『後漢書』とは? わかりやすく解説

『後漢書』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 02:51 UTC 版)

フン族の起源」の記事における「『後漢書』」の解説

匈奴鮮卑征服され中国史上から消え去ってから、ギリシャ・ローマ世界文献フン族登場するまでには約200年隔たりがある。123年ごろ、北慮(によれば北匈奴を指す)の呼衍王が類(バルクル湖)と「秦海」を行き来しつつ西域制圧した内田吟風は秦海を大秦ローマ)の海すなわち黒海であるとしたが、林俊雄はこれを否定し、もっと西域に近い湖であろう述べている。そして151年後漢が軍を派遣すると、呼衍王は去っていった。これが『後漢書』における北匈奴最後記録である。

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『後漢書』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 04:52 UTC 版)

卑弥呼」の記事における「『後漢書』」の解説

建武中元二年(57年) - 倭奴国金印授与される永初元年107年) - 倭国王帥升安帝拝謁を願う。 桓帝霊帝の間(146年 - 189年) - 倭国大乱189年前後か? - 一人女子がいて、名を卑彌呼という。年増だが嫁がず、神鬼道に仕え、よく妖術を以て大衆惑わす

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『後漢書』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 03:04 UTC 版)

三国志演義の成立史」の記事における「『後漢書』」の解説

劉宋時代元嘉9年432年)に、范曄によって編纂された後漢時代に関する正史前漢歴史記した班固『漢書』続篇として書かれたため、「後『漢書』」と名づけられる。時代的には三国より前を扱いながら、成立『三国志』よりも150年遅く、裴注と同時期である。范曄がこの書を著す前から「後漢書」「続漢書」等と称する史書多くあり、唐代編纂された『隋書』経籍志では、これらの類書とともに正史の類に編入されている。現在見られる『後漢書』には、唐の皇族李賢(章懐太子)がつけた註釈(章懐注)挿入されるのが普通である。

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『後漢書』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 07:47 UTC 版)

倭・倭人関連の中国文献」の記事における「『後漢書』」の解説

ウィキソース後漢書倭伝原文あります『後漢書』東夷伝建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國南界光武賜以印綬建武中元二年(57年)、倭奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫称す倭国南界なり。光武賜う印綬を以てす 「安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口六十人請見安帝永初元年107年倭国王帥升等、生口160人を献じ請見を願う 倭奴国の王は、出先機関楽浪郡ではなく後漢の都の洛陽にまで使者はるばる派遣し朝貢していた。授けられ金印倭奴国王印)は、江戸時代博多湾志賀島掘り出されたものとされ、現存する。「漢委奴國王」と刻印されている。三宅米吉はこれを漢(かん)の委(わ)の奴(な)の国王読んでいる。また、委奴を「いと・ゐど」(伊都国)と読み、漢の委奴(いと・ゐど)の国王と読む説もある。 一方中国史書では、「倭奴国」は「倭国」の旧称記されている。 『北史』倭国伝 安帝時、又遣朝貢、謂之倭奴國安帝の時(106125年)、また遣使が朝貢した、これを倭奴国という 『隋書』倭国安帝時、又遣使朝貢、謂之倭奴國 安帝の時(106125年)また遣使が朝貢、これを「倭奴国」という 『旧唐書』倭国日本国倭國者、古倭奴國也。 倭国とは、古の「倭奴国」なり この後倭国大乱卑弥呼記事があり、『三国志』の『魏書東夷伝倭人条(魏志倭人伝)に似ているが、大乱時期を「桓霊間」(桓帝霊帝時代)と具体的に記すなど相違点もある。東夷伝にはこの他『漢書』地理志から引用したと見られる東鯷人」の記事『三国志』の『呉書孫権伝から引用したと見られる夷洲と亶洲(「澶洲」と誤記)の記事もある。 中国史書倭国現れたのは、『後漢書』の安帝紀の永初元年107年)の記事初めてである。 「冬十月倭國遣使奉獻辛酉新城山泉水大出」

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