近衛長子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/19 23:26 UTC 版)
近衛 長子(このえ ながこ、建保6年(1218年) - 文永12年2月11日(1275年3月9日))は、鎌倉時代の女院。後堀河天皇の中宮。猪熊関白近衛家実の女。母は修理大夫藤原季信の女。女院号は鷹司院(たかつかさいん)。法号は蓮華性[1]。
注釈
- ^ 後堀河天皇の最初の中宮である三条有子(安喜門院)も宣陽門院の姪孫(異父姉の外孫)であったとみられるが、子供に恵まれなかった上に実父の三条公房と宣陽門院の関係が悪化したことでもあり、宣陽門院は近衛家と連携してその娘を養女として入内させる方針に転じたと考えられる[3]。
- ^ 布谷(後、白根)陽子は、宣陽門院の考えは当時将来が不透明である宗尊親王への長講堂領の継承では長講堂やそこで行われる筈の自分や父・後白河院の法要が存続し続けるのかを不安視し、あくまでも皇位継承者による長講堂領の相続を望んだとしている。同様に後堀河天皇の中宮としても四条天皇の准母としても子孫に皇統を残せなかった鷹司院も最終的に長講堂領の継承者から外されること(一期分の撤回)になったとする[11]。
出典
- ^ 『女院小伝』
- ^ 『女院記』
- ^ 松薗斉『王朝時代の実像15 中世の王家と宮家』(臨川書店、2023年) ISBN 978-4-653-04715-5 P87-89.
- ^ 白根 2018, pp. 69–70.
- ^ 『玉蘂』嘉禎元年正月1日条
- ^ a b 『玉蘂』嘉禎3年7月17日条
- ^ 白根 2018, p. 71.
- ^ 白根 2018, pp. 90–91.
- ^ 白根 2018, pp. 119–120.
- ^ 『岡屋関白記』寛元4年4月20日条
- ^ 白根 2018, pp. 76・120.
- ^ 白根 2018, pp. 117–120.
- ^ 白根 2018, pp. 75–77.
- ^ 白根 2018, pp. 120–121.
- 近衛長子のページへのリンク