三国とは? わかりやすく解説

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さん‐ごく【三国】

読み方:さんごく

【一】三つの国。

【二】

[一]古く日本・中国インド、または日本・中国朝鮮のこと。全世界の意にも用いる。

「夫(そ)れ末代俗に至っては、—の仏法次第衰微せり」〈平家・二〉

[二]富士山裾野をひく三つの国、駿河甲斐相模のこと。

[三]古代中国で、後漢の滅亡後に天下を3分した魏・蜀(しょく)・呉のこと。

[四]4〜7世紀朝鮮で、新羅(しらぎ)・百済(くだら)・高句麗(こうくり)のこと。


三国

読み方:サンゴク(sangoku)

天竺インド)・震旦中国)・日本の三ヵ国。


さんごく 【三国】

天竺インド)・震旦中国)・日本をいうが、朝鮮では新羅高句麗百済をいう場合もある。鎌倉期凝然著『三国仏法伝通縁起』は天竺震旦日本の仏教通史であり、高麗忠烈王代の僧一然『三国遺事』新羅高句麗百済仏教を含む在野史料である。インドから中国経て日本伝えられたものを三国伝来という。

三国

読み方:ミクニ(mikuni)

所在 新潟県南魚沼郡湯沢町


三国

読み方:ミクニ(mikuni)

所在 大阪府豊中市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

三国

読み方:ミクニ(mikuni)

所在 福井県(えちぜん鉄道三国芦原線)


三国

読み方:ミクニ(mikuni)

所在 大阪府(阪急電鉄宝塚本線)

駅名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

三国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 09:36 UTC 版)

三国(さんごく・みくに)は、3つの国家令制国)のこと。国家の場合「さんごく」、令制国の場合「みくに」と読むことが多い。




「三国」の続きの解説一覧

三国(みくに)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 21:52 UTC 版)

新ナニワ金融道」の記事における「三国(みくに)」の解説

脇我別の取引相手ごみ屋敷にして脇我周辺の再開発権利獲得を狙う。

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三国(みくに)

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マドンナ (漫画)」の記事における「三国(みくに)」の解説

大南大二高長年率いる老監督

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三国

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大番長」の記事における「三国」の解説

独立勢力で、学生連合命令耳を傾ける、比較友好的な勢力かつては武道発祥の地として栄え超硬エリアとして有名だったが、平和が続いた事やとある事情から超軟派エリア変貌してしまった。1年前に万里の長城」が建造され許可なく侵入することはできなくなっている。 毛利 尊賢(もうり そんけん頭脳明晰で「智の尊賢」と呼ばれている。尊拳の双子の兄。単純な尊拳を嫌っている。みちるを巡って尊拳とは恋敵の仲。 毛利 尊拳(もうり そんけん武闘派で「武の尊拳」と呼ばれている。尊賢の双子の弟。自分馬鹿呼ばわりする尊賢を嫌っている。みちるを巡って尊賢とは恋敵の仲である。 項明 みちるこうめい みちる) 三国のアイドル。その魅力で三国の学生たちを魅了しているが、本性策士。三国を制圧し勢力拡大した狼牙軍団に加わる。

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三国

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北伐」の記事における「三国」の解説

曹魏曹操烏桓対す北伐206年207年)、曹操による袁尚袁煕烏桓対す軍事行動。「白狼山の戦い」を参照 孫呉合肥の戦い208年253年)、孫権一次二次)・呉(三次~五次)による曹操一次二次)・魏(三次~五次)に対す軍事行動蜀漢関羽北伐219年)、関羽による曹操対す軍事行動関羽孫権攻撃敗死した。「樊城の戦い」を参照 諸葛亮の北伐228年234年)、蜀の諸葛亮による魏に対す軍事行動姜維北伐中国語版英語版)(238年262年)、諸葛亮遺志継いだ蜀の姜維による魏に対す軍事行動

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三国

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中国の筆跡一覧」の記事における「三国」の解説

詳細は「中国の書道史#三国(隷過渡時代)」および「中国の書家一覧#三国」を参照 刻石 年代筆跡名筆書体所蔵法帖など220年(魏) 公卿尊号鍾繇 or 梁鵠 八分 許州繁城鎮 220年以後(魏) 受禅鍾繇 or 梁鵠 or 衛覬 八分 許州繁城鎮 221年(魏) 封宗聖侯孔羨碑 不明 八分 231年以後(魏) 曹真残碑 不明 八分 北京・故宮博物235年(魏) 廬江太守范式碑 不明 八分 240年 - 249年(魏) 三体石経 邯鄲淳 古文小篆八分 洛陽博物館台東区立書道博物館ほか 272年(呉) 谷朗碑 不明中間 276年(呉) 天発神讖碑皇象 篆隷篆書を隷の方勢で書いた不詳(呉) 府君不明中間 276年(呉) 封禅国山碑 不明 公卿尊号奏(こうきょうじょうそんごうそう曹丕帝位につくことを薦めた上奏文を刻したのである筆者鍾繇または梁鵠ともいうが確証はない。書法は温健な漢隷流れを汲む受禅表(じゅぜんひょう) 曹丕帝位につくまでの経緯石刻したもので、『公卿尊号奏』と同時に建立された。碑の大きさは、高さ254.4cm、幅139.4cmで、碑文は、22行、各行49字ある。書者は、『公卿尊号奏』と同じく鍾繇または梁鵠といい、あるいは衛覬ともいわれる確証はない。書体八分府君碑(かっぷくんひ) 「呉故衡陽郡太守府君之碑」の12字を3行に書いた碑額のみが残存する長沙郡西部分けて衡陽郡置かれたのは呉の太平2年257年であるから、この碑はそれ以後のものである書風は『谷朗碑』と同じで隷中間の体である。 『三体石経』 『三体石経』(部分) 『谷朗碑』 『谷朗碑』(部分) 『天発神讖碑』(部分) 『天発神讖碑』(部分) 『封禅国山碑』(部分) 『封禅国山碑』(部分法帖 年代筆跡名筆書体所蔵法帖など不詳(魏) 墓田丙舎帖(ぼでんへいしゃじょう) 鍾繇 小楷 219年(魏) 賀捷表(がしょうひょう) 鍾繇 小楷 221年頃(魏) 宣示表 鍾繇 小楷 221年(魏) 季直表 鍾繇 小楷 不詳(魏) 力命表(りきめいひょう鍾繇 小楷 不詳(魏) 還示帖 鍾繇 小楷 不詳(魏) 急就章 鍾繇 章草 不詳(呉) 急就章 皇象 章草玉煙堂帖303年 - 361年(呉) 文武将隊帖(ぶんぶしょうたいじょう皇象 章草淳化閣帖』 宣示表(せんじひょう) 『宣示表』は、呉の孫権が魏の曹操和親求めたとき、鍾繇孫権真意弁じて曹操上書したものである。現在の宣示表は、王羲之臨書したものといわれ、これを原本として宋代に『淳化閣帖』に刻され以来、『東書堂帖』、『宝賢堂帖』、『停雲館帖』、『墨池堂選帖』、『玉煙堂帖』などに刻されている。したがって鍾繇真跡とはかなり隔たりがあると推測される西晋の末の戦乱の時、王導がこの真跡を身につけて南方逃れ、後、王羲之贈ったという。 季直表(せんきちょくひょう) 『季直表』は、『宣示表』とともに小楷名品とされ、鍾繇代表作である。季直と董遇の字。内容は、鍾繇皇帝書いた上奏文で、19行あり、行ごとに10字から12字で構成されている。末行に黄初2年221年)の署名があり、これを信じれば70歳のときの作品である。真跡本北宋末頃から知られるようになり、明代に『真賞斎帖』に刻入されて有名になった。他に、『三希堂法帖』などにも刻入されているが、『真賞斎帖』の刻が最も精密とされ、古意豊かな筆意を味わうことができる。この作品は、鍾繇作品として高く評価する人もあるが、偽物断定する人もある。 急就章きゅうしゅうしょう) 『急就章』は前漢の史游が編纂した字書で、初めから終わりまで一字重複もなく、もと子供に文字覚えさせるための教科書であった漢代から南北朝にかけて広く用いられたもので、鍾繇皇象・索靖の手本があったとされる。『玉煙堂帖』に現存するもの皇象系統属する。

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三国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 16:24 UTC 版)

中国の書道史」の記事における「三国」の解説

三国(220年 - 280年書人筆跡)魏(220年 - 265年) 蜀(蜀漢)(221年 - 263年) 呉(229年 - 280年後漢末期、黄巾の乱によって後漢の力は非常に弱まり建安5年200年)を過ぎて曹操実権握って華北の地に覇権確立したが、南方の地はその覇権めぐって劉備孫権と争うようになった天下統一準備整えた曹操建安13年208年)に南伐の大軍荊州まで進出させたが、孫権劉備連合軍赤壁の戦い敗れ目的果たさず華北一帯支配する止まった建安21年216年)、曹操が鄴都で魏王封じられ事実上魏王朝を創始したが、延康元年220年)に洛陽病死した。同年10月その子曹丕後漢献帝から位を譲られ洛陽即位し、魏の文帝となった劉備成都で蜀を建国し、孫権建業で、呉を建国してそれぞれ帝位についた天下を3分する三国時代始まりである。ただし、三国とはいっても後漢設けた13州の内、魏が9州、呉が3州、蜀が1州という領有で、魏は経済的に文化的に最高に発達した地域有した。よって、三国の文化主として魏において発展見られたが、他の国では特に述べ事柄はない。 この時代戦乱打ち続いた時代であり、また、建安10年205年)、後漢献帝擁立していた曹操建碑禁止令を発令したため、刻石現存するもの少ない。漢代陵墓重んじられ碑の建立が盛んであったが、曹操陵墓築造経済圧迫しているという理由から建碑禁止し、魏においてもこの禁令そのまま実行された。そのわずかな諸碑により書風変遷をみると、漢の隷意を継承しながら徐々に楷書移り行く中間のといえる。『谷朗碑』・『府君碑』などがその例である。 この時代楷書名跡法帖)を数多く残した魏の鍾繇傑出しており、漢に生まれた楷書鍾繇によって完成の域に達したということができる。特定の個人がはっきりと芸術家として評価与えられるようになったのは鍾繇あたりからで、これは書道芸術的認識高まったことをよく示しており、引き続き東晋、さらに唐、北宋へと引き継がれていくのである

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三国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 05:42 UTC 版)

中国の書家一覧」の記事における「三国」の解説

詳細は「中国の書道史#三国(隷過渡時代)」および「中国の筆跡一覧#三国」を参照 時代通称生没年別称など代表作書論など備考胡昭 85年 - 173年一説162年 - 250年 孔明 草書行書よくした。 魏 邯鄲淳 132年 - 220年? 子叔 名…竺 三体石経鍾繇 151年 - 230年 元常 宣示表 魏 衛覬 生年不詳 - 230年 伯儒 衛瓘の父 魏 韋誕 179年 - 253年 仲将 魏 梁鵠りょう こく不詳 孟皇 八分よくした。 呉 皇象 不詳 休明 急就章 衛覬(えい き、生年不詳 - 230年)字は伯儒。衛瓘の父。漢末魏初に仕官した人で、古文篆書・隷書草書ともよくした鍾繇同時代の人。 皇象こう しょう生没年不詳)字は休明。呉で最も書名高く草書章草篆書・隷書よくした。もっとも優れたのは章草であると言われている。

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三國(みくに)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:55 UTC 版)

架刑のアリス」の記事における「三國(みくに)」の解説

紅一点真面目な女性片目眼帯隠している。三で一番回復早い

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三國(みくに)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 18:47 UTC 版)

アブソリュート・デュオ」の記事における「三國(みくに)」の解説

昊陵学園男性教師年齢20代後半、背が高く整った顔立ち。《焔牙》は13本の《突錐剣》。《装鋼の技師》の部下《神滅士》を圧倒する強さを持つ。

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