孝明天皇とは? わかりやすく解説

こうめい‐てんのう〔カウメイテンワウ〕【孝明天皇】

読み方:こうめいてんのう

[1831〜1867]第121天皇在位、1846〜1867。仁孝天皇の第4皇子。名は統仁(おさひと)。攘夷(じょうい)を主張した公武合体策をとり、皇妹和宮(かずのみや)の将軍徳川家茂(とくがわいえもち)への降嫁行い倒幕派退けた


孝明天皇 後月輪東山陵
(こうめいてんのう のちのつきのわのひがしのみささぎ)

御陵写真 陵印
代   数 :第121
天 皇 名 :孝明天皇
こうめいてんのう
御   父 仁孝天皇
御   母 新待賢門院藤原雅子
御 陵 名 後月東山
のちのつきのわのひがしのみささぎ
陵   形 円丘
所 在 地 京都府京都市東山区今熊野泉山町  泉涌寺
交通機関等 JR京阪東福寺下車  東へ1.5km又は市バス泉涌寺道下車  東へ1km
陵印保管場所 月輪陵墓監区事務所

孝明天皇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 14:47 UTC 版)

孝明天皇(こうめいてんのう、1831年7月22日天保2年6月14日〉- 1867年1月30日慶応2年12月25日〉)は、日本の第121代天皇[注 1](在位: 1846年3月10日弘化3年2月13日〉‐ 1867年1月30日〈慶応2年12月25日〉)。統仁(おさひと)。称号煕宮(ひろのみや)。


注釈

  1. ^ 孝明天皇自身は、「百廿二代孫統仁」(122代)と自署していた[1]。光格天皇も同様に現在のものから一代増えたものを使用しているが、この差異は、『本朝皇胤紹運録』にて現在は歴代天皇に数えられていない北朝の天皇を歴代天皇として数えていることから来る[2]
  2. ^ 「七社とは、伊勢石清水賀茂松尾平野稲荷春日の各社のことであり、七寺とは、仁和寺東大寺興福寺延暦寺園城寺東寺広隆寺の各寺である。」藤田覚『幕末の天皇』、第4章(講談社学術文庫 2013年)
  3. ^ しかし「天皇も自分と同意見」だとして事態を動かす点は危惧していた。前述の下問は朝廷内部の世論を喚起させて鷹司太閤へ対抗しようとした工作との見方がある。
  4. ^ 1866年2月2日(慶応元年12月17日)、典薬寮の高階経由・経徳らの建言による[6]。天皇没後の戊辰戦争を受けて、1868年3月31日(慶応4年3月8日)に同じ高階親子の建言で撤回された[7]
  5. ^ 第15代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・ブキャナンより贈られたウォルサム社製。
  6. ^ 安重根は伊藤博文を暗殺した15の理由うちの1つとして、「今ヲ去ル四十二年前、現日本皇帝(明治天皇)ノ御父君ニ当ラセラル御方(孝明天皇)ヲ伊藤サンガ失イマシタ。ソノ事ハミナ韓国民ガ知ッテオリマス」と述べている(新聞集成明治編年史編纂会、1940年、p.171)。
  7. ^ 坂東は「風呂の湯に毒が入れられた」旨の伝聞を述べている[12]
  8. ^ 天皇史関係の書籍では著者名は主に「禰津正志」を使用。
  9. ^ 伊良子光孝が医学史雑誌『医譚』の第47・48号(1976年)に天脈拝診日記を再発表した際に記述したところによると、拝診日記の最初の発表以降、孝明天皇毒殺の証拠を探ろうとして光孝のもとへ歴史研究者や作家の類がかなり押しかけてきたという。これに閉口したのか、光孝は天皇の死因について「真実は医師である自分にも判らない」として私見の開陳を避け、「討幕派が天皇毒殺をするなど考えられず、また考えたくもない」といった旨のことも述べている。

出典

  1. ^ a b 宸翰栄華』「宸筆御懐紙」
  2. ^ 書陵部所蔵目録・画像公開システム,ギャラリーバックナンバー,『光格天皇宸翰南無阿弥陀仏』
  3. ^ 『孝明天皇』福地重孝
  4. ^ 『孝明天皇紀』巻四P592
  5. ^ 『孝明天皇紀』巻四P845-846
  6. ^ 『孝明天皇紀』巻五P706-707
  7. ^ 明治天皇紀』巻一P643
  8. ^ 1865年11月11日(慶応元年9月23日)付書簡『大久保利通文書』巻一P311
  9. ^ 『岩倉具視文書』巻一P264
  10. ^ 『孝明天皇紀』巻四P893
  11. ^ 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年、786頁。
  12. ^ 山口幸洋『大正女官、宮中語り』河西秀哉監修、創元社、2022年、76頁。 
  13. ^ 京都府医師会 編『京都の医学史』思文閣出版、1980年、1301頁。 
  14. ^ 原口清「孝明天皇の死因について」『明治維新史学史会報』第15号、1989年10月。 
  15. ^ 原口清(著)、藤原彰 他(編)「日本近代史の虚像と実像1」、大月書店、1990年。 
  16. ^ 原口清「孝明天皇と岩倉具視」『名城商学』第39巻別冊、1990年2月。 



孝明天皇(こうめい てんのう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 18:13 UTC 版)

SIDOOH/士道」の記事における「孝明天皇(こうめい てんのう)」の解説

121天皇

※この「孝明天皇(こうめい てんのう)」の解説は、「SIDOOH/士道」の解説の一部です。
「孝明天皇(こうめい てんのう)」を含む「SIDOOH/士道」の記事については、「SIDOOH/士道」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「孝明天皇」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



孝明天皇と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「孝明天皇」の関連用語

孝明天皇のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



孝明天皇のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2024 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
宮内庁宮内庁
Copyright © 2024 Imperial Household Agency. All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの孝明天皇 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、WikipediaのSIDOOH/士道 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS