王政復古まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 01:17 UTC 版)
1654年3月、クロムウェルへの請願を提出して、兄フランシスと弟ジョンの戦死や自身の軍人としての貢献などを挙げた結果、クロムウェルは3月3日に請願の内容を認め、4月25日には600ポンドがシデナムに支払われた。このとき、シデナムが適任とされる官職への任命も指示され、おそらく1655年1月にComptroller of the Pipeに就任、1660年の王政復古まで務めた。同時期にフランス王国のモンペリエで医学を学んだとする説が『ブリタニカ百科事典』や『英国人名事典』といった19世紀末から20世紀初の文献で唱えられているが、21世紀初の『オックスフォード英国人名事典』では確実な証拠がなく、ほかのシデナム姓の人物との混同の可能性が高いとしている。特に後者では王立内科医学会(英語版)に入会するときに証拠を提出しなかったことから、たとえ外国に向かったとしても外国で学位を修得するようなことはなかったと断定している。 1655年までにロンドンに転居して医師業を開業、1658年にペル・メルに転居、1669年6月にペル・メルの北側に転居した。1659年1月に第三議会への選挙ではウェイマス・アンド・メルコム・レジス選挙区(英語版)から立候補したが落選している。そして、1660年のイングランド王政復古に伴い、シデナムの政界における出世の道は断たれた。
※この「王政復古まで」の解説は、「トマス・シデナム」の解説の一部です。
「王政復古まで」を含む「トマス・シデナム」の記事については、「トマス・シデナム」の概要を参照ください。
- 王政復古までのページへのリンク