こころ‐の‐はな【心の花】
こころのはな【心の花】
佐佐木信綱
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佐佐木 信綱(ささき のぶつな、1872年7月8日(明治5年6月3日[注 1]) - 1963年(昭和38年)12月2日)は、日本の歌人・国文学者。正三位[1]。勲六等。文学博士。日本学士院会員。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。
注釈
出典
- ^ 昭和38年12月9日付け官報本紙第11096号5・6ページ叙任及び辞令欄
- ^ 竹柏会 短歌雑誌心の花
- ^ 『官報』第2275号、昭和9年8月1日。
- ^ 長岡半太郎、幸田露伴ら九人受賞『東京日日新聞』(昭和12年4月17日)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p654 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 上代文学会の活動について
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)13頁
- ^ 凌寒荘 - 熱海市観光協会
- ^ 佐佐木信綱 熱海の旧居「凌寒荘」運営困難に 活動担う団体 高齢化が深刻 - 東京新聞 2020年3月10日付
- ^ a b c 鈴木徳男、鈴木徳男・嘉戸一将(編)「近代詩歌の出発」『明治国家の精神史的研究:<明治の精神>をめぐって』 以文社 2008年、ISBN 9784753102655 pp.248-257.
- ^ 楠町史編纂委員会 編『楠町史』楠町教育委員会、1978年5月(484頁より)
- ^ 小駒勝美「第二章」『漢字は日本語である』新潮新書、2008年、40頁。ISBN 978-4-10-610253-0。OCLC 228498224。"「々」は日本独自のもので、中国にはない。歌人であり国文学者だった佐佐木信綱…「佐佐木」に改姓した、という逸話がある。"。
- ^ 文化財課. “佐佐木信綱の紹介”. 鈴鹿市ホームページ. 佐佐木信綱記念館. 鈴鹿市. 2022年8月23日閲覧。 “信綱は、なぜ「佐佐木」か? 信綱は明治36年(32歳)、中国へ遊学をしました。その時に上海で名刺を作りましたが、出来上がってきた名刺は、紅唐紙(縦約24cm×横約12cm)に「佐佐木信綱」と印刷されていました。この名刺を見て信綱は「見た目がよい」と大変気に入り、以後の著作物などに好んで「佐佐木信綱」と使うようになりました。”
- ^ 『伊藤左千夫 佐佐木信綱』 新学社〈近代浪漫派文庫 17〉2005年に、抜粋収録。他は「思草」「山と水と」。
- ^ a b “設備刷新、信綱資料館が再開 19年の雨漏り閉鎖以来”. 中日新聞. 2022年1月29日閲覧。
- 1 佐佐木信綱とは
- 2 佐佐木信綱の概要
- 3 逸話
- 4 脚注
「心の花」の例文・使い方・用例・文例
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