皇族男子の本務としての義務化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 01:41 UTC 版)
「皇族軍人」の記事における「皇族男子の本務としての義務化」の解説
王政復古以降、皇族を取り巻く環境は明治期にかけて大きく変化し、その一つが皇族男子は軍人となることを義務付けられたことだった。 1873年(明治6年)12月9日の太政官達により、皇族男子の「本務」として軍人になることが明示された。 明治6年12月9日 皇族自今海陸軍ニ従事スベク被仰出候条此旨相達事 但年長ノ向ハ此限ニアラサル事 なお、『明治天皇紀』の同日にも「爾後皇族をして陸海軍に従事せしめたまふ」と記されている。 松下芳男によれば、「皇族の尊厳性」を出すために軍人か宗教者(僧侶・神職)があり得る中、個人的価値を表現する要素が少なく、全ての皇族に義務化するに適した職業が軍人であることから、皇族男子の本務とされたと考えられている。 また、この達が布告される前の同年10月には、東伏見宮嘉彰親王(当時)と伏見宮貞愛親王が、西欧の王族が幼少期から軍務に服するのに倣い、自らの身を陸軍に置きたいと請願していた。明治天皇は山縣有朋にこの件を諮詢し、これを受けた山縣は修学方法を上奏し、11月18日に貞愛親王を陸軍へ、嘉彰親王を海軍へそれぞれ従事させるよう命じた。当時は「軍は一般文官より優位にある」と考えられており、西欧の「ノブレス・オブリージュ」に基づく立憲君主国の慣例と、「皇族の尊厳性」を創出する手段であることが相互に作用した結果、義務付けられたと考えられている。
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