攘夷論とは? わかりやすく解説

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じょうい‐ろん〔ジヤウイ‐〕【××夷論】

読み方:じょういろん

江戸末期外国との通商反対し、外国撃退して鎖国通そうとする排外思想。のちに尊王論合流して討幕運動主潮をなした。


攘夷論

読み方:ジョウイロン(jouiron)

幕末西洋列強排撃主張する思想


攘夷論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/01 08:48 UTC 版)

攘夷論の風刺図(開港直後の横浜で行われた相撲の模様を描いている)

攘夷論(じょういろん)は、日本においては幕末期に広まった、外国との通商反対や外国を撃退して鎖国を通そうとしたりする排外思想である[1]。元は中国春秋時代の言葉で、西欧諸外国の日本進出に伴い、夷人(いじん)を夷狄 (いてき) 視し攘(はら)おう、つまり実力行使で外国人を排撃しようという考えであり、華夷思想による日本の独善的観念と国学に基づいた国家意識が源となっている[2]

概要

攘夷論は、江戸時代後半の日本において、西洋諸国の接近に対応して海防論の一環として生まれ、展開した排外思想[3]、江戸時代にあっては、西洋列強の東アジア接近以前より、対外貿易は日本における有益の品々と外国産の無用の品々を交換するものにすぎないという貿易有害無益論があり、キリスト教の排斥とともに、いわば前提視されていた[4]

水戸藩を中心に朱子学の影響を強く受けた水戸学が隆盛し、1820年代から1830年代にかけては水戸学における攘夷論が確立した[4]。これは、儒学における華夷思想を素地としており、欧米諸国は卑しむべき夷狄であるから、日本列島にその力が及んだ場合、直ちに打ち払うべきだとする考えであるが、こうした考えの根底にあったのは、西洋諸国との交わりはキリスト教その他の有害思想の浸透につながるという、一種の文化侵略に対する危機感であった[4]。水戸藩領地沿岸には大津浜事件以外にもイギリスの捕鯨船がたびたび接近し、幕府及び藩の禁令を無視して漁民たちと交流および物資交換などを行っていたことも、水戸藩における攘夷論の高まりの遠因となっている[5]江戸幕府文政8年(1825年)に発した異国船打払令も、こうした危機感の現れであった[注釈 1]

一方、国学の発展によって、日本は神国であるというナショナリズム(神国思想)が次第に力を増し、勤皇思想(尊王論)もまた力を得ていたが、これが現実の外国勢力の脅威下で攘夷論と結びついて尊王攘夷論が形作られた。尊王攘夷の思想は、特に 嘉永6年(1853年)の黒船来航マシュー・ペリーの来航)によって開港された後、日米修好通商条約締結反対を主張する反幕勢力の思想的支柱となり、鎖国を維持しようとする諸藩の下級志士や公卿たちによって支持された。老中首座・阿部正弘の要請により海防参与として幕政に関わった徳川斉昭は、水戸学の立場から強硬な攘夷論を主張した。そして、開国後から明治維新直後にかけて攘夷思想による外国人襲撃・殺害事件が頻発する。

しかし、攘夷を実行した長州藩による下関戦争は大敗北に終わり、外国艦隊との間の圧倒的な軍事力の差に直面したことにより、鎖国政策の維持に固執した攘夷論に対する批判が生じた。津和野藩国学者大国隆正らは、国内統一を優先して、外国との交易によって富国強兵を図った上で諸外国と対等に対峙する力をつけるべきだとする「大攘夷」論を主張し、これを長州藩の尊攘派も受け入れた。従来、攘夷運動の主力であった人びとが倒幕へ向かったのである。

なお、攘夷論は「攘夷か開国か」という形で開国論と対置される場合が多いが、厳密には、現実政策としての開国論と対立するのは鎖国論のはずである[3]。一方、国際社会の捉え方という観点では、攘夷論(というよりも攘夷論の前提をなす華夷思想)と対立するのは、それぞれの国家は独立し、平等の存在であるべきだとする主権対等の観念であるといえる[3]

大政奉還後、薩長をはじめとする西南雄藩の出身者が中心となって明治政府が成立したが、「草莽」と呼ばれた一部の人びとは鎖国に固執し、攘夷運動を継続しようとした。明治2年(1869年)5月28日、新政府は、政府部内の公議所・上局から挙げられた「公議輿論」が、鎖国に立脚した攘夷は不可能であるというものであったことを理由に「開国和親」を国是とすることを決定し、以後は鎖国論を議題としない旨を公表した。また、「草莽の志士」に対しても、出稼ぎ農民とともに勝手に本国より離れたものとして人返しの対象にすることを決定した(五榜の掲示の第5札、実際の取締規定は明治2年以後である)。しかし、復古的な攘夷論がこれによって一掃されたわけではなく、大楽源太郎の反乱計画や二卿事件久留米藩難など明治政府を倒して攘夷を断行しようとする事件が起こっている。

攘夷論は鎖国論と結びついて発生したものの、やがて西洋列強に並び立つための海外膨張論などを生み出し、やがて華夷思想の解体とともに消滅した[3]。だが、富国強兵の後に攘夷を行う大攘夷主義と変化していく。

攘夷運動の代表例

脚注

注釈

  1. ^ 異国船打払令は、文化5年8月(西暦1808年10月)に起きたフェートン号事件に衝撃を受けた幕府が、文政7年の大津浜事件宝島事件を危険視して発令したものである。

出典

  1. ^ 大辞泉』小学館[1]
  2. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』[2]
  3. ^ a b c d 『世界大百科事典』(1988)「攘夷論」
  4. ^ a b c 『世界大百科事典』(1988)「海防論」
  5. ^ 尊皇攘夷―水戸学の四百年―、片山杜秀、2021年

参考文献

関連項目


攘夷論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/05 13:20 UTC 版)

尊王攘夷」の記事における「攘夷論」の解説

詳細は「攘夷論」を参照 江戸幕府が、オランダ朝鮮除いて鎖国政策続け、その鎖国下で封建的な支配続けていた約250年の間に、欧州米国各種根本的な革命成し遂げていた。 1638年清教徒革命広義では1638年主教戦争から1660年王政復古まで1688年権利の章典および名誉革命1688年 - 1689年1776年アメリカ独立宣言 1789年アメリカ権利章典 1789年フランス革命 1793年フランス人権宣言人間と市民の権利の宣言また、欧米は、大航海時代以降世界各地進出し支配領域拡大し、更に帝国主義波に乗ってアフリカ・アジアに進出し植民地化行った欧米列強東アジア各国にとって脅威となっていた。 1840年天保11年)、清国イギリス戦争アヘン戦争)となり、香港島奪われた(1997年平成9年返還)。 日本でも北海道ゴローニン事件九州フェートン号事件といった摩擦起こり始め、これらの事態対応するために、外来者を打ち払って日本欧米列強から防衛すべしという思想が広まることとなったこういう侵略拒否植民地化拒否目的とする思想が攘夷論である。 また、国内では平田篤胤などによる国学普及ともなって民族意識がとみに高まっていた時代でもあった。 1853年嘉永6年)、米国東インド艦隊司令長官マシュー・ペリー黒船来航した際には、「泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず」という狂歌詠まれた。 このペリーの黒船来航による外圧にどう対応すべきであるかという問題江戸幕府老中阿部正弘)が諸藩諮問した事から日本各地幕末尊王攘夷運動本格的に発生し始める。 1854年嘉永7年)、それまで異国船無二念打払令1825年文政8年))に取って代わり下田箱館開港地とする日米和親条約などの和親条約米英露と締結される。この和親条約により、日本諸外国薪水食料石炭その他の便宜与えることとなる。 その後安政の大獄公武合体運動和宮降嫁第一次長州征伐長幕戦争見られるように、江戸幕府弾圧懐柔により、諸藩鎖国下に置いたまま、1858年安政5年)の不平等条約(「安政五カ国条約」)による5港の屈服開港京都朝廷諸藩承諾させようとし続けることになる。この5港は、下田神奈川横浜)、箱館長崎兵庫神戸)、新潟であり、いずれも不平等条約による本格的な交易のための開港であったこのような幕府に対して根本的な幕政改革要求する薩摩藩や、諸藩連合による新たな全国統治画策しつつ全面的な開国による攘夷要求する長州藩朝廷政治幕政両方大きな影響力を持つ存在となっていった(和宮降稼に協力して京で警護行ない幕政改革要求した島津久光幕政主導権握ろうとして四賢候会議企画周旋し小松帯刀小松清廉)・西郷吉之助西郷隆盛)・大久保一蔵大久保利通)、1858年安政5年)の時点欧米への留学希望していた吉田寅次郞吉田松陰)・桂小五郎木戸孝允)、1861年文久元年)に建白によって航海遠略策幕府認めさせた長井雅楽京都朝廷諸藩への周旋活動行ない続けた久坂義助久坂玄瑞)など)。 ところが、幕府側の度重なる弾圧によって尊王攘夷志士たちの京都朝廷への影響力小さくなっていた1865年慶応元年)、それまで一貫して安政の不平等条約への勅許拒否し続けていた孝明天皇勅許与え、「即今攘夷」が基本的に不可となった。この時点で「攘夷の意味実質的に破約攘夷」のみに変わった。即ち、不平等条約撤廃という意味だけになった(この「破約攘夷」のほうは、日露戦争勝利後の1911年明治44年)、明治政府により達成される)。 長州藩吉田寅次郞吉田松陰)・桂小五郎木戸孝允)・長井雅楽越前藩松平春嶽津和野藩大国隆正らによって、欧米列強圧力排するためには一時的に外国開国してでも国内統一富国強兵優先すべきであるとする「大開国・大攘夷」が唱えられた事は、「開国」と「攘夷」という二つ思想結合より一層強め、「公議政体論」、「倒幕」という一つ行動目的へと収斂させて行くこととなった土佐藩板垣退助が、中岡慎太郎坂本龍馬らの斡旋仲介もあり、幕末日本薩摩長州という二大地勢力中心として諸藩糾合しつつ明治維新へと向かっていくこととなった

※この「攘夷論」の解説は、「尊王攘夷」の解説の一部です。
「攘夷論」を含む「尊王攘夷」の記事については、「尊王攘夷」の概要を参照ください。

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