太平道とは? わかりやすく解説

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たいへい‐どう〔‐ダウ〕【太平道】


太平道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/24 02:38 UTC 版)

太平道(たいへいどう)は、後漢末の華北一帯で民衆に信仰された道教の一派。『太平清領書』を教典とし、教団組織は張角が創始した。教団そのものは黄巾の乱を起こしたのち、張角らの死を以て消滅した。


  1. ^ 窪 (1980) p.114
  2. ^ a b 神保 (1999) p.77
  3. ^ a b c d 窪 (1980) p.116
  4. ^ a b c 窪 (1980) p.117
  5. ^ 神保 (1999) p.79
  6. ^ 澤 (1999) p.23
  7. ^ 澤 (1999) p.22
  8. ^ 窪 (1980) p.113
  9. ^ 澤 (1999) p.13
  10. ^ 澤 (1999) p.24
  11. ^ a b 澤 (1999) p.29
  12. ^ Hartz (2005) p.60
  13. ^ a b 窪 (1980) p.119
  14. ^ a b c 澤 (1999) p.25
  15. ^  范曄 (中国語), 後漢書/卷71, ウィキソースより閲覧。 
  16. ^ 『三国志 THREE KINGDOM UNVERLING THE STORY』 p75
  17. ^ a b 澤 (1999) p.26
  18. ^ a b 澤 (1999) p.28


「太平道」の続きの解説一覧

太平道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 15:00 UTC 版)

道教の歴史」の記事における「太平道」の解説

詳細は「太平道」を参照 鉅鹿郡張角は、自ら「大賢良師」と称し黄老道奉じて弟子集め、「太平道」と呼ばれる教団組織したその活動は「首過」(罪を告白し天や鬼神懺悔する)や「符呪説」(おふだを入れた飲み呪文唱える)といったものである。この教団後漢末期の不安定な時代多く信者集め大方信徒一万人)と小方信徒数千人からなる「方」という組織単位として、方ごとに統率首領置いた。太平道にはやがて数十万人農民集結し軍隊のような組織となった。彼らは184年蜂起し黄巾の乱起こしたが、間もなく鎮圧され教団壊滅した。 「太平道」という名前は、『太平清領書』という経典関係すると言われる『後漢書』によれば後漢中頃于吉という道士曲陽泉水で『太平清領書』を感得し、弟子順帝献上した役人は、この書はでたらめであるとして収蔵していたが、のちにこれを入手した張角が太平道を立ち上げた。 現在、『道蔵』には『太平経』という経典収められているが、これと『太平清領書』の関係は不明である。『太平経』は少なくとも・陳の頃の復元編修経ているらしいが、その内容初期道教思想留めていることも確かである。『太平経においては治国の道」が強調され神人世に降臨することに託し、最高統治者乱世治めることを援助しようとするものである具体的な政治改革記されており、統治者仁義道徳をもとに人々指導することや、貧し人々救済せねばならないことなどが説かれている。また、太平の気」が到来することによって天下太平になるという信念説かれており、儒教倫理道家学説取り込みながら、宇宙起源万物生成社会興亡人性善悪などが「気」の概念から説明されている。ほか、原始道教巫術方術(符呪文による病の治療など)についても記載されている。『太平経においては仙人運命によって定められた者にしか到達できないとされ、真の不老長生を得ることに対す関心はやや薄いとされる

※この「太平道」の解説は、「道教の歴史」の解説の一部です。
「太平道」を含む「道教の歴史」の記事については、「道教の歴史」の概要を参照ください。


太平道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:12 UTC 版)

蒼天航路」の記事における「太平道」の解説

張角ちょう かく) 声:関俊彦 太平道の首領。もともと天下野心無かったが、曹操広めた蒼天已死」という言葉天下の声と考え漢王朝打倒決意する。「劉備は後に天子となり、関羽後の世に神となる」と関羽予言する弟子達を率いて黄巾の乱をおこすが、やがて病に倒れ大量の血を吐きこれからおとずれであろう3匹の龍が覇を争う大乱世を予感しながら死んでいった。 張宝ちょう ほう張角次弟。弟の張梁とともに太平道の中核組織し黄巾の乱起こすと地公将軍称した張梁ちょう りょう) 声:目黒光祐 張角末弟漢王朝衰え予見し、兄たちとともに黄巾の乱指導する。人公将軍称して最大激戦地昆陽指揮する。 羅厳(ら ごん) 声:土師孝也 太平道の幹部。侠の出身で、関羽はかつて彼に世話受けた。元は義侠の力で天下安寧目指していた。 馬元義(ば げんぎ) 太平道の幹部洛陽工作を行うが、反乱反対する味方密告によって捕らえられ処刑されてしまう。 波才(は さい) 太平道の幹部。侠の出身会見申し入れた劉備味方引き込もうするが、油断した所で劉備首を刎ねられた。 張曼成ちょう まんせい) 声:秋元羊介 太平道の最重要拠点である昆陽食料庫を守る将。侠の出身武芸優れている食料庫攻め官軍相手善戦し張奐一騎討ちの末に破るが、夏侯惇との連戦によって討ち取られた。 青州黄巾党師たち 声:納谷六朗 130万人数え青州黄巾党束ねる10人の長老たち中黄太乙引き継ぐと言う曹操対し教義奪わないことを条件曹操新たな指導者として認める。その直後全員自害し昇天

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