『後漢書』の記述との対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 07:18 UTC 版)
「漢委奴国王印」の記事における「『後漢書』の記述との対応」の解説
『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」に 建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬「建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す、使人自ら大夫と称す、倭国の極南の界なり、光武、印綬を以て賜う」 — 強調引用者 という記述があり、後漢の光武帝が建武中元2年(57年)に奴国からの朝賀使へ(冊封のしるしとして)賜った印がこれに相当するとされる。 中国漢代の制度では、冊封された周辺諸国のうちで王号を持つ者(外臣)に対しては、内臣である諸侯王が授けられるよりも一段低い金の印が授けられた(詳しくは印綬の項を参照)。
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