三国時代_(中国)とは?

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三国時代 (中国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 00:09 UTC 版)

三国時代(さんごくじだい)は、中国の時代区分の一つ。広義では黄巾の乱の蜂起(184年)による漢朝の動揺から西晋による中国再統一(280年)までを指し、狭義では後漢滅亡(220年)から晋が天下を統一した280年までを指し、最狭義では三国が鼎立した222年から蜀漢が滅亡した263年までを指す。当項目では広義の三国時代について記載する。




  1. ^ 『三国志』蜀書 先主伝「孫權以先主已得益州、使、使報、欲得荊州。先主言須得涼州、當以荊州相與權忿之、乃遣呂蒙、襲奪長沙、零陵、桂陽三郡」
  2. ^ 徐州、豫州、幽州、青州は呉が、并州、涼州、冀州、兗州は蜀漢が支配するものとし、司隷は函谷関を境界線として、東は呉、西は蜀漢が占めるとした。
  3. ^ 晋書』「帝紀第八」。
  4. ^ 晋書』「帝紀第九」。
  5. ^ 晋書』「帝紀第十」。
  6. ^ a b 宋書』「本紀第六」。
  7. ^ 宋書』「本紀第三」。
  8. ^ 宋書』「本紀第九」。
  9. ^ 南史』「斉本紀上第四」。ただし、陳留は前年4月に蕭道成の封地となったという記述もある。また、『南斉書』には記述無し。
  10. ^ 三国志』「蜀書四」。
  11. ^ a b 川勝義雄著『魏晋南北朝』(講談社学術文庫
  12. ^ 『蜀志』李厳伝では李厳への弾劾文が載せられており、そこでは車騎将軍劉琰、征西大将軍魏延に次いで前後左右将軍である袁綝、呉懿高翔呉班らが列挙されている。九品官人法では前後左右将軍より高位の征南将軍劉巴、征西将軍姜維らが出てくるのはその後である。
  13. ^ 橋本萬太郎編『民族の世界史5 漢民族と中国社会』(山川出版社)pp.86-88
  14. ^ 晋書』「地理志」に「1067万7960戸 5648万6856人」とある。
  15. ^ 『晋書』「地理志」に呉の赤烏5年(242年)のときに53万2千戸 240万人、『通典』「食貨七」に魏の景元4年(263年)のときに66万3423戸 443万2881人、同書に蜀の炎興元年(263年)のときに28万戸 94万人とある。ただし『晋書』「地理志」や『通典』「食貨七」によると、晋の太康元年(280年)には245万8969戸 1616万3863人にまで戸籍上の人口が回復している。
  16. ^ 橋本萬太郎編『民族の世界史5 漢民族と中国社会』(山川出版社)p.90
  17. ^ 秦末や前漢末の戦乱は、統一が敗れてから再び統一がなるまで、足掛け5年程度の期間で済んでいるが、三国時代は80年の期間、大陸の分裂が続いた。これは、人口激減による国力の大規模低下が一因ではないかとされている。また、三国時代直後に到来した五胡十六国時代においては、大陸の再統一まで実に300年の時間がかかっており、これもこの時代の人口激減の傍証とされることが多い
  18. ^ 橋本萬太郎編『民族の世界史5 漢民族と中国社会』(山川出版社)pp.86-88
  19. ^ 橋本萬太郎編『民族の世界史5 漢民族と中国社会』(山川出版社)pp.90-92
  20. ^ 魏を例に挙げれば、上にも出した陳羣のほか、同時代(明帝期)に杜恕というものが「魏は10州の地を領しているが、戦乱の疲弊により、戸口を計れば昔の1州にも満たない」という内容の上書を行っている。さらに、もともと人口が少なくこれに悩まされ続けた呉に至っては、西暦230年に夷州と亶州(どちらも正確な比類地は不明ながら台湾もしくは琉球、亶州は日本であるという説もある)に兵1万を送り人狩りを実施したとされる。ただし結果は、亶州にはたどり着けなかった上、夷州で数千人を捕まえたのと引き換えに兵の9割を失うという惨憺たるものであったとされる。
  21. ^ 橋本萬太郎編『民族の世界史5 漢民族と中国社会』(山川出版社)pp.86-87
  22. ^ 藤家礼之輔『漢三国両晋南朝の田制と税制』(東海大学出版会)pp.148-152。なお、藤家は咸熙元年(264年)に屯田民を統括していた典農官が廃止され(『三国志』魏志陳留王紀)、泰始2年(266年)に各地で農官が廃止されて郡県が設置された(『晋書』武帝紀、なお地理志より同年に8郡が新設されたことが知られる)際に数十万戸から百万戸近い屯田民は戸籍に編入されたことが、魏末期から晋の太康年間にかけての戸数回復の主な要因とする。
  23. ^ 『漢書』「地理志」に「1223万3062戸 5959万4978人」とある。ただし『後漢書』「郡国志」内での『帝王世紀』の引用では同年「1323万3612戸 5919万4978人」との記載がある。
  24. ^ 『後漢書』「郡国志」の注に「427万9634戸 2100万7820人」とある。


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