皇クレメンス11世特別な許可与えた1708年シドッチ苦労の末屋久島上陸したが、すぐに捕らえられ長崎経て江戸送られ死ぬまで切支丹屋敷にいた。江戸で儒学者新井白石取り調べあたったが、シドッチ人格高潔さ学識感銘を受け尋問というよりは対話という形で多くの新知識学び取った。その成果が『西洋紀聞』『采覧異言』である。

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鎖国

出典:『Wiktionary』 (2021/08/17 13:51 UTC 版)

名詞

(さこく)

  1. 政府外国との交易及び交流著しくĢ制限し、又は禁止すること。また、そうした国家の状態。
  2. 特に、日本江戸時代行っていた外交政策及びその状態。これにより江戸時代の日本ではオランダ中国など特定の国家以外との交流断絶された。ペリー開国要求により解消された。

語源

エンゲルベルト・ケンペル著の『日本誌』(“History of Japan”)中の章、「今日のように日本国閉鎖してその国民が国内においても国外おいても外国通商を営むことを許さないことが同国にとって利益ありや否やについての研究」を、志筑忠雄訳した際に用いた語句の『鎖国論』から[1]

発音(?)

東京アクセント
さ↗こく
NHK
サコク

関連語

翻訳

動詞

活用

サ行変格活用
鎖国-する

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