王政復古以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 22:46 UTC 版)
「ジョン・エリオット (1612年生の政治家)」の記事における「王政復古以降」の解説
イングランド王政復古の後、1660年仮議会の選挙でコーンウォール選挙区(英語版)から出馬したが、得票数4位(最下位)で落選した。一方、自身の懐中選挙区であるセント・ジャーマンズ選挙区では無投票で当選、1661年イングランド総選挙でも再選した。また、1660年3月13日から10月までデヴォン海軍次官を務めた。 議会では選挙および特権委員会(Committee of Elections and Privileges)、レジサイド処刑委員会(1662年)、第二次英蘭戦争での敗北に関する調査委員会(1667年)への任命記録が残っているが、あまり活動的ではなかった。1679年イングランド総選挙でセント・ジャーマンズ選挙区の2議席に息子ダニエルとリチャードを指名し、自身は議員を退任した。 1685年に死去、同年3月25日にセント・ジャーマンズ(英語版)で埋葬された。
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