根岸短歌会とは? わかりやすく解説

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ねぎし‐たんかかい〔‐タンカクワイ〕【根岸短歌会】

読み方:ねぎしたんかかい

短歌結社明治32年(1899)正岡子規東京下谷区上根岸現在の台東区内)の自宅開いた短歌会に始まる。新聞「日本」雑誌心の花」により、写生説に基づき万葉風の復活唱えた子規没後機関誌馬酔木(あしび)」を発行、のち、「アララギ」派に発展


根岸短歌会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/04 00:36 UTC 版)

根岸短歌会(ねぎし たんか かい)は、正岡子規が主催した短歌結社[1]。名前は子規庵[2]の住所(東京下谷上根岸)に由来し、子規庵での歌会から始まり、後にアララギ派に発展する。

概要

当時の正岡子規は、闘病生活の傍ら新聞「日本」や俳誌「ホトトギス」、歌誌「心の花」などで活動、俳句や短歌の改革を唱え、俳句の近代化に成功した。そして1898年(明治31年)に「歌よみに与ふる書」を発表、万葉への回帰と写生による短歌を提唱して、写実的な短歌の実践を試みる。

根岸短歌会は1899年(明治32年)3月14日に子規庵で正岡子規、岡麓香取秀真、山本鹿洲、木村芳雨、黒井怒堂の6名で開かれた歌会を源流とし、同郷の後輩である高浜虚子河東碧梧桐らにより結成され、伊藤左千夫長塚節らも参加した。

子規の没後、伊藤左千夫が根岸短歌会系歌人をまとめ、1903年(明治36年)に機関誌馬酔木」(1908年終刊)が発行され、根岸短歌会参加者に加え島木赤彦斎藤茂吉らも参加し、これが歌誌「阿羅々木」(後のアララギ)へと発展していくことになる。

脚注・出典




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