『後漢書』
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匈奴が鮮卑に征服され中国史上から消え去ってから、ギリシャ・ローマ世界の文献にフン族が登場するまでには約200年の隔たりがある。123年ごろ、北慮(林によれば北匈奴を指す)の呼衍王が蒲類(バルクル湖)と「秦海」を行き来しつつ西域を制圧した。内田吟風は秦海を大秦(ローマ)の海すなわち黒海であるとしたが、林俊雄はこれを否定し、もっと西域に近い湖であろうと述べている。そして151年に後漢が軍を派遣すると、呼衍王は去っていった。これが『後漢書』における北匈奴の最後の記録である。
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『後漢書』
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建武中元二年(57年) - 倭奴国が金印を授与される。 永初元年(107年) - 倭国王の帥升が安帝に拝謁を願う。 桓帝と霊帝の間(146年 - 189年) - 倭国大乱。 189年前後か? - 一人の女子がいて、名を卑彌呼という。年増だが嫁がず、神鬼道に仕え、よく妖術を以て大衆を惑わす。
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『後漢書』
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劉宋時代の元嘉9年(432年)に、范曄によって編纂された後漢時代に関する正史。前漢の歴史を記した班固の『漢書』の続篇として書かれたため、「後『漢書』」と名づけられる。時代的には三国より前を扱いながら、成立は『三国志』よりも150年遅く、裴注と同時期である。范曄がこの書を著す前から「後漢書」「続漢書」等と称する史書は多くあり、唐代に編纂された『隋書』経籍志では、これらの類書とともに正史の類に編入されている。現在見られる『後漢書』には、唐の皇族李賢(章懐太子)がつけた註釈(章懐注)が挿入されるのが普通である。
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『後漢書』
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「倭・倭人関連の中国文献」の記事における「『後漢書』」の解説
ウィキソースに後漢書倭伝の原文があります。 『後漢書』東夷伝 「建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」 建武中元二年(57年)、倭奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武賜うに印綬を以てす 「安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見」 安帝、永初元年(107年)倭国王帥升等、生口160人を献じ、請見を願う 倭奴国の王は、出先機関の楽浪郡にではなく、後漢の都の洛陽にまで使者をはるばる派遣し、朝貢していた。授けられた金印(倭奴国王印)は、江戸時代に博多湾・志賀島で掘り出されたものとされ、現存する。「漢委奴國王」と刻印されている。三宅米吉はこれを漢(かん)の委(わ)の奴(な)の国王と読んでいる。また、委奴を「いと・ゐど」(伊都国)と読み、漢の委奴(いと・ゐど)の国王と読む説もある。 一方、中国の史書では、「倭奴国」は「倭国」の旧称と記されている。 『北史』倭国伝 安帝時、又遣朝貢、謂之倭奴國。 安帝の時(106-125年)、また遣使が朝貢した、これを倭奴国という 『隋書』倭国伝 安帝時、又遣使朝貢、謂之倭奴國 安帝の時(106-125年)また遣使が朝貢、これを「倭奴国」という 『旧唐書』倭国・日本国伝 倭國者、古倭奴國也。 倭国とは、古の「倭奴国」なり この後は倭国大乱と卑弥呼の記事があり、『三国志』の『魏書』東夷伝の倭人条(魏志倭人伝)に似ているが、大乱の時期を「桓霊間」(桓帝と霊帝の時代)と具体的に記すなど相違点もある。東夷伝にはこの他、『漢書』地理志から引用したと見られる「東鯷人」の記事、『三国志』の『呉書』孫権伝から引用したと見られる夷洲と亶洲(「澶洲」と誤記)の記事もある。 中国の史書に倭国が現れたのは、『後漢書』の安帝紀の永初元年(107年)の記事が初めてである。 「冬十月,倭國遣使奉獻。辛酉,新城山泉水大出」
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