軍人に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:20 UTC 版)
「エルヴィン・ロンメル」の記事における「軍人に」の解説
1910年7月19日にヴァインガルテン(de)に駐留するヴュルテンベルク王国陸軍第6歩兵連隊「ケーニヒ(国王)・ヴィルヘルム1世」(ドイツ帝国陸軍第124歩兵連隊)(de)に下級士官候補生(Fahnenjunker)として入隊した。下士官として半年の部隊勤務を経た後、1911年3月にプロイセン王国ダンツィヒの王立士官学校に進んだ。士官学校在学中には、当時ダンツィヒに語学の勉強に来ていたルーツィエ・マリア・モーリン(Lucia Maria Mollin)と出会った。士官学校卒業後もルーツィエと手紙で連絡を取り合い、二人は1916年に結婚した。 1912年1月27日に少尉に任官し、第124歩兵連隊に戻った。ロンメルは、新兵の訓練を担当した。この頃から、ロンメルは自分のカリスマ性を存分に発揮している。 1913年12月8日、ヴァルブルガ・シュテマー(Walburga Stemmer)との間に私生児の娘ゲルトルートをもうけ、生活費を送る代わりに表沙汰にしないことで合意した。しかし、シュテマーは、1928年に肺炎もしくは自殺で死去した。ロンメルは、後に妻のルーツィエにゲルトルートの存在を打ち明け、彼女はロンメルの「親類」として戦中から戦後まで一家と親しく付き合った。事情を教えられていなかった息子のマンフレート・ロンメルは、ゲルトルートを「従姉妹」と呼んでいた。 1914年3月に第124歩兵連隊と同じく第27歩兵師団の指揮下であるウルム駐留のヴュルテンベルク王国陸軍第3野戦砲兵連隊(ドイツ帝国陸軍第49野戦砲兵連隊)に転属となった。しかし、第一次世界大戦の開戦により第124歩兵連隊に復帰し、同歩兵連隊隷下の第2大隊第7中隊に所属する小隊の小隊長に就任した。
※この「軍人に」の解説は、「エルヴィン・ロンメル」の解説の一部です。
「軍人に」を含む「エルヴィン・ロンメル」の記事については、「エルヴィン・ロンメル」の概要を参照ください。
- 軍人にのページへのリンク