貞明皇后とは? わかりやすく解説

ていめい‐こうごう〔‐クワウゴウ〕【貞明皇后】

読み方:ていめいこうごう

[1884~1951大正天皇皇后。名は節子(さだこ)。公爵九条道孝四女昭和天皇および秩父宮雍仁(やすひと)・高松宮宣仁(のぶひと)・三笠宮崇仁(たかひと)各親王生母


貞明皇后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/12 06:04 UTC 版)

貞明皇后(ていめいこうごう、1884年明治17年〉6月25日 - 1951年昭和26年〉5月17日)は、日本の第123代天皇大正天皇皇后(在位:1912年〈明治45年/大正元年〉7月30日 - 1926年〈大正15年/昭和元年〉12月25日)。節子(さだこ)。お印。旧名は、九条 節子(くじょう さだこ)。


注釈

  1. ^ 明治天皇の后昭憲皇太后(一条美子)には子が無く、明治天皇もその他の側室との間に、男子が皇太子嘉仁親王以外いない状況であった。その嘉仁親王も、幼少期から健康状態が不安定だった。なお、禎子女王は山内豊景侯爵に降嫁したが、子は無い。
  2. ^ 華族女学校校長の細川潤次郎、同校教師の下田歌子が関与する、日比谷大神宮の内部機関[8]
  3. ^ 実質的な新婚旅行として皇室ゆかりの地を訪問する習慣は、昭和天皇、上皇(明仁)、今上天皇(徳仁)をはじめ、天皇及び皇族に定着した
  4. ^ この際利用した8号御料車は解体され、一部が鉄道博物館に現存する[31]
  5. ^ 大規模災害に際し、まず皇室がメッセージを発信し、その後実際に被災地を訪問するというプロセスは、現代も続いているが、天皇の権威が強い大正期の方が「皇后単独で」活躍する余地が大きかった[57]
  6. ^ 崩御後に大宮御所で発見された[66]
  7. ^ これに伴い京都皇宮内の大宮御所は「京都大宮御所」と改称された。
  8. ^ 皇室ジャーナリスト河原敏明の複数の著書より

出典

  1. ^ 『歴代皇后125代総覧』412頁10行目
  2. ^ 『歴代皇后125代総覧』413頁2行目。(新人物往来社)
  3. ^ a b 原 2017 p.146
  4. ^ 原 2017 p.136
  5. ^ 原 2017 p.141-143
  6. ^ 原 2017 p.145
  7. ^ 原 2017 p.132-133
  8. ^ a b c 住友 2014 p.68
  9. ^ 原 2017 p.135
  10. ^ 原 2017 p.150
  11. ^ 『歴代皇后125代総覧』の413頁
  12. ^ 原 2017 p.150-151
  13. ^ 原 2017 p.151-158
  14. ^ 原 2017 p.161-162
  15. ^ 原 2017 p.163
  16. ^ 原 2017 p.164
  17. ^ 原 2017 p.164-168
  18. ^ 原 2017 p.168
  19. ^ a b 原 2017 p.170
  20. ^ a b 原 2017 p.174
  21. ^ 原 2017 p.189
  22. ^ 原 2017 p.184
  23. ^ 原 2017 p.185
  24. ^ 原 2017 p.193
  25. ^ 原 2017 p.193-194
  26. ^ 原 2017 p.194
  27. ^ 原 2017 p.198-199
  28. ^ a b 原 2017 p.199
  29. ^ 原 2017 p.200-201
  30. ^ 大正5年宮内省告示第3号(『官報』第1090号、大正5年3月23日)(NDLJP:2953200/1/1
  31. ^ a b c d 原 2017 p.239
  32. ^ 原 2017 p.239-240
  33. ^ a b 原 2017 p.240
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  35. ^ 原 2017 p.241-242
  36. ^ 原 2017 p.242-243
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  40. ^ 原 2017 p.263
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  43. ^ 原 2017 p.270
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  46. ^ 大正10年11月25日「詔書」、大正10年11月25日官報号外(NDLJP:2954911/1/16
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  48. ^ 原 2017 p.282-283
  49. ^ 原 2017 p.283
  50. ^ 大正11年宮内省告示第7号(『官報』第2873号、大正11年3月3日)(NDLJP:2954989/1/2
  51. ^ 原 2017 p.287-288
  52. ^ 原 2017 p.289
  53. ^ 原 2017 p.291-292
  54. ^ 原 2017 p343-344
  55. ^ 原 2017 p344-345
  56. ^ 原 2017 p346
  57. ^ a b 原 2017 p.347
  58. ^ a b 原 2017 p.348
  59. ^ 原 2017 p349-350
  60. ^ 原 2017 p349
  61. ^ 原 2017 p350
  62. ^ 大正13年宮内省告示第40号(『官報』第3676号、大正13年11月22日)(NDLJP:2955824
  63. ^ 原 2017 p376-377
  64. ^ 大正15年詔書(『官報』号外、大正15年10月21日)(NDLJP:2956399/1/18
  65. ^ 大正15年宮内省告示第33号(『官報』号外、大正15年10月21日)(NDLJP:2956399/1/43
  66. ^ a b c d 原 2017 p.381
  67. ^ 『官報』号外「告示」、大正15年12月25日(NDLJP:2956454/1/20
  68. ^ a b 原 2017 p386
  69. ^ 昭和2年宮内省告示第28号(『官報』第263号、昭和2年11月12日)(NDLJP:2956723/1/3
  70. ^ 昭和5年宮内省告示第21号(『官報』第998号、昭和5年5月1日)(NDLJP:2957465
  71. ^ 原 2017 p.388
  72. ^ 片野真佐子『皇后の近代』、163 - 171頁。(講談社選書メチエ2003年
  73. ^ 軽井沢ニュース2013年8月9日発行 第120号(5)
  74. ^ 高松宮宣仁親王(朝日新聞社, 1991年)419頁
  75. ^ 軽井沢ニュース2013年7月12日発行 第119号(5)
  76. ^ 「在りし日の御日常 不幸な人々に慈しみ 御霊まいりに明け暮れ」『朝日新聞』昭和26年(1951)5月18日1面
  77. ^ "官報" (HTML). 国立国会図書館. 9 June 1951. p. 18. 2019年12月11日閲覧
  78. ^ 「葬儀の方法 宮内庁で協議」『朝日新聞』昭和26年5月18日1面
  79. ^ ご大喪・ご即位・ご結婚などの行事”. 宮内庁ホームページ. 2020年3月25日閲覧。
  80. ^ 昭和26年法律第317号(『官報』第7488号、昭和21年12月22日)(NDLJP:2964041/1/1
  81. ^ 『官報』号外「授爵叙任及辞令」1900年5月9日。
  82. ^ 『貞明皇后』主婦の友社, 1971、p35
  83. ^ 産経新聞連載 川瀬弘至「朝けの空に−貞明皇后の66年」第2回
  84. ^ 『歴代皇后人物系譜総覧』新人物往来社, 2002、p280
  85. ^ 秩父宮妃勢津子『銀のボンボニエール 親王の妃として』(主婦の友社、1991年、講談社+α文庫、1994年)
  86. ^ 宮内庁書陵部編『貞明皇后御歌集・御詩集』(和装本3冊組、1960年(昭和35年)、改訂版『貞明皇后御集』 2001年(平成13年))。
  87. ^ 『貞明皇后御歌集』(全国敬神婦人連合会編、主婦の友社、1988年(昭和63年)、解説筧素彦)
  88. ^ 西川泰彦『貞明皇后その御歌と御詩の世界 貞明皇后御集拝読』を参照。
  89. ^ 出雲井晶『天の声 小説・貞明皇后と光田健輔』を参照


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貞明皇后

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ハンセン病に関連した人物」の記事における「貞明皇后」の解説

貞明皇后(1884-1951) 救癩事業尽くしたことで有名。内務大臣安達謙蔵は貞明皇后に救癩事業への援助願い出て昭和5年11月10日御手元金248000円が下賜された。これが最初というわけでなく、皇后ハンナ・リデル回春病院にも多額の寄付行っており、1916年には年6000円、それ以降毎年3000円の寄付おこなっている。また、神山復生病院レゼー神父就任直後病院経営難しくなった時に経済援助をした。

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